furukawaさんのブログ

雨の日にぴったり 癒されグッズ

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

 

さて、お茶をいれて・・・と、

これはお友だちからいただいた TEA BOOK♡

シトラス系ジンジャーティーとチョコバニラのルイボスティーが入っています。どちらもおいしそうだな〜♪ きょうは、肌寒いのでジンジャーで☆

そして、一緒にいただいたこちらも用意します。

これはなにかというと・・・

ふふふ ・・・ ちょっと怪しげ?! ネコ仮面。

このように着用して、ホットアイマスク! (ほかに、フクロウさん、キツネさん?など)

ラベンダーの香りにつつまれて、目もとがホカホカ。からだもリラックスして、おもわず眠くなってきました。

お茶をいただきながら、おやすみなさ〜い☆ ZZZZ ・・・

 

 

お茶の間シネマトーク「G i r l / ガール」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

スラリと手足の長いララは15歳。バレリーナを目指して日々レッスンにうちこんでいる。

父親もそんなララに理解をしめし、そのために家族で引っ越しもし、職もかえた。

念願だった名門のバレエスクールに受けいれられたものの、ララのこころは晴ればれしない。

なぜなら、彼女は男の子だから。

トランスジェンダーのララは、一生懸命努力するものの「踊りが、まるで棒っきれ」と評され、また毎日身につけるレオタード姿もララにとってはつらい現実に直面せずにはいられない。

クラスメートからのいやがらせ、恋愛への憧れ、身体の変化 ・・・ 温かい家族や親戚に見守られながらも、ララのこころは理想の自分を目指すことをやめられず、現在の自分を耐えがたく感じてゆきます ・・・。

この作品でアカデミー賞 外国語映画賞を受賞したルーカス・ドン監督は、27歳。

十代のころに読んだトランスジェンダーのバレリーナについての記事にこころを動かされ、いつか映画にしてみたいと胸に温めていたそうです。

ララ役は、アントワープ ロイヤル バレエスクールのトップダンサーさん。もちろん男の子です。

さすが、ダンスはとても美しいです(トウシューズでの踊りは大変だったことでしょう)。

彼自身はトランスジェンダーではありませんが、ことば少ないララの繊細さ、芯の強さ、そして思春期の女の子らしさをとても自然に表現しています。

涙壷度:★★☆☆☆(自分に正直に生きたい! それは誰にとってもこころからの叫びです)

 

気づきの日記「いちばんコワイのは自分自身」

先日、友人とお出かけしたとき、お人形の専門店があったのでちょっと立ち寄ってみました。

アンティークドールから世界中の珍しいお人形まで、ところ狭しとひしめきあう店内をながめていると、「ねえ、もう行こ、行こ!(汗)」と居心地の悪そうな友人。

「どうしたの?」と聞いてみると、こどものときから災いや呪いを引き起こす人形が出てくる本やホラー映画を見ていて、「人形 = 呪い」のイメージになっているご様子。

人形を可愛いと感じる人もいれば、キモチワルイと感じる人もあり ・・・ (でも、人形はただそこにいるだけです)。

このように、なにかに怖れを感じるとき、私たちは「それ」こそがコワイ原因なのだ!と考えますが ・・・ 「それ」がコワイのではありません。

「それ」に対する「解釈(意味)」こそがコワイのです。

私たちは、目にしている「それ」がコワイと信じて、「それ」を自分の視界からなくしてしまえば問題は解決すると信じます。 ・・・ しかし、「解釈」がコワイのであれば、その解釈は自分と一身同体です。

