furukawaさんのブログ

気づきのぷちノート「♪愛をとめないで〜♪」

♪愛をとめないで〜、そこから逃げないで〜♪ ・・・ 今日のような秋を感じる日は小田和正さんの歌声がぴったりですね。

どのような人間関係においても、かならずフラストレーションはつきもので、愛をとめたくもなるわ、そこから逃げたくもなるわ ・・・。

家族、恋愛、職場、友人・・・ おもわず「もういいわ!」と距離をおきたくなったり、実際に関係を終わらせてしまったりすることがあります。

その昔二十代のころ、私が人に対して邪険な気持ちをもったり、切り離す気持ちをもつと、きまって声が出なくなったりしたものでした。

はじめは自分の邪険な気持ちと、声が出ないこととの因果関係にまったく気づかなかったのですが ・・・ 三回ほどくり返されたとき、「ん? もういい!って思うと、声が出なくなる?」と、そのパターンに気づいてしまいました。

つまり、愛を出し惜しみして、人に対して理解を失うと、自分の表現手段である「声」も失う、ということが起こるのです。

正直なこころを表現しなかったから、ストップしてしまうのでしょうか? (人に対して「もういいわ!」と言ったつもりでも、じつはエゴに対して「もういいわ!これ以上、愛のない言葉をしゃべるな!」と言っていたのかもしれません。・・・汗)

私たちは、ほんとうの気持ちを偽ったり表現しないことによって、自分を守ることができると勘違いしてしまったりします。しかし、それは本来の自分をねじまげることであり、自分に苦しみを与えてしまいます。

自分の本性である「愛」は、自分が違うものになることを許してくれないのでしょうね。「愛」はとめることができないのです。

ほんとうの自分に対して正直さを欠いてしまったとき、いきなりそこまでの症状は出ないかもしれません。最初は、閉塞感、孤独、怒り、怖れ、悲しみ ・・・ というようなささいな不調として知覚されるかもしれません。

しかし、こころパワーはあまりにも強いので、本当の自分の思いに無理にフタをしておこうものなら、フタがふっとんで怪我をするか、自爆しかねません。(以前、強炭酸水をマイボトルに入れて持ち歩いていたら、平たいフタが空高くふっとんで爆発物のごとくなったことがありましたっけ・・・こころはそれどころじゃないです!)

本来の自分自身である、愛や思いやり、優しさ、理解、気遣い、喜び、穏やかさが自由に流れて、表現されていないときには、自分自身にとって大切なものが欠落しているように感じるものです。

だから、閉塞感を感じたり、落ち込んでいたり、体調がすぐれないときには、いつのまにかほんとうの自分自身のバルブがしまっているか、きつくフタをしてしまったのかもしれません。

そんなときには、目のまえにある問題はいったん脇において、身近な誰かに対して優しさや思いやり、気遣いや安心感を表現してみましょう。

そうするとバルブがゆるんできて、本来の自分という「愛」のちからが戻ってくるのを感じるかもしれません。

 

 

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行動のパターンが同じ(笑)

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お友だちのAちゃんとデートの約束をすると、きまって待ち合わせ場所よりまえにばったり出くわします。

地下鉄の通路だったり、お手洗いだったり、途中のお店だったり ・・・もう4〜5回起きているので、どうやら考えていることが同じらしい(笑)。

案の定、この日も待ち合わせのまえに立ち寄ったお店で、残念ながら会ってしまった!(汗)

残念ながら・・・なのは、まえの日がお誕生日だったAちゃんに、サプライズで彼女のお気に入りのケーキを買って行こうとそのお店に立ち寄っていたから。

お店に行くまえに電話でケーキ用のメッセージプレートをお願いしていて、いざ、受けとる段になって確認したら、お店の手違いでスペルミス発見! Aちゃんの名前が異国人のようになっているではありませんかっ!

