furukawaさんのブログ

気づきの日記「しまわれた贈りもの」

お出かけがふえるこの季節、ふだんはあまり開けることがないアクセサリーが入っている引き出しをゴソゴソ。

すると、「こんなものも!? あんなものも!?」と、すっかり忘れさって使われることのなかったアクセサリーたちがたくさん出てきたのです。

「まあ♡ これも使えるし、あれも使える♡」「こんなの買おうと思っていたけど、持ってたじゃない!」と、この引き出しを開けるまでは「無」だったはずのものたちが、いっきに姿をあらわした感じです。

しまっておけばそれらは自分でも気づくことがなく、もしかすると同じようなものを買いに走るかもしれません。そして、それもまた引き出しにしまいこみ、「私はもっていない!」と・・・。

しまっておいて手にとらないかぎり、すべては「なきもの」にすることができちゃうのです。

それは、私たちのなかにある自分本来の「贈りもの」についても同じことが言えるのかもしれません。

その私たちの「贈りもの」はこころのなかにしまいこまれて、気づいてもらわないかぎり、引き出しのなかのアクセサリーと同じにまったく「なきもの」にすることができます。そして、「ない!」「ない!」と騒ぎます。

しかし、それらをひっぱり出して表現することによってこそ、自分自身でもはじめて「私はもっているのだ!」と気づくことができます。表現こそが、持っていることを教えてくれる作業なのです。

だから、「私にはないのだ」と決めこまずに、「ない」と思うものこそみずから表現してみる必要があるのです。

すると、はじめて「あったのだ!」と自分自身で気づくことができるようになります。

これは、夕べある大切な人のことを想いだしていたときに(その人はもう天国に移住してしまったのですが)、「何年かかったら、私もあのように暖かなこころをもつことができるかしら?」と思ったとき、ふとこころのなかで教えられたことです。

☆☆☆「何年かかる?でも頑張る私」・・・ これもポジティブな考えのように聞こえますが、じつは巧妙なエゴのワナでもあります。なぜなら、本来すでに完璧な愛である自分をごまかしてしまい、愛を今なきものにしてしまう言い訳だからです。

「今はないけど、いつか手にする」という考えは、「たった今」自分の引き出しのなかに眠っているものを完全にカラにしてしまう考えなのです。「私には今はない! けれど頑張る!」と。

「それらはすでにそこにあると信じて、欲しいと思うものをただ表現してごらんなさい ・・・」

「たった今、この瞬間、瞬間に、ただ愛であるように、やさしさであるように。小さなことでも愛の表現であろうとしてごらんなさい。それは、そこにあったと気づきます。ずっとあったのだと気づくことができます」と。☆☆☆

私たちは引き出しにしまいこんだものにはカギをかけて、欲しいものをさがしに外にむかって走りだします。そして、一生引き出しには気づくことがありません。

「引き出しから出してみるために、ただ表現してみる」・・・ それだけでよいのですね。

こころにやさしくとどいたクリスマスのメッセージでした。˘⌣˘♡

 

 

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Merry Christmas...☆

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一年間がんばったご自分にも、ステキなプレゼントをお忘れなく! ( ・◡・ )♫

 

気づきのぷちノート「受け皿をひろげる」

いただきもののクッキーです。おいしそ〜っっ♡

一口いただいて ・・・ ありゃ?! とびっくり。

甘いバニラ風味をイメージしていたら、想定外の塩味!

フタを見たら、「サレ(塩味)」の文字が。ゲランドのお塩を使った、赤はトマト、グリーンはバジル、イエローはチーズという、お野菜感とチーズの香りがいっぱいのサブレでした。

人って自分の想定した受け皿にあてはまらないものがくると、知覚がフリーズして素直に受け入れようとしなかったりします。だから、一瞬おいしいのかどうかわからなくなりました(モチロン、このサブレはとってもおいしいです♡)。

お友だちとランチをしていたときにも、そんなことが。

パンにグリーンとオレンジのコンフィチュールがそえてあったのです。口にしたとき、クリーンはオリーブとケッパーだとすぐにわかったのですが、オレンジの方はなん度口にしても味がさっぱりわからず ・・・なんか、まずっっ!(汗)