またふたたび他のモノゴトを使ってコワイ解釈が顔を出し、それを怖れることになるのは間違いありません。

対象である「それ」をどうにかしても、ほんとうはなにも解決してはいないのです。

実際、怖がりさんを見ていると、「想像力、ハンバないな〜」と感じます。

たったひとつの「あるがまま」を見たときに、平気で十個ぐらいのコワイでっちあげを紡ぎだすことができます(はたから見ているとよくわかります、天才的なほどです!)。

完全に自分オリジナルの解釈で、自分で自分を震えあがらせることに成功しているのです。

それはときに戦慄ともいえるような感情をも引き起こし、それに耐えられなくなると自分で自分を死にまで追いやってしまうことにも ・・・。

しかしどのような場合においても、自分を怖がらせることができるのは、自分以外にはありえません(自分の考えがなければ、じつは怖さは生まれてこないのです)。

自分の意味づけが限りなくホラーであるなら、存在するはずのないどのようなオカルトストーリーでも目にすることができます(すばらしいっ!)。

なぜなら「最初に意味ありき」で、それにぴったりとそった現実を目にすることになっているからです。

そして、自分の意味づけから生まれた世界を見て、さらにそれに意味づけをするので、自分のこころの誤想像でつくりだしたホラーストーリーから抜だせなくなります。

意味づけがコワイときというのは、妄想がふくらみすぎた結果であり、「たった今」の安全な現実をキョーフの「過去データ」やキョーフの「未来の予測」で塗りたくって安全が見えなくなってしまっています。

「たった今、この瞬間」のあるがままはまったく安全なのに(はい!いつでも、この瞬間のあるがままは誰にとってもまったく安全なのです)、自分の妄想のせいで怯えたり、あせったり、落ちこんだり、怒ったり、パニックになったりしています。

それはまぎれもなく、現実ではなく「自分のでっちあげ」がコワいのです。

こどもが風の音や壁のシミをお化けだと信じてコワがったように、間違って信じているものに囚われている証拠です。

大人になってからはいささか風やシミを怖がりはしませんが、今度はもうちょっと大人らしいことに想像力を逞しくしているだけなのです。

そういう方々は、「今」をあまり見ていません、自分のコワイ思いのみに集中しているのです。そこから目が離せなくなっています。

たったいま目にしてひとつの出来事(ありのまま)から、自分の妄想によって即座に物語がたちあがり、あっというまにドラマチックなストーリーが紡がれ、それを真実として信じているのです。まさに、偉大なストーリーテラーです。

しかし、そこにあるのはただ「それ」だけで、なんの意味もついていないただ「それ」だけです。

ストーリーをでっちあげるのには、ものすごい労力を使います。存在しないものを自分にも、人にも信じさせようとするのですから。とっても疲弊します。

冷静にものごとを観察してみると、自分を怯えさせることができるのはたったひとつの存在だけであるということです。

それは、自分自身。自分以外に自分を震えあがらせることができる存在はいません。つまり、自分の考え(解釈)こそが、災いの元凶。

私たちは、自分の考え(解釈)いかんによって、自分の住む世界を自分を愛してくれる仲間があふれる天国にもできれば、あるいは果てしない戦いがつづく地獄にもすることができます。

そのように、どちらも選ぶことができるはずなのに苦しい地獄行きチケットしか買わない私たちって ・・・ きっとマゾなの ・・・ ね!(汗)

目のまえにある「それ」がコワイと信じていたのにそうではなかったのであれば、なぜそれをコワイと判断したのかを探求する必要があります。つまり、原因の糾明です。

原因がわかれば、それが「ホントのことなのか?」冷静にみきわめることができます。まちがっているのであれば、ただ手放すことができます。

「それは、たった今の事実としてほんとうのことなのか?」 ・・・ 正直に検証してみます。

じつは、まだなにも起こっていないのに、過去のデータを被せて短絡的に結果を決めつけてしまっているのかもしれません。

妄想、でっちあげ、怖れ、過去のデータからの予測という解釈はとりはらって、きっちりきっぱりと「今、完全に事実であること」以外は取り去ります。(この段階で、けっこうなにも起きていなかったと気づくかもしれません。)

さらに、「自分はじつはわからないのだ」とわかるかもしれません。

「自分はじつはわからない」 ・・・ と気づいたら、オメデトウゴザイマス! ついに、高い意識(ハイヤーセルフ)に教えてもらうことができるポジションまでコマを進めることができました。

