furukawaさんのブログ

ポーランドの夕べ♪

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

「パスポートが必要かもよ・・・」「え〜、まさか?!」 ・・・そんなやりとりがあってお出かけしたのは、ポーランド大使館。

たしかに、大使館のなかは日本じゃないからね〜。でも、大丈夫でした。

大使館での音楽会にお誘いいただいたのです。もちろんすべてポーランドの歌曲で、ポーランドから来日しているソプラノ、マグダレーナ・デュランさんの演奏によるもの。

ポーランド出身の作曲家といえばショパン。ピアノ曲でしか馴染みがなかったのですが、歌曲がけっこうあって、ピアノ曲とはすこし趣きが違ってまたステキなのです。教えてもらわなかったら、ショパンだってわかりません。軽快な伴奏の「願い」という曲がお気に入り。

その他にも、あまり耳にする機会がなかったポーランドの作曲家さん、モニューシュコやシマノフスキなどの歌曲を楽しむことができました。

演奏会が終わると、大使館から軽食やらワインのおもてなし。ポーランドのお料理やお菓子などがきれいに並べられていて、お皿に山盛りいただいてしまいました〜♪

ポーランド語や音楽関係の方が多く集う演奏会でしたが、音楽とお料理と集うみなさまの雰囲気でポーランドを感じる夕べとなりました。

私にとってポーランドはどこか第二次大戦の痛みのイメージが強く、なかなか旅のリストにあがることがなかったのですが、こんどヨーロッパ方面に行くときには是非足を運んでみようかな〜と思っています。

 

 

気づきの日記「人生を紡ぐエネルギーを節約する」

私たちは、よくよく「あるがまま」を受け入れるのが苦手なんだな〜と感じます。あるがままのパートナー(恋人、家族、友人・・・)、あるがままに起きてくる出来事・・・。

「あるがまま」ですべては完璧なのです というとき、それは私たち好みの「完璧さ」ではありません。ここを勘違いすると、いつまでたっても完璧さは見えてこないのです。

「完璧だ」というのは、あるがままには「それ以上」も「それ以下」もないからそれで完璧だ、それが宇宙の摂理だ ということで、私好みの私が夢見ている完璧さとは関係がないのです。

私たちが誰かにイライラするとき、失望するとき、文句を言いたくなるとき ・・・ まるで自分こそはまっとうなことをしていて、非の打ちどころがなく、それゆえ相手が間違っている、だからこんな気持ちになるのだと信じています。

そうです!いつだって、悪いのは相手なのです。他にはいません。

私たちの思考は、必死になって自己防衛や自己正当化を試みます。

じつはそのとき自分がしているのは、「あなたは私の思ったとおりの人でいるべきだ」「そうでないあなたは、どこかがおかしい」と主張しているにすぎません。

恋愛やパートナーとの関係についてのセッションをするとき、きまって問題の原因は「相手が間違ったことをしていて、だから私は不幸なんです」ということ。

でも、本当に相手は間違ったことをしているのでしょうか? それとも、たった今その人はそういう人であり、「あるがままの自分」として生きているだけなのでしょうか?

答えは後者、人はいつだってそのときの「あるがまま」で生きているだけ なのです。

問題は、それを見ている自分が「お気にめすか」「めさないか」という問題。

その人は、「その人」に他ならないのです。たとえ、その状態を私が気に入ろうが気に入るまいが。

つまり、私たちは出会う人たちに対して「私の理想の恋人(パートナー、友人、母、父、上司、部下、こども ・・・)でありなさい」と無言のうちに強要し、そうなるように全力で圧力をかけはじめます。言葉どおりプレッシャーをかける、あるいはひきこもる、言葉で指示する、態度で示す・・・。

そう思うと、私たちは目のまえのことを自分好みに変えることに、自分のエネルギーのすべてを全力で注いでいるようです。

とくにその関係に「恋愛」というレッテルがはられているだけで、この症状がひどくなります。

なぜなら、みんなテレビドラマや小説、映画に感化されて、「恋愛」とはこういうものだよね、こうしてもらわなくっちゃ愛している証拠にならないよね、恋愛関係ってこういうことが起こるものだよね、という様々なルールがありすぎるから。

恋愛だって、結局はひとつの人間関係。そこで大切なのは、自分の理想の恋人像を相手におしつけないこと。日々出会う、自分にとってさぼど重要でない人をあえて「変えよう」としないのと同様に、その相手をそのままにしておいてあげること。

