furukawaさんのブログ

かわいらしい赤い箱

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

なかみはバームクーヘンで〜す♪

黄身を指でつまむことができるようなこだわりたまごをたっぷり使っているそうで、

まさに黄身の色、あたたかなたまご色です。

色だけでもおいしそうなのですが、口にいれるとふわっとたまごが香って、しっとりやさしいお味です(そうそう、まるでたまご焼きのよう!)。

すこ〜しあたためてもさらにいい香りになりそう。明日はぜひあたたかバージョンで!

Mさん、とってもおいしいバームクーヘンでしたよ〜!  ごちそうさまでした♡      ( ・◡・ )♫

 

気づきの日記「人から攻撃されがちです・・・」

Q: 職場でも日常の人間関係でも、責められたりイジワルなことを言われたりすることが多いように思います・・・。

A: なにかしら自分に攻撃がやってくるとき、それは外側の世界やらやってくるように見えるので、自分にはコントロールできないように感じてしまいます。

しかし、自分のこころが「責められている」「攻撃されている」と言っているのであれば、やはりそれは自分のこころのなかに存在する問題なのです。

そして、「自分」の問題であるからこそ、幸いにもそれは自分自身で変化させることができます。

私たちは「その出来事」に「その意味=イジワル・攻撃」がセットになっていると信じがちですが、じつはそうではありません。

同じ体験をしたとしても全員それに対する知覚(何を体験したのかの意味)は違ったものになるからです。全員、まったく違う体験をし、それを解釈しています。

となれば、自分がその出来事についての意味を「選んでいる」というわけです。それが、この出来事についての「自分自身の理解」なのです。

自分のなかに存在していないことは決して理解できません。その出来事について「イジワルされた」「攻撃された」という意味を選んだということは、無意識のうちに自分でも「イジワル・攻撃」というワザを外側の世界へとくりだしている、ということになります。

私たちは「自分のなかに存在しているもの」だけを知覚することができます。自分のなかにないものは、知覚しません。

「責め」「攻撃」を知覚するとしたら、それは確かに自分のなかに存在していて、そこにあるからこそ世界や人という外側のスクリーンに映し出すことによって眺めることができます。

人のなかに自分の隠しもった姿を映し出すことで、エゴはそれを公然と裁くことができ、裁きによって自分の存在を肥大化しようとたくらみます。

このように自分の中のエゴを人のなかに映し出して見ることによって、「人は間違っている!けれど、私は正しい!」と裁きをくだし、自分のなかに隠れている間違いをパワーアップすることに成功しているのです。

外の世界に間違いがあるように見えるなら、自分のなかなど正す必要はないので、エゴの間違いはただただ力をえてゆくのみです。

しかし、もし「外に見える以上、それはもれなく自分のなかにある」「あるからこそ見える」と認めることができたなら、自分が直面している状況(イジワル・攻撃)に変化をもたらすことができ、その状況から解放されることが可能です(なんせ、自分が映し出していたので)。

そしてまた、自分が隠蔽して巨大化させつづけていたエゴを駆除して、本来のしあわせな自分の道へ戻ることもできるのです。

そのためにはまず、自分のこころの動きに注意してみる必要があります。

あからさまな責めやイジワルでなくても、そこはかとない批判や裁き、攻撃の想いを見つけることができるかもしれません。

たとえば、テレビを見ていて出演者に「わあ!このひと、バカなこと言ってる!」とか、道ゆくひとに「なに?このファッション?!おかしい」という具合に、つねにぷちディスっている自分を発見するかもしれません(あからさまに攻撃せず、かすかに責めているように見えるかもしれませんが、責めて攻撃していることになんら変わりはありません)。

あるいは、よわよわな被害者になることで、自分がよい人であることを強調し、相手をわざわざ悪者に仕立てあげている場合もあります。

少しでも自分が上になって見下している感覚があったり、あるいはやられちゃっている可哀想な自分にとどまっている感じがあるなら、それこそが自分自身が「責め」や「イジワル」、不条理なことを積極的にこうむる原因をつくっていることになります。