「私が意味を決めたいの!」といいはっているうちは、ハイヤーセルフは「どうぞ、そうしてくださいな」とやらせてくれます(それは、自分で自分の首をしめているのだ!と自分で気づく日まで・・・)。

せっせと意味づけをしようとする(価値判断しようとする)のは、ここがアブナイところだと信じていて、なんとか先制攻撃で勝ちを狙うためにしていることです。

でも、ここがまったく安全だとしたら、それをする必要がありません。

むしろ、コワイ意味づけをすることで、そういう世界をみざるとえなかったのかもしれません(これはまさに、麻薬中毒患者が妄想を見て、それを怖がることでもっとパニックになって暴れる ・・・ というのとよく似ています)。

妄想によるでっちあげの解釈こそがキケンであり、じつはなんの意味づけもしないあるがままの今は安全なのです。

あるがままの今を受けいれるというのは、なにも解釈を加えないこと(口をひらかないこと、コメントしないこと)。ただほっておくこと。

そして、もしあるがままの完全さが見えてこないのであれば、たったひとつするべきことは、ハイヤーセルフに一緒に見てもらうことです。

かならず、「あなたにとっても、まわりの人たちにとっても、贈りものがやってきているのですよ。よかったですね」と教えてくれるはずです。 ( ・◡・ )♫

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

梅雨のあいまのお外ランチ

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

今年は梅雨らしい梅雨で傘が手放せません。

でもこの季節、ふだんは気づかない樹々や土の匂いがしたり、小さな花が香っていたり、そんなに嫌いでもないのです(天パーが暴走する以外は ・・・笑)。

そんな雨曇りの午後、代官山にいらしていたお友だちとランチへ  @ IVY PLACE さん

雨のあいまのテラス席は暑からず寒からず、気持ちのよいお外ゴハンでした。

本日のメニューは ・・・ まずは、おいしいパンをとうもろこし(ひよこ豆も入ってるかな?)の甘みのあるディップをつけて。

きょうは二人ともお魚気分で、真鯛のポワレ。

グレープフルーツとオニオン、ディルの爽やかなソース、マッシュポテトとズッキーニ、トマトのグリルとともに。

 

香ばしいお魚のグリルに柑橘のすっきりソースがとてもよくあいます。いくらでもいただけそう。彩りもきれいです。

お食事中はアイスティー、食後にはコーヒーがつきます。

このあともオープンカフェに移動して、お喋りに花が咲きました。

蚊の襲撃をうけてハタと気がつけば、すっかり夕方(まだまだ陽が長いですね)。

半日、ゆったりとお外で過ごした午後。お喋りと美味しいランチ&お茶でリフレッシュいたしました〜♪ (・・・ けど、痒っっ!完全にやられました・汗)

 

 

 

お茶の間シネマトーク「彼の見つめる先に」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

高校生のレオは、生まれたときから目が見えない。

幼なじみのジョヴァンナや、心配性だけど優しい両親、すべてを受けいれてくれるおばあちゃんに囲まれて、なんの不自由もなく穏やかな日々をすごしている。

いつもレオに寄りそっているジョヴァンナは、盲導犬とからかわれようが、あうんの呼吸でサポートしてくれる相棒であり、親友であり、彼女のような、何でも話せる信頼のおける存在。

そんなある日、転校生のガブリエルがやってくる。

男の子といえば、レオにとってはからかいにやってくるうっとうしい存在だったけれど、ガブリエルはレオをはじめて対等に扱ってくれる男友だちになる。

しばらくは三人で過ごしていたものの、ガブリエルはレオを自転車に乗せたり、映画に連れ出したり、ダンスを教えたり ・・・ ふつうの男の子らしい時間をともにする。レオにとっては、すべてがはじめてのわくわく体験。

すると、ともに過ごしていたジョヴァンナとの関係が変わりはじめる。ジョヴァンナはおきざりにされたように感じて、ガブリエルと過ごすことも・・・。

お互いに正直になりたいのに、遠のくばかり。

あるパーティの夜、ファーストキッスに憧れるレオに、ゲームでチャンスが巡ってくる。けれども ・・・ あ"〜 レオ!それは女の子じゃない、犬よ〜、犬!(レオ、あやうし☆)

はたしてレオのファーストキッスの行方は??