もし、文句があるのだったら、おそらく自分のなかに「理想の恋人とは〜である」という、実際の相手とは無縁のたくさんのルールがあるのだと思います。

でも、目のまえの相手は私のルールとは関係ないところで生きているのす。そのルールの存在すら知りません。知る必要はありません。

人だけではなくって、日々目のまえに起きてくる出来事もそう。

イライラしているときには、「これはこう進むはず」という自分なりのストーリーがあるのです。

でも残念ながら、人生はそんな意図とは関係なく、勝手に紡がれてゆくのです。

もしも、私たちが無意識に行っている人やものごとに対する「抵抗(変えようとすること)」をすべてやめたら、すべてはさぞスムーズに、なるようになることでしょう。そして、ありあまるパワーが文字どおりありあまっていることに気づくでしょう。そうしたら、人生はどのように見え、どのように感じるのでしょうね?

自分が日々の生活のなかで「文句」が出ているところ(ほとんど無意識のうちの文句ですが)に気づいてみる、そしてものごとも人も、今あるものが「あるがまま」であると認めて、そのままであるように手放してあげる。

それが難しく感じるときには、「なぜ?」あるがままでいてはいけないのかを探求してみると、おもしろいことに気づくかもしれません。

自分の正しく節約されたパワーが、どんなふうに人生を紡いでくれるのか ・・・ 見守ってみるのもおもしろいかもしれません。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

赤いお茶

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これ、サフランです。

パエリアの黄色いゴハンでおなじみ。このぐらいの量で1000円以上したりします。けっこう高価なスパイスなのです。

サフランが高いせいで、パエリア鍋をもっていてもめったに作りません。でも、久しぶりに作っちゃおうかな〜♪

・・・ って、これ、お料理するためではありませんでした。ハーブティーのようにして飲むためのものです。ちなみにこれが一杯分。・・・かなりお高いハーブティーとなります。

サフランには、女性の体調を整えたり、安眠効果があるのだそう。

わたしは極端に湿気に弱く、蒸し暑い季節や場所はほんとに苦手。以前タイに行ったときには、あまりの湿気と蒸し暑さでゴウモンかと思いました。早くここから逃げたい一心でシンガポールに行ったけど、そっちも負けずに暑かった(汗)。ホント、自分が張り子なんじゃないかと思ってしまいます(笑)。

蒸し暑くなってきたこの頃、眠りが浅かったのですが、このサフランくんは効いてくれるかな〜? ということで昨晩は眠るまえに、高価なお茶タイム。これは赤いお茶になるのです。

あまりにもあっけなく、ぐっすり眠れちゃいました。じつは、ハーブティーごときで・・・って、ちょいと疑ってたかも。スミマセン!  

「絵の具のような味ですよ」と言われていましたが(え?!絵の具、飲んだことないし・・・ 汗)、でもわたし、けっこう絵の具好きだったみたい・ 笑。

なんか、よい感じです♪ 14日分あります。一回ぐらいパエリア作っちゃおうかな〜。

 

 

すっかり姫♡気分

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フランス郊外にある瀟酒な貴族の館にお招きいただきました・・・ そんなステキな気分になる洋館。

じつは、東京のど真ん中、六本木ヒルズにほど近いところにある「オーベルジュ」というフレンチのお店です。お誕生会をしていただきました〜♪

ここ、いちど来てみたいと思っていたレストランのひとつ。10年かけて、フランスからせっせと丸ごともってきちゃいましたというこの建物は、シャンデリアも絵画も螺旋階段も・・・どこをとっても風格があって絵になる空間。ちょっとした異次元です。

洋館「風」の一戸建てレストランは多々あるけれど、やっぱり長年使いこまれた空間のたたづまいには勝てません。こんなに天上が高くても、広々していても、決してつめたい感じにはならず、ほっと寛げる空気があります。かつてそこに集った人たちの暖かみが、まだそこを満たしているように感じるのです。

ヨーロッパでは、車で旅をしてこんな素敵なレストラン兼ホテルに泊まるのですね。だから、こちは上のフロアは宿泊ができ、またいちばん上のフロアにはオーナーさんが住んでいらっしゃるそうな・・・。ホテルのインテリアもさぞ素敵なことでしょう。

お料理も、どもれ繊細なお味でおいしかった♡最近のフレンチは、どこも和の味つけを意識されているようでさっぱりしています。これも日本食ブーム、健康志向の世界的な傾向なのでしょうか?