「なにコレ!?」という私に、お友だちが食べてみたら「たかちゃん、これトマトだよ!」と。

私は色から察してマーマレードだと信じていたので、マーマレードの味しか受けつけず、なんだかとってもヘンなお味に感じたわけです。けれど、あらためてトマトとして味わうと、素直においしくいただけました。

人間って、結局は、見るもの、聞くもの、体験すること、すべてを自分の「知ってること(受け皿)」にあてはめて、その受け皿に存在するデータから良いとか悪いと解釈しようとします。そこにあてはまらないものは、却下されたり、否定されたり、無視、拒絶されるのです。

また、そのデータから「昔、おなじ場面ではキケンだった」「うまくいかなかった」、だからこうするべきだ!という忠告がやってきて、また過去と同じパターンをくりかえすことになり、まったく同じ結果を手にすることになります(いつもグルグル同じこと!)。

自分の知っていることなんて、たかが知れているのに・・・。そんな小さな受け皿にこだわりつづけていると、せっかくやってきた新しい贈りものも無意識のうちにすべてスルーしてしまうことでしょう。

人に会うときも、何かを体験するときにも、まっさらな気持ちでいられたら(誰々さんに似ているとか、以前のあれと同じとか、過去に結びつけて解釈しようとしなかったら) ・・・。すべてはじめての体験となり、イヤだも、コワいも、ダメだも、ネガティブな感覚はひとつもなく、すべてがまったく新しく新鮮なわくわくする贈りもののように感じるかもしれません。

そうなったときにはじめて、自分を攻撃するものなどひとつもない、安全で穏やかな、こころから安心できる世界を見られるのかもしれません。

 

 

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忙しい師走の安らぎランチ

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12月も中旬になると、あれやこれやと忙しさがましてきます。

「年内に一度来てくださいね」というクリニックの予約やら、「このぐらいは年内に掃除しとかなきゃ!」というにわか大掃除やら、さらに年賀状も!

そんな師走のひととき、お友だちが「たかちゃんの好きなお菓子と珈琲をゲットしたよ!」と持ってきてくださいました。

珈琲は、もう十年以上も頂きつづけている GODIVA のヘーゼルナッツクリーム(いつもありがとうございます! お蔭さまで、大好きになってしまいました)。ヘーゼルナッツとコーヒーの香りのバランスがとってもいいのです。日本だと、このサイズは見かけないのですよね。

癒しの一杯で、とろけてしまいそうになります♡

お友だちとのランチは、ご近所の TAVERN にて。

(Chiekoちゃん撮)
わあ! Chiekoちゃんが撮ると、さらにおいしそうに見える♡ エッグベネディクト & デザートのパンプディング。

ここはパンのビュッフェがあって、いま人気のバルミューダのスチームトースターで温めてからいただきます。パンがとってもおいしいお店なので、さらにおいしくなります。

師走のひととき、あれやこれやをお喋りして、大笑いして、すっかりエネルギーチャージいたしました! ありがとう♡

 

 

気づきのぷちノート「幸せになろうとする努力よりも・・・」

私たちは日々、自分に足りないと思うところを見つけだしては、それらにつけ足すためにせっせと走りまわり、あっちをいじくり、こっちを立て直し ・・・ よりよい自分になろうと努力します。

しかし ・・・ そもそも「よりよい自分」っていったいなんなんでしょう? なにを目指しているんでしょう?

すでに「自分ではない」なにものかが、よりよい自分ってどういうこと??

それってもしかして、ほんとうの自分を否定して破壊する行為になってない??

私たちは、あるがままにリラックスして、そのままの自分でいることで、幸せを感じていいはず。そして、そのあるがままのほんとうの自分でいることでこそ、自分にとってのベストの現実を体験することができます。

だったら、幸せになろうと走りまわるよりも先に、自分に尋ねなければならないことがあるかもしれません。

それは、「なぜ、私はこのままの自分で幸せになってはいけないのだろう?」ということ。

幸せになろうとする以前に、すでに幸せがちゃんと保証されていて、

もしも、自分がその幸せを全力で阻んでいるとしたら ・・・ いったい何を思ってそんなことをしているのでしょう?