なにがほんとうかわからないまま、自分がでっちあげた考えのなかに自分を閉ざしてしまうとき、私たちはどんどん孤独にみじめになってゆきます。

いつだって、自分の気持ちに正直でいられるときは、自分もまわりもともに自由になれる。

こころを開いてつながれば、いつでも癒しがもたらされるのです♡

 

 

気づきの日記「こころの思いをまもる習慣」

こどもの頃に、シリアスなイジメ ・・・ とまではいかなくても、ちょっとしたからかいやイジワル、仲間ハズレにされた体験というのは誰にでもあるものです。

たわいもないイジワルとして思い出されるものであっても、そのことが自分の「ものの見方のモノサシ」に影響をあたえ、それをゆがめ、意外にもずっとあとをひいていたりします。

自分とはどういう存在なのか(愛される?愛されない?)、人とはどういうものなのか(愛してくれる?攻撃してくる?)、またこの世界とはどんなところなのか(優しい?拒絶してくる?)という、自分や人、世界に対する概念が無意識のうちにツラく危険なものになってしまい、その怖れが自分の人生の足を引っぱるようになってしまいます。

まちがった概念の呪縛は、三十になっても、四十になっても、六十になってもとけることがありませんん。むしろ強化されているように感じます(いったん刷りこまれた概念は、自ら気づいて訂正するまで修正することができないのです)。それゆえに、なぜ自分自身を肯定できないのか、幸せや自由を感じられないのか、自分でもわかりません。

こどものときに受けいれてしまったまちがった自己概念が、自分に災いしていることに気づくことができないでいます。

たとえば・・・

幼稚園のときに ・・・ ○○くんに「おまえはヘンだ!」とからかわれてしまった、とします。

だから、私は人とちがってヘンな存在にちがいない。きっと恥ずかしいにちがいない(こどもは、まわりから言われたことをなんの検閲もかけずにそのまま信じこんでしまうスポンジのような存在なのです)。

だから、ヘンだということがばれないように、自分を隠しておこう、あるいは、ちがった自分のふりをしよう・・・ というように、たった一人から言われたことが原因で自分を恥じるようになります。

しかし、しだいにその出来事やそこで決心したことは忘れさられ無意識的になってしまい、ただ「私は恥ずかしい存在なのだから、隠しておこう」とか、「人よりも努力して頑張らないとだめなんだ」という思いだけがこころのなかで意識され、それはとてもまっとうに感じられるのです。

あるがままの自分を受けいれることができていないので、まるでラットが踏み車をこぎつづけるように忙しく努力しつづけます。それは、「私は恥ずかしい存在だ」という信念がいすわっているからなのです。

ちょっとしたイジメをまにうけてしまい、「自分はダメだ」と決めつけてしまったことから、しなくていい努力をするようになってしまいます。そして、わけのわからない努力をすることで、ほんとうの自分から離れ、ダミーの自分をつくりだすことで、さらにダメな自分という思いを強めていきます。

しかし ・・・ほんとうはイジワルをしたほうこそが、問題あり!なのです。また、イジワルをしたことでさらにその子は問題を深めてしまっているのです。

イジメやイジワルがなぜ起こるかというと、「それをしないとやってられないよ〜!」と感じるからです。

自分が「足りていない」「価値がない」と感じているとき、

それをどのように埋めあわせてよいのかわからず、手っとりばやく「誰かを自分よりももっと足りなくする、価値をなくす」ことができれば勝手に自分の価値があがるのでは ・・・ と考えます。

つまり、「私がスゴくなるためには、全員ダメなやつになってくれ!」というわけです。そのために、人をおとしめて価値をなくすことをはじめます(これが、イジメやイジワルとよばれるものですが、もとはたんに劣等感からはじまります)。