こんなゴージャスなお店で給仕さんがとりすましていたら緊張しちゃうけど、こちらの給仕さん「タンタンの冒険」に出てくるタンタンにそっくり!(そう言われます・・と.。)ユーモアをまじえてお料理の説明をしてくださって、さらに楽しくお食事ができました。

すっかり姫気分でバースデーをお祝いしていただきました。日々の「お姫さまごっこ」の成果!? やっぱり執事がいると来るところも違うのね、なんて笑ってしまいました。素敵な時間をありがとうございました♡♡♡ 「姫」にはじぬよう、ステキな一年にしたいと思います。

 

 

気づきの日記「自分を痛めつけないための習慣」

昨日、ドハデに転んでしまいました(汗)。

階段をふみはずし、転んでから二回転ぐらいして、クツが片方どこかにふっとんでおりました(苦笑)。近くにいた女性二人が助けてくださって、とびさったクツを捜索してくださりことなきをえました。ハデに転んだわりには、負傷していなかったのが幸いです。

「ああ、やっぱりやっちゃいましたか・・・」というのが正直な感想。じつは、この2〜3日まえから予感がしていたのです。なにか「イタタ」なことが起こりそうな・・・。

なぜか・・・ というと、あることに腹をたててイライラしていたから。イライラした日がつづくと、転ぶというジンクスがあったのです。

そんなにしょっちゅう転んでいるわけではありませんが、過去のデータから、転んだときにはきまってなにかに腹がたっていたのに気がついていました。

腹がたっている = 攻撃的な気持ちになっている → 攻撃的になると、無意識のうちに反撃をおそれることになる → 反撃されるまえに「イタタ」ということをみずから起こして、自分が被害者であるフリをする → そうすれば「もう痛いめにあったから、これで帳消しね!」と、反撃をのがれられると信じている ・・・というわけです。

私たちの無意識のこころには、こんな自己防衛のメカニズムが働いています。日頃、「イタタ」という経験が多い方は是非、ご自分のなかの攻撃心や怒りをチェックすることをオススメいたします。じつは、自作自演なのです。自分のなかで抑圧されていて気づいていない赦せない気持ちが、じつは赤々と燃えさかっているかもしれません。

ここ数日、自分が腹をたてていることを知っていたので、それが引き金となって自分を痛めつけることが起こりそうな ・・・そんな気持ちになっていたのでした。

だからといって、さっさと怒りを手放す気にならないのが、怒りという感情のしつこいところ。怒りはものごとに執着します。

最近観た映画、「光をくれた人」のなかにあったセリフで、「たった一回だけ赦せばいいんだ」というのがありました。それは、その後の人生を「赦せない」という気持ちで生きるぐらいなら、「たった一回だけ」赦すことが大切だと。

しかし、実際にはそう簡単にはいきません。赦せないのは結局、自分にとっての幸せを脅かされたと感じているから。その痛みがリアルだから。そして、赦すことで被害者をやめてしまったら、自分の痛みをないがしろにされるようでいやなのです。傷ついたその痛みに執着したいのです。

この物語のなかでは、かつて自分にとって最愛の男性だったはずの人が、ある出来事を機に「この男だけは絶対に赦せない」という憎悪と憤怒の対象となってしまいます。それは、自分にとってのかけがえのない幸せをおびやかされたと感じたから。

それだけ、「自分に危害が及ぶ」、つまり自分の幸せをおびやかされたと感じたときには、人を赦すことが難しくなります。

今回私が腹をたてていたのは、まったくもってシリアスなことではありません(苦笑)。でも、ハマってしまった・・・。それぐらいエゴは巧妙なのです。ウカウカすると、足をすくわれます。

何だったかというと・・・ 会うたびに周りの人への不平不満を口にしているA子さんがいて、本人いわく「これは私の投影(自分のなかのものを外に見ている)なんだけどね」と言ってはいるものの、半年以上、不満のほこ先をそこにかかわる人全員へと向けていて、ぜんぜん改善の余地がありません。

最初は「まあ、彼女の問題だわ」と思って冷静に見ていたのですが、ついにそのほこ先が私にも向けられてきて(ハイ!危害がおよぶ感覚ね)、そうしたら私のエゴも一気に目覚めて反応しはじめて凶暴性をおびてきたわけです。