すぐに訂正します!と、お店の人がケーキをもってさがったところで、ふと気配を感じてふりかえると ・・・わっ、店内にAちゃん発見! (ああ〜、やっぱり会っちゃった!汗)

私がコソコソ何かしているのを知ってか知らずか、すぐに声をかけないところがおかしい(笑)。

予感はしていたけど・・・サプライズの企みがみごとバレました(隠しごとできず・・・ 笑)。

ディナーのデザートにもメッセージをつけてもらいました。

おめでと〜♡  楽しい一年になりますように♪

PS この日のスープは、秋らしく栗のポタージュでした。ほんのり甘いスープに、角切りのパンチェッタベーコンの香ばしさと黒胡椒のアクセントがきいていて、めちゃくちゃ美味しかった! あと二杯はいただけたな〜。

 

 

気づきの日記「グランドスラム V から学ぶ、こころの使い方」

大坂なおみ選手のグランドスラム優勝、おめでとうございます☆  いろいろな意味で感動いっぱいの試合と授賞式でした!(涙)

そして、大坂選手のたたずまいから学ばせていただくこと多数。

あの試合をとおして感じたのは、それぞれのこころのパワーというものの「使い方」による光と闇。

動揺や怒りにまかせてこころのパワーを使うことで、自分自身に災いをひき起こし自滅に追いこむこともできるし、

ただ静かに自分を信じて、やるべきことに集中することで、本来のちからにつながり満足や喜びという結果をもたらすこともできるということ。

意志とこころのパワーはよく御者と馬の関係のように例えられますが、結局は自分自身がどうやって馬を制御するのか。

いつもふらふら、あちこちに気を散らせる馬(こころ)というものをどれだけうまくコントロールして、安全に乗りこなすことができるか、ということなのです。馬(こころ)はほっておくと、むやみに暴走したり、あるいはまったり草を食べつづけたり、目にするものに反応して暴れ狂ったりしますから。

だれのこころもジェット噴射エンジンなみの、自分でもびっくりするようなパワーをもっています。それをどうやって安全に使うのか、どちらの方向にむけて噴射したら自分のためになるのか。

自分自身を地面にたたきつけてしまうような方向で噴射して、自分に傷を負わせることもできるし。はたまた、まっすぐ大空に向かって噴射して、安全にどこまでも高く飛翔してゆくこともできるわけです。その方向を決めてあげるのが、そのエンジンをもつ私たちの責任です。

過去の大坂選手は自分の強力なジェットエンジンを多少持て余している様子で、なかなか使いこなせていなかったそうな。自分のなかでエンジンをふかしているうちに、自暴自棄になってしまったりしていたようです。

方向性が安定しなかったパワフルなエンジンを修正して、安定させてくれたのが、新しく就任したコーチなのですね。

そこからめきめきパワーが開花したというわけです。

各局の報道で大坂選手のあれこれが紹介されるなか、コメンテーターの女性たちが目をハートにして語っていたのが「いいわね〜♡」「私もしてもらいたいわ〜♡」というひとこと。これは大坂選手とコーチとのやりとりについて。

ヘコんでしまうと自分のパワーゆえに自分の首をギリギリとしめてしまう大坂選手のパターンを理解して、「まずは、自滅していることを認識せよ」と。

そして、とにかくめちゃくちゃポジティブにほめまくってくれます。

「なにも間違っていないよ!」「そのままで勝てる!」「うまくやってるじゃないか!」「きみにはできる!」と、彼女のパワーが安定するように指導しているのです。

彼女が「でも〜・・・」というひまさえないぐらい、しっかり目線をあわせて、真っ正面から至近距離でがっつりと「絶対大丈夫なんだから!」とたたみこむように励ましています。

その様子を見た世の女性が「私も言われたい〜♡」「こんな彼氏がほし〜♡」となったわけです(笑)。

私にもあんなふうに魔法をかけてくれる人さえいたならば、きっと変われるのに・・・と。(そう!世界中の誰もが願っていることは、そのままの自分で認められて、ほめてもらうことです!)

でも、安心してください!(笑)

いるんです! ちゃんといます! あなたにも! あなたのことを見て、あなたのことを思って、優しくアドバイスしてくれる素晴らしいコーチが♡

あの大坂選手のコーチさんよりもさらに上をいき、もっとすごい励まし、いえ、あなたについての真実を、つねに、365日、24時間、言いつづけてくれます。

「あなたは、宇宙に無条件に愛されている、とても大切な唯一無二の存在ですよ」「あなたの手には、宇宙のすべてがすでにあたえられています」「あなたの権利は、完璧に幸せになることです」「その方法は私が丁寧に教えて、導きましょう」 「あなたは失敗することすらできないのです」「なぜなら、そういう存在だからです」・・・

そんな言葉、聞こえたことがない!って。

そうかもしれません。じつは、ちゃんと聞こう! とこころに決めて、お願いしないと聞こえてきません。なぜなら、その声は決して激しい調子ではなく、こころのなかにひっそりと静かにささやきかける声だからです。けれども、誰のどのような言葉よりも説得力と確信に満ちています。