短絡的に、自分以外を足りなくさえすれば自分は優越感を感じられるにちがいない、というメカニズムです。

でもこれをしてしまうと ・・・ 「私のためにバカになってください」と言いはなった人たちを仲間と呼ぶことはできず、結局は孤立して孤独に感じます。

また、人のことをこのように攻撃したという思いから、無意識のうちに罪悪感を感じ、自分を罰してつらいめにあわせるようになるために人生に困難が多くなります。

つまり、「足りてる」ことを実感したいがためにしたことによって、より孤独になり、助けがえられないために不足感は強まり、またいたいめにあうように感じることになるのです。

まわりを貶めて、自分が優越感を感じようとすると、結局はさらに大きくマイナスをつくってしまう、ということが起こります。

私が優越感を感じるために、あなたはダメ人間になってください。大丈夫、私があなたを貶めますから、あなたはすぐダメ人間になれますよ。

このセリフは人に向けられているように感じますが、イジワルをするその本人のこころのなかにあるものです。誰に対して効力を発揮するかといえば、「自分」のこころに対してだけなのです。

それはある意味、自分に対する呪いとなります。

自分のこころで思うことは、「自分が思っている」からこそ、自分へ呪いともなれば、自分への贈りものにもなります。

だから、自分に足りなさを感じるときに、人を貶めてしまえば、いっしょに自分も貶められます。自分の思いから自分を除外することはできません。だったら・・・

自分が引きあげられるために、人のなかにすばらしいところを見つけてそれを賞賛してあげることで、自分もいっしょに引きあげられる、このほうが賢いやり方なのです。

どんなときでも、自分の苦しみの原因は自分のこころにしかなく、自分の敵はまさに自分自身であり、自分の考えそのものなのです。

だから、なにかが足りていないと思うときには、人にマイナスをあたえることで救われようとしないで、逆にまわりのひとたちのなかに足りているところ、輝いてあふれているところをたくさん見つけてあげることです。

そうすることで、そのこころは「足りている」という思いでいっぱいになり、その思いは自分の目にするものすべてに影響を及ぼすので、「足りている」状態を目にすることができるようになります。

私たちは身体の健康のためには、あれを食べて、これを節制して・・・とこころを砕きますが、そんなことはささいなことにすぎません。

自分が「苦しまない」ためには、もっと大切なことがあります。それは、自分のこころの「思い」を守ることなのです。

「思い」が幸せであれば、それが自分を満たし、またそれが自分自身から広がって、自分の目にする満たされた世界をつくりだします。自分の身体も、その目にする世界にふくまれています。

不幸に感じるときには、いま起こっていることが問題というよりは、自分の思いじたいが危険なときです。自分の思いが自分に牙をむいているのです。

だから、いちばんやらなくちゃならないのは、こころの健康。自分の思いが健康であることです。健康であるということは、攻撃の思いがなく(自分を攻撃しないために)、愛と安らぎがあること(自分に愛をもち、安らかでいられるように)。

そのために、人や自分に対する攻撃的な気持ちに敏感になり、そのような気持ちを自分のこころからすぐに排除することが大切です。

目にする世界が自分のこころそのものであり、世界が自分であると気づきはじめると、攻撃的な思いをもつことが、自分で自分を斬りつけるようにいかにキケンであり、苦しい結果をもたらすことになるかがわかりはじめます。

どの思いも、まちがいなくそれを思う自分自身に影響せずにはいないのならば、自分自身のためにも、どんな思いでいつも満たされていたいのか ・・・ 自分の思いというものをもっと大切にする必要があります。

私たちは、世界という鏡を使ってしか自分を知ることができません。それならば、そこに何を見つづけるのか、醜さか美しさ、冷酷さか思いやりか、愛か怖れか ・・・ そしてそれこそが直接、自分というものの価値にかかわってくるです。