そこで、「ねえ、いつも自分の投影だとかって言っているけど、結局それってすべての人に不平不満を言っている攻撃と同じことだよね」と。

心理学とかを勉強していると「これは私の投影なんですけど・・・」と前おきして、うまくオブラートにくるんで不平不満を正当化してしまうことがあります。そんな正当化を見つけたような気がして、ムカッときたのです(それに今までは人ごとだったけど、ついに自分にもほこ先が向いたし・・・。その内容がおそらく私にとってビンゴだったから、もっとムカッときたのでしょうね・笑)。

自分に危機がおよぶ感覚を感じると、私たちは一気に防衛という名の反撃にでます。それも結局は、「攻撃」となんら変わらないのです。私がムカッときたA子さんと、なんら変わりません。

ふだんは「ムカッ」とくることがあったら、そこにくっついているストーリーも状況もセリフも無視して、ただ感情だけを処理することに専念します。なぜなら、その「ムカッ」ときた感情は、じつはその目のまえのこととはまったく関係がなくて、じつは自分が抑圧していたものがこの出来事に刺激を受けて浮上してきただけだからです。

私たちは「この出来事」が原因で自分は腹をたてている、イヤな気分になっていると信じていますが、じつは違うのです。みんな誰でももれなく、すごい怒りを抑圧・貯蔵しています。もっていない人はいません。でも涼しい顔で、そこに焦点があたらないようにうまくかわしながら生活しているのです。まるで、巨大な爆弾をかかえながら生活しているようなもの。

ムカッとする感覚でそこにアクセスしようものなら、エゴはどんどん爆弾を投げ込んできます。そうすると、ときにはどうにも怒りがおさまらなくなって、ついには自分が何を何のために怒っているのかさえわからなくなったりします。

本当はムカッときたときこそ、自分のなかをお掃除するチャンスなのです。そうやって気がついたときにしか、お掃除はできないからです。

このちょっとした自分への危機感、攻撃された感覚が、隠しもっていた感情をまんまと刺激して、一気にイライラとなって浮上してきました。

エゴは被害者になって怒り狂いたいので、なるべくそれが怒りの本当の原因でないことがバレないように、さまざまなストーリーをすぐさまでっちあげます。

「まったくこの人、半年以上も次から次へと不平不満だらけだわね」「投影っていいながら、まったく処理できていないのはたんなる不平不満という攻撃じゃない」云々。じつはこのとき不平不満を言っているのはまさに自分自身なのですが、エゴはこの不平不満を言うことでがぜん偉くなってパワーアップしたように感じて、どんどんふくれあがっていくのです。

こうなると、自分を正すことができなくなります。もうやめられません。でも、ひそかに反撃を怖れます。

そしてついに ・・・落下の二回転。

でもそこで、完全に目がさめました(苦笑)。

いつもだったら感情を素早く処理するのに、そこで起きているストーリーに耽溺して、自分のエゴの凶暴性にのっとられて、感情を処理するのがすっかり遅れていた、いえ拒否していたのです。

そうしたら、このありさまです。みごとな落下の二回転。 ・・・そしてエゴは言っているのです。「今のすんごく痛かったよ。だから、あなたのこと目一杯攻撃したけど、これでおあいこね。反撃はなしだよ」・・・って。いえいえ、もう、被害者のふりをした攻撃ごっこはおしまいですよ!はい、ゴング!(カンカンカン!!)

私たちは「この目のまえで起きていることが原因でわたしは動揺している、怒っている」と信じこんでいます。そして、そのことに対して反撃しようとします。

私たちはどこまでも、自分は正しい、間違っているのはあなただ!と言いたいのですね。

それも、おびえている証拠でしかないのですが・・・。

でも、いつだって自分の感じている不快な感情は、自分だけのものであって、相手とはいっさい関係ないのですね。どんなことが起きていようとも、それは自分だけで向き合うべきものです。

昨日は家に帰るやいなや、すぐさまイライラ、怒り、正したい気持ちのすべての感情を処理いたしましたよ。このままほっといたら、次になにがおこるやら・・・汗。

なんかつきものがとれたようにすごくさっぱりしました

そして気がついたけど、ここ数日、眠りが浅かったのですが、とってもよく眠れました。じつは処理しなければならない「いにしえの感情の塊」が浮上してきていて爆発寸前で、安眠を妨げていたようです。

それらをほっておくと、今目のまえにあるものとすぐに結びつけて「このせいで気分が悪い!」と言いたがります。でも、違うのです、すべての不快な感情は今ではなく、いにしえのものです。

誰かにイラっときたら、すぐに自分の内側に向かえるようにいつも心したいと思います。もう青たん作りたくありませんものね・・・笑。自分を虐待するのはやめましょう。

 

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おみやげ from the U.S.