自分が与えたものは、必ず自分のものになるし、また与えていないものは、どのようにしても自分のものにならないのです。

なにを見ても、なにを体験しても、エゴの判断、感想が自動的に出てきてしまうのが私たちです。

それは仕方がないのですが、むしろそれを無意識のままほっておくことによって、自分の苦しみの原因を取り除く機会を逸してしまうことになります。

裁いてしまうのがサガなのであれば、そこでいちいち罪悪感を感じて目をそらすことよりも、まず素直にどれだけそれをやっているのかを逐一観察してみましょう。

そこはかとなく自分が責めたり攻撃したりしているのに気づいたら、それをハイヤーセルフに渡してキャンセルしてもらいます。そして、自分が幸せになる新たな意味を教えてもらわなくてはなりません。それは攻撃するために判断するのではなく、愛でるために見ます。

それができるようになるには、自分のこころのなかで24時間勝手にながれている「価値判断」の声に耳をすませる練習をする必要があります。

これがほんとうにできるようになると、「え〜〜〜!私って、こんなに裁いているの?!」と自分の考えにびっくりするかもしれません。

オメデトウゴザイマス!自分の考えにガッカリしてこそ、ほんとうにそれを手放そうと決心することができます。自分が世界にたれ流していた(?)、自分の問題の原因を回収することをようやくはじめられます。それは、ほんとうの安らぎへの扉が開くときなのです。

裁きの考えがなくなればなくなるほど、「責め」「イジワル」「攻撃」から自由になります。自分の世界が安らかになるのを感じます。

まずは、自分の間違った想いに気づくことからはじめて、ハイヤーセルフとともに正しく知覚できるようにつねに助けてもらう習慣をもちましょう。

それは、幸せな世界であるパラレルワールドを選ぶことでもあるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

お友だちと久しぶりゴハン

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

九州からお仕事で来ていたお友だちと久しぶりの再会。

もうなが〜〜〜いおつきあいのお友だちですが、ついこのあいだのように話していることが、「え〜っ! あれって、もう二十年もまえ!?」なんてことに。

若人のみなさん、気をつけてくださいね。あるトシをすぎると、時間にイジワルされているような、まるで欺かれているような気分になりますから・・・。

「ついこのあいだ!」と思っていることが、あらら〜!十年まえどころか、もう二十年もまえ。二十年ってかんたんに言うけれど、生まれたばかりの赤ちゃんが成人しちゃうぐらいの時の流れですからね〜。

この時間の速さ、どう考えてもなにかがおかしいとしか思えません(汗)。

そうはいっても、そんな時の流れのなかで、自分もいく度か脱皮してちがう人生を生きているようにも感じるのですが、旧友に会ってみればなんら変わっていないようにも感じます。

よくセラピーをして、こころのなかのホコリを落とすとちがう人になってしまうのでは・・・と心配される方がいますが、そんなことはありません。

こころのチリをはらうとよりリアルな自分になるので、以前よりも人との距離が縮まって心地よいつながりが感じられたり、人やモノや体験とのかかわりがより濃くなるように感じます。

さて、本日の再会ディナーですが、ちょっと上品な焼き鳥屋さん えびす坂鳥幸さん@恵比寿ガーデンプレイスタワー 38F。

前菜・焼き鳥とお野菜の串いろいろ・親子丼・デザート。お肉がジューシーでとっても美味でした。

煙もくもくでシッポが出てしまいそうな焼き鳥屋さんも好きですが、ゆっくりしたいときにはオススめのお店です。

いつも時の流れを感じさせない変わらぬおつきあいに感謝の夕べでした。

 

 

百金マカロン

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ブームはさったけれど、あいかわらずマカロン、好きです♡

それを知るお友だちが差し入れてくれました。「フランスのマカロンだよ〜☆」って。

バニラ、チョコ、キャラメル、さすが本場モノ、とてもおいしいです♡ マリーアントワネットもこんなの食べてたのかな?