こどものときにまちがった概念を受けいれてしまったと気づいたら、落ちこむ必要はありません。

手放すためには、まずは気づくという段階が必要だからです(気づけない人の方が多いのです)。気づけたからこそ、手放せるということです。

幸いにもまちがいに気づいてしまったら、自分では取り除けないので、ハイヤーセルフに「この思いはもういらないものです」と差しだしてもって行ってもらいましょう。

それをどけてあげるだけで、OKです。本来のあなたの輝きは姿をあらわします。

それはなくなっていたのではなく、ただまちがったもので隠されていただけだったからです。

さあ! まちがいに気づいたら、お掃除☆ お掃除☆

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

お茶の間シネマトーク「ぼくの名前はズッキーニ」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ぼくの名前はズッキーニ。ママがそう呼んでいたから。

ママはお酒ばかり飲んでいてぼくには興味がなかったから、ぼくはいつもひとりで凧あげをしたり、ママのビールの空き缶で遊んでいたんだ。

パパ? パパは雌鳥とどこかに行ってしまったよ。

ある日、ぼくはママを殺してしまった(はずみで亡くなった)。そして、誰にも愛されないこどもたちばかりが暮らす場所にやってきた。

ひとこまひとこま、粘土のお人形を少しづつ動かしながら撮影されたストップモーションのアニメです。手作りならではの素朴さ、あたたかさが伝わってきます。

それになんといっても、セットや小物のすべてがとても可愛らしくて、画面のすみずみまで見てしまいます。

一方、こどもたちはかなり病んでいるルックス。

けれども、それがかえって感情をありありと伝えてくれます。ただ目線と瞬き、口の動きだけなのに、こども以上にこどもらしさが伝わってくる不思議。

ここにいるこどもたちの両親は、育児放棄、薬物中毒、情緒不安定、男女のゴタゴタなどの問題を抱えていたため、こどもたちは愛される資格がないと感じています。そんな両親でも、こどもたちは愛しているのです。

あたたかな先生や見守ってくれる大人たちのもとで、ケンカをしながらも助けあうことを学び、少しづつこころをひらき、ひとつの新たな家族として再生してゆきます。

60分ほどの作品ですが、ずっ〜と見続けていたくなります。 そして、ほっこりとあたたかな気持ちになれます♡

涙壷度:★☆☆☆☆(こどもたちのけなげさに涙が出ます。幸せになってね♡)

ストップモーションのメイキング映像  ☆  メイキング1メイキング2メイキング3メイキング4
声は実際に演技しながら録音しています。人形へのだわり、その動かし方など、すべてが気の遠くなるような作業ですが、そんな細部への思い入れがリアリティをうみ出しているのでしょうね。

 

♪ソプラノコンサート♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

声楽家 瀬尾美智子ちゃんの演奏会を聴かせていただきました。

先週は吉原圭子ちゃんの演劇的オペラ、今週は美智子ちゃんのサロンコンサート! なんとも贅沢な音楽会つづきの週末です。

「今回はミニだよ!」と言っていたわりには、ぜんぜんミニじゃないや〜ん!という感じです。懐かしい童謡あり、青春のうたあり、そして本領発揮のクラシックも ・・・。フルコンサートと変わらない濃密な時間となりました。

無意識のうちに(?)真っ正面に坐ってしまい、モロに歌いかけられている気分にちょっとドギマギ・・・。そうしたらあとで、「たかちゃんに歌っていたのもあるんだよ!(笑)」と言われ、笑笑笑 ・・・ 恐縮でございます。

耳になじんだ童謡も美智子ちゃんの美しいソプラノで聴くと、まったくべつもの。歌詞が新鮮に伝わってきます。それぞれの世代の青春のうたも懐かしく、思わず口づさんでしまったり。

そして、クラシックはやっぱりイイです、スゴイです ☆☆☆ いきなりフタが吹き飛んだような印象(笑)。それまで以上にいきいきと、楽しそうに、これぞ実力!という感じで歌われておりました。

私は美智子ちゃんがポーランド歌曲を歌うようになってから、モニウシュコというポーランド人にはおなじみの作曲家さんの作品がとても好きになりました。今回も二曲ほどあり、ハートがうるうるいたしました。