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開けるまえからいい匂い、それにずっしり重いのです。

アロマキャンドルかな〜? と思ったら、

バスソルトでした〜!

きれいな色で、Ocean Mist、Rain、Rose、Lavender・・・ などの香り。「魂をふるわせる」「ハートを癒す」「自分へ還る」「解放される」というそれぞれの効用が書いてあります。

え〜?! どれから使おう♡

あら・・・「No dogs in the bath」という手書きの注意書きが・・・。いれませんわよ・・・(苦笑)。

このワンちゃんも一緒にやってきたのですが、この子、吠えるのです。

日本のおもちゃだったら「ワン!ワン!」ぐらいだけど、この子は、

「ウオン!ウオン!フガッフガッフガッ(おもいっきり鼻ががなってる)・・・ウオン!ウオン!ハフッハフッ・・・」

けっこうリアルに激しくって、大笑いしてしまいましたよ〜。

アロマのバスソルトも癒しだけど、この子もいまイチ気分がのらないときに一気に笑わせてくれそうです。

PS この子に名前をつけようと思ってベンとかテッドとかどう?って聞いたら、自分はクリストファーだと言っています。(そうなの?笑)

 

 

なつかしの場所

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ふた周りほど回って、ふり出しに戻った ・・・そんな感じがしました。

秋から、日本ヒプノセラピー協会のヒプノセラピスト養成コースで使う教室スペースの下見に行ってきたのですが・・・ それは、青山のホンダビルの隣にある「ウィン青山」というオフィスビル。

ここはその昔、「オフィス・るん」の最初のオフィスを開いた場所なのです☆  あ〜、なつかしすぎる〜! このビルの4階だったのですね。

あらためて気づきましたが、あれから ・・・ なんと、もう20年になるのです!!

すっかりリノベーションされてモダンな雰囲気になっています。以前のビルはレンガ色でしたが、

今は、クールなグレーになってる!

煙草の匂いがたちこめていたロビー階もピカピカに。

オフィスというよりもゆったりとくつろげるスペースにしていたので、お友だちの助けをかりて大きな窓全面にウッドブラインドをつけてもらい、ふかふかのカーペットや、気持ちのいいソファ(これは今も愛用中)、

そして、部屋に飾っていたたくさんのユーカリやローズウッドのアロマがいい香りで、いつも廊下までその香りがただよっていましたっけ。オジサマ方ばっかりのオフィスビルだったので、「こちらは何をしているオフィスですか?」とよくたずねられましたよ。

仕事中に時間があいたときには、近所の神宮の銀杏並木や青山墓地あたりを歩くのが楽しみでした。

そういえば、あの頃は長期で海外に行くことがたびたびあったのですが、ついうっかり空調を切り忘れて一ヶ月近く留守にしてしまったのです。すると翌月、空調代だけで7万円ぐらいの請求がきてひっくりかえりそうになりました。それ以来、留守にするときはビクビクものでしたよ。

また再びここに戻ってきて仕事をすることになるとは・・・。当時の初々しい気持ちをちょっぴり思い出しました。

あの頃は仕事が終わるとオフィスのある青山一丁目から渋谷まで、お店をながめながら歩いて帰るのが好きだったのです。で、昨日も渋谷まで歩いて帰ってきました。あれ? こんなに遠かった〜? 足いた〜い!

・・・ たしかに20年たっているわ〜(汗)と、実感したのでした(笑)。

 

お茶の間シネマトーク「最後でさかさまに・・・メッセージ」

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アカデミー賞で話題になっていた「メッセージ」を観てきました。

今までの、よくある「未知との遭遇」ものとは違います。宇宙船はきらきらぴかぴかハイテクじゃないし、宇宙人もあのアーモンド型の目をしたロズウェルくんタイプじゃないのです。

何でできているのかわからない黒っぽいサナギのような巨大物体がタテに浮いていて、世界中に12本。

18時間おきに112分だけ、その底の部分が開くのです。だからといって、なかに入ってみる ・・・?!(汗)絶対イヤだわ!