「幸せになったら、誰もかまってくれなくなる。愛されない」とか・・・

「幸せになったら、イジメにあうにちがいない」とか・・・

「幸せになったら、もうゲームオーバーな感じがして退屈。もっとドラマチック感がほしい」とか・・・

「幸せになったら、私を苦しめた誰かを反省させることができなくなる」とか・・・

「幸せになったら、親の教育方針にあわない(親はこの世界は甘くないといつも言っていた)」とか・・・

「幸せになったら、居心地が悪い(ずっと、ストレスを感じてきたから、幸せなんてむずむずする)」とか・・・

気づかないフリをしながらも、必ずこころのなにかにはなにか企みがあるのです。結局、シンプルに幸せであることよりも、自分のなかの考えのあれこれが好きで、そこにとどまっていたいのです。

つまり、ほんとうは意図的に幸せにならないことを選んでいる、ということ。・・・ でも、それはもう、過去の決意かもしれません。いつだって手放してかまわないのです。

そんな自分の過去の決意に気づくことができたとしたら、そもそも走りまわる努力なんていらなくなって、

たった今、このままで、安らぎ、幸せを感じるてもかまわない、と自分に許してあげることができるかもしれません。

まずは、自分のこころがやっているパターンに気づくことが大切なのですね。

 

 

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【リピーターさん、ヒプノセラピー割引キャンペーン 】実施中!

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12月11日〜17日までの7日間、リピーターさん対象の「ヒプノセラピー」追加セッションを、通常 ¥20,000 ところ ¥16,000 にてお受けいただけます。

こころも少しづつゴミがたまります。また、準備ができると、こころは手放す必要のあるものを問題やネガティブな感情として見せてくれます。自分ひとりでは、問題の核心をみきわめることがむずかしいこともあります。この機会にすっきりとこころのお掃除をしてみませんか?
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●【対象の方】 ヒプノセラピー リピーターさん(「るん」でヒプノセラピー 1クールをお受けになっている方)

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●【期間】 12月11日(火)〜17日(月)

●【セッション料金】 通常¥20,000 → ¥16,000

●【お申し込み方法】 お申し込みフォームより「ヒプノセラピー 1セッション」を選び、期間中の「ご希望のお時間等」をご記入のうえお申し込みください(セッション枠がうまりしだい終了とさせていただきますので、ご了承ください)。
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ご近所イルミネーション☆☆

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季節はずれの暖かさから一転、きょうはぐっと気温が下がりました。

それでも、まだ手袋もマフラーもしていないので、年末にしてはだいぶ暖かく感じます。

仕事終わりのお散歩タイムも、とっぷりと暮れてしまうようになりました。

つめたい風のなかでこそ、イルミネーションが映えますね。(今年の目黒川は、ほんのちょっとだけのイルミネーションです。)

 

 

お茶の間シネマトーク「ルイの9番目の人生」

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予告を観たときから気になっていた作品です。ベストセラー小説の映画化だそうです。

ルイ少年はたった9歳にして、息もたえだえの崖っぷち人生。

なぜなら、毎年一回、災難に遭遇して命を落としそうになるから。

刃物が自分に向かってくるという彼の誕生にはじまって(彼は帝王切開だったのです)、ベビーベッドに寝ている自分めがけてシャンデリアが落下し全身骨折、ようやくハイハイできるようになればコンセントで感電死寸前、はたまた食中毒やら・・・・ついには、崖から落下して昏睡状態に陥ってしまいます。

9歳にして、あまりにも数奇な人生 ・・・ いったい彼はどうしたのでしょうか? 何が起こっているのでしょうか?