みなさんもおっしゃていましたが、美智子ちゃんの歌のあいまの解説やおしゃべりがなんかむしょうにおかしくって、笑いを誘います。漫才系もじゅうぶんイケそう?(笑)

ほんとうに別世界のようなステキなひととき。ありがとうございました♡

♡ ソプラノ 瀬尾美智子ちゃん(右) & いつも名コンピ ピアノの名取典子さん ♡

 

 

お茶の間シネマトーク「町田くんの世界」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

町田くんは高校生。

勉強もスポーツもぱっとしないジミな男の子だけど、なぜかみんな町田くんを知っている。

「町田くん?劇的にイイ人!」「キリストみたいな人」と。なぜなら、町田くんは人が大好きだから。困っている人がいたら、何をおいても助けずにはいられないのです。

家では、妊婦のお母さんと四人の兄弟のためにゴハンを作り、学校でも通学路でも助けが必要な人を見つけようものなら手をかしに飛んでゆきます。

突如、町田くんに助けられてた人は、「なぜ?」と困惑します。すると、「大切な人だから」と町田くん。町田くんにとっては、みんな平等に大切な人なのです。

このセリフにみんな目を丸くして、ノックアウトされてしまいます。そして、思うのです。「町田くんは、いったいどんな世界を見ているのだろう?」と。

町田くんはあくまでも自然体でいるのだけれど、触れ合った人たちは変わらずにいられないのです。とくに、同級生の女の子たちは・・・。

そんな町田くんに悩みが生まれます。「好きって何だろう?」 ・・・。「みんなが大切な人」である町田くんには、「好き」がわからない。

無条件の愛の人、町田くんの起こす奇跡とは・・・。

監督さんは、石井裕也さん。原作は別マの連載だったそうな。

町田くんと相手役の女の子は、まっさらな新人さん。だからこそ、町田くんの無垢な感じが際立ちます。

同級生に前田敦子さん、高畑充希さん、岩田剛典さん。お母さんは松嶋菜々子さん。その他、佐藤浩市さんなど、実力派の役者さんがまわりを固めています。


投げやりな同級生に対して、「自分の気持ちを聴いていないと、人の気持ちはわからない」と町田くん。

ほんと、そうですね。自分のこころのなかの傷みを感じて助けを求めている部分があることに気づいていてこそ、他の人もまったく同じように傷ついて助けを求めていることに気づいて、手をさしのべることができるようになるものです。

今まで感じたことがない気持ちに目覚めてゆく前田くんが、このあとどのようになってゆくのか興味があります。きっと変わらないね!

涙壷度:★★★☆☆(愛は胸をキュンキュンさせてくれます♡)

 

 

【「受講コース相談カウンセリング」無料キャンペーン 】

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

雨がつづくこの季節、気持ちも今ひとつ・・・という方もいらっしゃるかもしれません。こんな季節だからこそ、こころのなかから少し軽やかになってみませんか?

6月11日(火)〜17日(月)までの期間、初めての方のための「受講コース相談カウンセリング(¥5,000)」を無料でお受けいただけます。

「受講コース相談カウンセリング」とは・・
「セラピーって興味あるけど、どんなセッションがあっている?」「私のこのパターンはいったい何が原因?」「セラピストってどんな人?」「受けたいセッションは決まっているけれど、詳しいことをあらかじめ話しておきたい」という方のためのプレセッションです。(→ プレセッションについてはこちらから

お気軽にこの機会をご利用ください。 → お申し込みフォームはこちらから

*対象: 初めての方

*期間: 6月11日(火)〜17日(月) の期間に「受講コース相談カウンセリング」をお受けになる方

*セッション料金: 通常 ¥5,000 → 無料

*お申し込み: → お申し込みフォームへ
「無料セッションをご希望であること」と「ご希望のお時間等」をご記入のうえお申し込みください。
(セッション枠がうまりしだい終了とさせていただきます)

*以後のセッションの勧誘等は一切ございませんので、安心してお越しください。