コミュニケーションをするというミッションを担った言語学者のルイーズたちがなかに入ってみると ・・・ いました! 透明な壁のむこうにエイリアンの影。ぜんぜんインテリジェンスを感じさせない原始的な風袋です。そうですよね〜。宇宙人はみんな二足歩行だと信じているほうこそ、イマジネーション不足です。

たしかに 、宇宙の果てからやってきたのであれば、同類と感じるものよりも意表をついててほしいですもの。そういう意味では正しいのかも・・・。

ルイーズは、ことばを話せないこどもとコミュニケーションをするように丁寧に相手との意思疎通をはかろうとする一方、軍は業を煮やしていまにも攻撃の態勢です。

未知の生命体が示す文字には過去や未来の時間がないことがわかり、つまり「時間が存在せず、すべてが同時にある」とう概念がルイーズのなかにも芽生えてきます。(詳細はネタバレになるのでふせておきますが・・・)

新しい概念を理解するには、ルイーズのように勇敢でオープンマインドで、わかりたいという情熱が必要です。怖れていて攻撃的である心には、決してそれは理解することができないのです。あ〜これは、わたしたちが本当の「自分」に目覚めていく過程とまったく同じです。ある意味では、自分を捨てる、つまり死を覚悟しているような勇気が必要なのです。

そして、ルイーズは覚醒(?)していきます。

過去と未来が交錯するストーリーにアタマがウニのようになりそうでしたが、終わってから「あ、そういうことだったの」と。あの「シックスセンス」のように、最後に「そうきますか・・・」というちょっとしたドンデンがえしがあり。

それがわかるとちょっと感慨深いし、いろいろと見逃していた伏線もあったように感じます(もう一度みなくちゃ?!)。

おおごとが起きているはずなのに色彩をおさえた画面からはシンと静まりかえった雰囲気が伝わります。そこに未知の物体と生命体が発する不気味な音とルイーズの息づかいが重なり・・・ルイーズの目線になって、今までにないエイリアン体験ができます。

しかし ・・・ 時間を超越するような悟った知的生命体であるなら、なぜこんなにまどろっこしいコミュニケーションの仕方になっちゃったんでしょ?もっとダイレクトな方法があったのでは? という素朴な疑問もありますが・・・(笑)。

こちらには「wired」という原作があり、エンディングが違うそうなので、そちらももうひとつ楽しめそうです。

 

気づきの日記「人生にアフレコしないで、そのままにすること」

以前、友人とイタリアを旅をしていたときのこと。

夜なにげでテレビをつけたら、「マジソン群の橋」という映画をやっていました。もちろんイタリア語で。

イタリア語はわからないので、このさい音声は消してしまって、私と友人がそれぞれメリル・ストリープとクリント・イーストウッドになってアフレコ遊びをしていました。好きなセリフをてきと〜にあてはめていたのです。

言うまでもありませんが ・・・ 見るかげもないほどまったく違うストーリーになっちゃいました(汗)。あの橋のうえのせつないシーンだって、情緒もへったくれもあったもんではありません。そっけないことこのうえない(笑)。

映像はまったくそのままなのに、ただセリフを変えただけでストーリーってまったく違ったものになっちゃいます。

ということは、そこで起こっているように見えること(映像)よりも、それにどういう意味をもたせるかっていうことこそが、そのドラマがどういうものであるかを決定しているのですね。

ところで、わたしたちが毎日見ているこの世界、この日常も、もしも最初から音声などついていない映像だけだとしたら・・・(つまり無声映画です)。

そして、それを見ているひとりひとりが、それに勝手にアフレコしたり、好きなように解釈あたえているとしたら・・・。

そりゃ、同じ映像を見ていたとしても、ひとりひとりが違うストーリーを体験することはまぬがれません。そして、違う体験をしているからには、まったく違う解釈や意見をもったり、また違う気持ちを感じるというわけです。そこで食い違いがうまれてあたりまえです。

あの音のない「マジソン群の橋」を、アフレコや解釈によってどんなドラマにも仕立てることができるように、私たちの日常もじつは「音のない」「決まった意味もない」映像にエゴが勝手にセリフや解釈をでっちあげて、独自のエゴストーリーを展開しているとしたら・・・? 耳にする音も、うかんでくる考えも、解釈も、すべてエゴがアフレコしているとしたら ・・・?