みなさまは、何を想像されたでしょうか? わたしも、あらすじを耳にしたときに3つ、4つ推理をいたしました ・・・。

観ていて、これはサスペンスなのか、はたまたミステリー? ファンタジーのようでもあり、ちょっとオカルトチック・・・。観ながら、推理や妄想がふくらみます。

結末は ・・・ 観てのお楽しみ♪ (ちなみに、私の推理はことごとくハズレました・・・汗)

ここに登場する精神科医もドクターも、ちょっとフシギちゃん(苦笑・映画に登場する心理職の人っていつもあやしすぎる・・・)。

いちおう心理職には、クライエントと向きあうときの職業倫理(ルール)があるのですが、映画に登場するセラピストやカウンセラー、精神科医って、そんなの知ったこっちゃない!という感じですね(だからこそオモシロイ?!)。

涙壷度:☆☆☆☆☆(ゼロ・・・お涙ものではありません)

 

気づきの日記「セラピーを受けたのに・・・くりかえす問題」

「セラピーを受けていい調子だったのに ・・・ また同じような問題にハマってしまった ・・・ 」 というとき、

失敗してしまったのではないかという挫折感や、やっぱり変われない私という罪悪感を感じてしまうことがあります。

多くの方が勘違いしているのは、セラピーとは一生のあいだで一回(あるいは1クール・3回)ぐらいを受ければ、もうそれで OK なのだと思ってしまっていること。

残念ながら、なかなかそうはいきません(もちろん、“そのとき” の問題はそのセッションで解決されることでしょう)。しかし、誰でも生きているかぎりは、一生問題に遭遇しつづけます。それが人生というもの。

じつは、すべての人がものすごい量の問題をつくりだす原因をこころのなかにかかえているのです。しかし、それらは無意識化していて、なかなか気づくことがありません。

そのように問題がつぎからつぎへとやってくる人生において、セラピーとは「これは問題だ!」と解釈していたものに対して、だんだん反応しなくなったり、つまり重要視しなくなったり、解釈が変わってしまうために、以前のようにそれを「問題である」ととらえなくなることです。それによって、自分の目にする世界が変わってきます。

そのためには、少しづつこころを再教育してゆく必要があり、たった一回、あるいは数回受けただけではこころのクセから完全に抜け出すことができません。もちろん、そのとき問題だとしていたことに対しては、そのときのセラピーで解決することは可能です。

でも、楽器の練習のごとく、少しづつ練習しながら上達してゆく ・・・ それがこころの再教育にもあてはまります。間違ったパターンが起こるたびに、忍耐強くこころを矯正してゆく必要があるのです。

「これは問題だ!」とさわぎまくるエゴのパターンにだまされず、私たちが静かに完全にスルーすることができるようになるまで、何回もお試しがつづきます。練習問題をときつづけることによって、なんなく答えが導き出せるようになるために、何度も練習させられるような感じです。

そして、練習の成果として、今までとは違う正しい思考や態度が自分のものとなります。

「あの人はいいな〜。私みたいに悩みがなくて。問題とは無縁で、あっけらかんと生きているように見えるもの」とまわりの誰かのことをうらやましく感じ、また自分のことを繊細すぎると恥じてしまうことがあるかもしれません。

けれども、この世界に存在している限り、こころに問題(罪悪感)をかかえていない人はひとりもいません。

難しい問題ややっかいな感情に見まわれているように感じるならば、それは手放す準備ができたとき! そのために、無意識にあった罪悪感や怖れがようやくこころの表面に浮上してきて、それに気づくようになってしまったというわけです。

誰もが問題のタネをかかえています。こころの深いところに、まったく気づかれないように。ない人はいません。でも、「そのとき」がきていない人には、罪悪感や怖れはまったく意識の表面に浮上してくることがありません。

そんな人に「悩みはありますか?」と聞いても、「そんなものありません!悩んでいるんですか? たいへんですね〜」と答えられるかもしれません。けれども、そんな人でもそこはかとない違和感や怖れ、孤独観は感じているに違いありません(それは慢性の頭痛のように、常態化してしまっているだけなのです)。

私たちは、無意識のなかに隠しもっていた罪悪感や怖れを手放す準備ができたときに、問題・悩み・怖れとして隠しもっていたものと向き合うことになります。それを癒すために。

そのときがきたら、解放のときが到来したことを理解して、ただ手放してゆくだけです(今回の人生では、そのようなことは起こらない人もいます。それぞれのときがあります)。