すると、お友だちが「おいしかった?あれね、じつは今流行の激安スーパーで300円でゲットしたマカロンなのよ〜(笑)」とたねあかし。

まあ、いまどきのスーパーはフランス製のマカロンなんて手に入るの?! それも、たったの百円で本場の味?! (ふつう、一個二〜三百円、ピエールエルメだと一個五百円のものも!)

百円となれば、おまんじゅうを買う気安さ!さっそく教えてもらったお店に向かってみると・・・

商品棚はカラッポでした。

あらら! みんな、にわかに百金マカロンにめざめちゃたのかしらん? おフランス製、ゲットしそこないました〜☆

 

気づきの日記「映像よりも、コワいのは音!」

「こどもの頃、エクソシストってえらくコワかったよね! 女の子の首がグルって回ったりして・・・」「コワかった〜!」



怪談やお化けものじゃないホラー映画のはしりです。女の子に悪魔がのりうつって、助けにやってきた神父と闘いをくりひろげます。

お友だちとそんな話しをした後に、こんな YouTube が送られてきました。



ありゃりゃ!(汗)めちゃコワかったクライマックスシーンが別ものに! コワいどころか、抱腹絶倒。同じ画像でも、こうも変わるものか!?

他のお友だちにもシェアしたみたところ、「結局、映像よりサウンドのほうが影響力があるのかもね」「無音で恐怖DVD観ると、あまり怖くないからなぁ」と。

そうなんですよね。そこについている「音」がくせものなのです。

私たちは見えている映像よりも、「音」を怖れているのです。

たとえば、自分が部屋でコーヒーを飲んでいる画像をイメージします。

ここに「ジョーズ」のBGMがついていたら、どんな感じ?・・・「未知との遭遇」だったら?・・・(スミマセン、両方とも古すぎてわからない?汗)

これらのBGMだと、ちょっと不穏な感じ、なんかよからぬことが起こりそうな、ザワザワ感をよびさますかもしれません。

じゃあ、Queenの「We will Rock You」 だったら?・・・アナ雪の 「Into the Unknown」 だったら?

なんか、ちょっと力が湧いてくる感じ、なにかが始まりそうな感じ。

ひとつの場面も、BGMが違うだけでまったく違ったストーリーの一部となります。

じつは、私たちが目にしている日常の世界という画像も、BGMがついています。

BGMを選んでいるのは自分で、それがまさに自分のテーマソングになっていて日常の色みを決めているのです。(いつも何かにおびえているビクビクさんは、無意識のうちにジョーズがなっているのかも。)

その自分専用BGMは、毎日、年がら年中かかっているので、もう自分では慣れっこになっていて(踏切の隣に住んでいる人が、カンカン鳴る警報をいちいち気にしないのと同じで)、自分ではまったく聞こえていないのです。ほぼ無意識になってしまっています。

でも、いつもアタマがガンガンする感じがしたり、何かにおびえているかもしれません。

そのBGMが、「あるがまま」という何でもない画像のうえにかぶさって、自分のストーリーの色あいを醸し出しているのです。

私たちが人生のなかで何かを怖がったり、脅威を感じているときには、目のまえで起きていること(画像)が問題というよりは、まさにこの無意識となったBGMに怯えさせられている、ということなのです。

いつだってコワい原因は、決して映像(起こっていること)にあるのではなく、音。そこに被せている無意識の自分の想いであり、価値判断であり、感情なのです。

でも、私たちは「このイヤな感じは、私が目にしているもの “そのもの” のせいだ」と勘違いして、外側の画像を変えようとやっきになりますが、結局変えられません。変わったように見えても、変形して別の形になるだけなので何も変わってはいません。