それはエゴのストーリなので、きまってジェットコースターのような急転直下に見まわれたり、最後はお決まりのエンディング「御愁傷さま」状態が待っているというわけです。

う〜・・・ん。だったら、自分でセリフをつけない解釈しないに限りますよね。

だからといって、エゴを黙らせることも、エゴの考えを阻止することもよい考えではありません。それをしようとすると、エゴと戦うことになって、存在するはずのないエゴがよりリアルになり、またすべてのエネルギーをエゴとの戦いに費やすことになってしまいます。

それよりも、エゴのセリフや考えを「エゴのもの」として静かに気づいていることのほうが大切です。ただ気づいている、ただ見ている、ただ耳を傾けている・・・。おもしろいもので、じっと観察していると、それはだんだん弱まってくるのです。静かになります。

「これはエゴが言っているんだな」「これはエゴがびびっている」と気がついて、じっと観察して、耳を傾けている・・・おもしろいもので、すぐにエゴくんはシン・・・としてきます。

ってことは、観察しているホンモノの自分とエゴは元気いっぱいにに共存はできないらしく、ホンモノ60%、エゴ40% というように、両方でいることはムリらいのです。となると、どうやら、「私」がエゴにまるまるのっとられているか、あるいは正気でエゴを観察しているか、ふたつに一つのようです。

気がつけるようになると、今までは知らぬまにエゴにのっとられ放題の瞬間ばかりだったのが、だんだんエゴの出番が少なくなってきます。出てきても、すぐにわかるようになります。

どうやら私たちの人生にしても、無声映画のごとくストーリーはストーリーとして独自に展開していくようです。だから、わたしたちにできるのは、アフレコしたり独自の解釈を加えてエゴのストーリー展開にしないことなのです。これこそが、なにも手だしをしないで「ゆだねる」「おまかせする」ということ。

エゴは意味を見つけることこそが賢いことだと思っているので、つねに「これはどういう意味?」「なにが起きている?」「〜にちがいない」と意味を見つけることに必死になります。でも、エゴの見つける意味は自分を幸せにはしてくれないようです。

ただ無声映画をみているときのように、ストーリーがストーリーを展開していくにまかせておくこと。

エゴが介入しない人生独自のストーリー展開には、独自の知性と完璧さがあらわれてくるようです。

だから、「人生が人生を生きるにまかせる」。つまり、わたしがいちいちちゃちゃを入れない。私はこの言葉が好きです。

 

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【ヒプノセラピー 体験プチセミナー】 6月、7月

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

「ヒプノセラピーってなに?」「どんな効果があるの?」「誰にでもできるの?」「ほかのセラピーとどう違うの?」「セラピストになるには?」・・・

リラックスした雰囲気のなかで、ヒプノセラピーについてのあれこれを学びながら、実際に体験することができるプチセミナーです。日々の疲れがとれたり、あるいは、心について、自分自身について、新たな気づきがあるかもしれません。どなたでも、気軽にご参加ください♪

*内容
・ヒプノセラピーってなに? どんな効果があるの?
・ヒプノセラピーと他のセラピーの違いは?
・ヒプノにかからない人がいる? 誰にでもできるの?
・ヒプノセラピーはなぜそんなに効果的なの?
・リラックスできるヒプノセラピー、プチ体験
・ヒプノセラピストになりたいけど・・・養成コースについてもっと知りたい
・お茶を飲みながら、ヒプノセラピーなんでも Q&A

*日時
A : 6月24日(土) 19:00~20:30
B : 7月14日(金) 19:00~20:30

*場所 : 表参道(渋谷区)

*講師 : 古川貴子
(ヒプノセラピスト、日本ヒプノセラピー協会理事・講師)

*参加料 : 1,000円(お茶とお菓子つき)

*お申し込み方法 → こちらのフォームからどうぞ
(「体験コース」参加希望とご記入のうえ、希望の日にちをご明記ください。)
追って詳細をお知らせさせていただきます。

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ヒプノセラピーを学んでみたい → こちらから(日本ヒプノセラピー協会サイト)

(社)日本ヒプノセラピー協会
http://hypnopotential.com