それが始まったとしたら、それはほんとうの自分に目覚めるための時限爆弾(?)が動きだしたときであり、爆発(真の目覚め)が起こるまで、まるでタマネギの皮をむくように、解放としての癒しがつづいてゆきます(こころにある罪悪感や怖れは、よくタマネギやミルフィーユの層にたとえられます。それらを一枚づつ剥がすような作業が癒しなのですね)。

つまり、一枚かたづけると、つぎの層が出てきます。でも、タマネギにしてもミルフィーユにしても、一枚目も二枚目もまったく同じに見えるので、「あれ?セラピーでかたづけたはずなのに、また戻ってきちゃった」と思うわけです。

それは戻ってきたのではなく、ただつぎの層に進んだだけです。癒しがさらにディープに進んだというわけです。でも、事象としては、前回とまったく同じような状態であらわれるので、まるで失敗したからまた同じことをくりかえしているような敗北感を感じてしまいます。でも、いつかは皮はむききれ、層はなくなります。

このように、こころはたくさんの層をなしているので、根気よく浮上してきたものを一枚一枚はがしてゆく必要があるわけです。

それをしてゆくうちに、古いものの見方が完全に正されて、正しいあるがままのものの見方、考え方を身につけてゆくことができるようになります。それは、痛みをしらないものの見方です。

だから、一回セラピーを受けたのに「失敗した!」と自分を責めずに、問題が出てくるたびに「癒しがすすんだから、新たな層が出てきた!」と忍耐強く向きあう必要があります。

そんなわけで、セラピーを習慣化して一ヶ月に、あるいは数ヶ月に一度、こころのお掃除にいらっしゃる方が多いのです。実際、少しセラピーにいらっしゃらないと、溜まった感じが不快に感じるとおっしゃいます。もちろん、ご自分でケアすることもできます。

そのように忍耐強く向きあってゆくうちに、今までとは違った世界の見方を確実に自分のものにしてゆくことができます。

そんなわけで、そのときがきていて癒しがはじまっていると感じたら(問題がどんどんやってくるように感じたら)、それは長いあいだ抑圧されて、完全に闇に葬られていたものがようやく春の雪のように消え去ろうとしているプロセスです。

またとない解放のチャンスをいただいているときであり、「今ならできる!」というときです。

あせらずに、ただ気長にそれに向きあって、こころのなかを見てゆくことが大切なのですね。

 

 

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気づきのぷちノート「今あるものがあるもの」

たった今、経験していることを、ただあるがままに経験してみます。

正直に、なにひとつ避けることも、抵抗することも、隠すことも、意味を変えようすることもなく・・・。

今あるものだけがほんとうに「あるもの」。これだけがあって、これだけで OK 。今の経験にとどまるならば。

なぜなら、これがあるものだから。

たとえば・・・

ある朝、冷蔵庫をあけると玉子がころんと一個あったとします。で、目玉焼きを作って食べました、マル

けれど、「え〜!玉子一個だけ? ベーコンがあったらベーコンエッグができるのに。トーストもないなんて?」という考えがよぎったとたんに、たった今あるのもが残念でわびしいものになります。

なにも言わなければ OK だったのに・・・。

あるがままにちゃちゃを入れることで、惨めになることにまんまと成功しました。

私たちはいつもこんなことをしている気がします。

思考が「あるがまま」にちゃちゃをいれるやいなや、とたんにそこにあった平和が打ち消されて問題がつくりだされるのです。

たった今、ここで起きていることとピッタリと親密であること。なにか(不平不満、価値判断・・・)が入りこむ、ちょっとのスキマもつくらないこと。起きていることを起きているままにしておくこと。

わたしたちは、「こうだったらいいのに、こうあるべきなのに・・・」とあたりまえのように口にするけれ、そのセリフは今あるものにはまったくあてはまらないのです(ほんとは、「今あるもの」について、ありえないセリフなのです)。

なぜなら、これだけがあるから・・・。

じゃあ、すべてに対して OK と言おう!ときめます。さて、いったいどんな気持ちになるのでしょうねか? (自分のなかでなにが起こるか、それも観察してみましょう!)

 

 

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