それは、「変えなくちゃダメだよ!」とあおって、無力感を感じさせるのがエゴのやり口です。「頑張ったのにやっぱりダメだ〜!」という挫折感をためこませたいのです。

唯一変えることができるのは、BGM(無意識のうちに自分のこころが、想ったり、判断したり、感じていること)。BGMさえキケンでなければ、画面を変える必要はありません。

イヤな感じたしたら、いったい自分はそれにどんな意味(音)を与えているのか意識してみる必要があります。自分がどんな音を与えていたのかに気づけば、それを「無音」にするために手放すこともできるからです。

「自分こそがつけていたBGM」に気づいて、「変更する」意志をもつことで、エクソシストのキョーフの場面に大笑いしたように、最悪と感じていた場面がじつは最大のチャンスの場面に変えることができるのかもしれません。

さらに、ハイヤーセルフにお願いしてBGMをつけてもらえば、それはきっと身もこころも踊るワクワク感にあふれた喜びの場面になるのかもしれません。(これぞパラレルワールド☆ですね!)

PS 今、お友だちから、笑点のテーマ曲がオススメとのメールがきました!(笑)イイですね!

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「豊かさに導いてもらいましょう!」

今年の目標はなんでしょう? もう決まりましたか?

「もっと運動をしたいです」「お酒を減らしたいです」「勉強したいです」 ・・・ などなど、それらはみんな「〜したい」か「〜しなようにしたい」ということ。

それは、もともとうまくいっていないなにかがあって、その修正が目標となります。

「健康診断でNG出されちゃったから、運動したい」とか「太っちゃったから、お酒減らそう」、「進学できなくなるから、もっと勉強しよう」など。

不満足さ、足りなさがベースとしてあり、その不満足さゆえの目標です。(まったく完全だったら、目標の意味がありませんものね。)

でも大切なのは、「こころは、信じていることしか見ることができない」ので、もし「不満足」が前提であるのなら、結局なにを目標にかかげても、なにをつけ加えようとしても、こころで信じている「不満足」を見ることになってしまう、というトリッキーさがあります。

そこにあった想いこそが、結果そのものだからです。

不十分、不満足、不足は、ここにいる誰もが感じている集団的な想いではあるのですが・・・

想いださなくてはならないのは、真に存在するものは唯一であり、唯一であるからこそそれは完全であり、欠けてはおらず、満たされているのです。唯一であるがゆえに、それ以外は存在しません(こころのなかでは、いくらでも不足を信じて自分を欺くことはできますが・・・)。

そして、(たとえどう信じていようとも)私たちは今も、その完全さで満たされたままです(それ以外にはないので)。

そうであれば、不足をベースにしたあれこれの目標よりも、まずその完全性の目線をしっかりと取り戻すことこそが、「すべて」における解決策として必要です。

存在する唯一のものの記憶はこころの奥深くに存在していて、私たちに発掘されるのを待っています。けれど、「なにかが必要だ!」という不完全さの想いとともにそれは姿を消し、受けとられることがなくなってしまいます。

私たちは「自分が見たいと思うものをただひとつだけ選んで、それを見る」からです。「あれ」と「これ」は、同時に見られないのです。選ばなくてはなりません。

不足の想いを信じるのか、それともすでにある完全さを信じるのか。

すべての問題の解決のカギとなる「十分さ、完全さ」に気づくには、こころが忙しく外側にとらわれるのではなく、それが存在している内側に向きなおり、シンと静まりかえる必要があります。

「これ」こそが私を救ってくれると信じていた外側のものへの依存を、いったん手放すことです。

こころという湖面のじゃぶじゃぶがおさまってスーーーッと静かになったとき、こころの深いところからその完全さの光が輝きだして 、その「十分さ」「完全さ」という光のなかですべてを新たに見せてくれます。

そちらへ向かったとき、今までと違ったものの見方に導かれるのを感じるかもしれません。そこにあったあれやこれやのバタバタが洗い清められ、まっさらな静けさのストーリーとして戻されてきます。

ついつい「行動」にたよって、「なにかをする」ことで解決しようとしていることに気づいたら、じっとがまんして、まずはこころをシンと静かにしてみましょう。

自分の「存在の感覚」「ある、という感覚」とつながるようにしてみましょう。

この感覚のなかから自然に起こることはなんであれ(たとえそれが、当初の目標とまったく同じになったとしても)、安らぎのあるストーリーに導いてくれます。

それは、不足の想いから導き出される結果ではなく、すでにある十分さを見せてもらうことになるからです。

新しい年、ぜひ静かにすわって、自分が存在している、呼吸している、ある、という感覚とつながってみましょう。それは、自分の宝のありかに目を向けて、受け入れること。

足りないから「つけ足す」ための目標ではなく、すでにあるから「それを見る」ために、その安らぎと豊かさのなかから導かれてみましょう。

まったく同じように行っているように見えたとしても、そこには喜びや安らぎ、平和、愛というなつかしい光が輝いているかもしれません。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

image/freepik.com

 

初詣 @ 恵比寿神社

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

お友だちと初お茶をしたあと、「初詣にいこうか?!」と近所の恵比寿神社へ。

とっても小さな神社なのですが、商売繁盛や金運にご利益があるらしく、このあたりで商売を営む方や若い方で元日などは大行列です。でも、きょうは大丈夫。

お賽銭箱の横にマイクをもった神社の方が立っていて、私たちがカランカラン鈴をならしてお詣りしているあいだ、そのマイクでなにやら目のまえがパーっと明るくなるような(私たち用の?)すてきなナレーションをいれてくださり、思わず笑ってしまいました。

日本人なので、新たな年にはこうして神社で手をあわせると、筋をとおしたようで(?)こころが落ち着きます(笑)。

 

お鏡もち

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

むかしは年末になると、お鏡もちやしめ縄などを売る露店がたくさん出ていたものですが、最近は見かけなくなりました。

お鏡もちは、飾っておくうちにパリンパリンにひびわれたりして・・・。冬にカカトが荒れると、「鏡もちになった」といって笑ったものです。今のお鏡は、つるんつるん。すばらしいもち肌です(パックになってますものね)。

こちらのお鏡もちは、スウィーツなのです @ペニンシュラホテルさん。たたずまいがなんとも愛らしいこと♡

パン屋さんのある地下をとおると、いつもスウィーツを作成する甘〜いいい香りに満ちていて癒されます。なにをいただいてもハズレなしなので、これもとびきりおいしいに違いありません。

残念ながら、厨房のガラスごしに並んでいるだけで、このときにはお店には出ていませんでした。ぜひ味わってっみた〜い  ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

 

新たな一年を祝して♡

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

あけましておめでとうございます。

新たな 10年がスタートいたしましたね。
さあ!宇宙からの贈りものがあなたのうえにたくさんふりそそきます。両手を広げてスタンバイいたしましょう☆

愛と安らぎにみちた佳きお年となりますように♡

オフィス・るん
古川貴子

 

DARLING DAYS

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

「缶が可愛いかったから」と、お友だちからいただきました。

ナント、愛らしい?!

なかは、ココナッツのクッキー (◍•ᴗ•◍)

お店の名前が、「DARLING DAYS 364 」ですって!

そうですね〜。

日々、ヘコんだり、あきらかに後退してるように感じたとしても・・・

それでも364日は、自分にとって愛しい日々であったらよいな〜。

2020年は・・・ ぜひとも、

怖れのメガネをとおして見るのではなく、愛あるハート型のメガネをとおしてすべてを見られたらよいな〜 ・・・ いえいえ、裸眼こそがハート型なのでした!

DARLING DAYS 364 で! (*˘︶˘*).。.:*♡