また、「自分ひとりででガンガンやる」という自分のやり方を手放さないと聞こえてきません。さらに、「私ひとりではできません。助けてください」と謙虚に助けを求めて手をさしださないと聞こえません。

それは誰かというと、私たち一人一人にもれなく存在してくれているハイヤーセルフという存在です。すべての答えと解決策をもっている存在で、いつでも、どんなときでも、無条件に愛し、導き、守ってくれています。

でも、そのハイヤーセルフというコーチはあまりにも謙虚で、私たちを尊重する気持ちをもってくれているので、こちらから話しかけて、お力ぞえをお願いしない限り、勝手にしゃしゃり出てどうこうするということがないのです。

だから、そこにいることさえわからないかもしれません。つまり、見つけようとした人にしか、はっきりと存在しないのです。

また、怖れや怒りや動揺の気持ちでいっぱいになっているときには、コミュニケーションしようとしてもコミュニケーションができません。つながりをもつためには、静かなこころが条件となります。

怖れや怒りや動揺というものは、ある種の目くらましのようなもので、私たちがハイヤーセルフにつながることができないようにエゴがくり出してくる煙幕のようなものです。

人は怖れや怒りや動揺を感じると、どうしてもそれにとらわれてしまい、その感情にのっとられてしまいます。そして、もともとのゴールというものを忘れてしまうし、ハイヤーセルフの存在ともつながれなくなってしまいます。

ハイヤーセルフから見ると、怖れや怒りや動揺というのは甲冑をいくえにも身につけたような状態に見えます。つまり、カラにこもってしまって、外からやってくるものを何も受つけない状態に見えるのです。

そもそもハイヤーセルフとちゃんとコンタクトできていたとしたら、問題は解決の方向へむかうので、エゴはそれをさせないために怖れや怒りや動揺というものをオトリとしてくり出してくるというわけです。そして、怖れや怒りや動揺でぐるぐるくるんで、ヨロイを着た状態にしてしまうのです。

エゴは、「ほ〜ら! すごく怖いだろ。自分を守るためにすぐに何かしないと大変なことになるぞ。そら、あわてろ!あわてろ!」と、怖れ、怒り、動揺に集中させて、さらにそれを肥大させて、あらゆる防御をはりめぐらせて、そのせいでまったくハイヤーセルフからの指示が聞きとれなくなるということなのです。

だから、怖れや怒りや動揺にまどわされずに、まずは自分専属の愛にあふれたコーチからのアドバイスを聞こう!と、いったんこころを静めて、耳を傾けることが必要なのですね。

聞く意志さえもっていれば、だんだんその指示を的確に理解できるようになっていきます。もちろん、それは言語ではなく、ひらめきだったり、直感に導かれた自然な行動だったり、人からのアドバイスだったり、ふと目にするものだったりするのですが・・・。

私たちの幸せだけを望んでくれる、こころ優しい愛にあふれたコーチ、それも究極に正しいコーチであるハイヤーセルフに、是非ともこころを開いて、お願いして、こころのジェット噴射エンジンを安全に使う方法を丁寧に指導してもらいましょう!

このコーチのもとだったらかならずや、大坂選手同様にメキメキと自信をつけて、自分のなかにある贈りものを花開かせることができるはずです。

正しいジェットエンジンの使い方を教えてもらいましょう! ( ・◡・ )♫

 

 

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気づきのぷちノート「こころの向きをUターンさせる」

自分にとって問題となることが起こっているとき、

私たちのアタマに浮かぶセリフは、だいたいこんな感じです。「なにが間違った?」「誰のせい?」

この答えはたいてい、「誰それさんのせいだわ!」「いや、わたしが足りなかったかも?!」「そういうご流れ(ご時勢)なのだから、しかたないか・・・」「そういえば、星占いもよくなかった」「そういう運命なのね」・・・。

ひとの動機をしらべたりものごとの間違いさがしをしたりして、外側のなにかを変えようとするか、はたまた変えられない運命として無力に感じるか・・・。

この考え方は自分の外側に答えがあるという前提で、自分の外側で解決しようとしているのですが、じつは間違いが深まってしまう方向に進んでいます。

無意識のうちに「ほんとうのこと」をさけたいときにこそ、「誰のせいだろう?」と外側に目をむけてしまうのです。自分をごまかして、原因探しの捜査をかく乱するための陽動作戦なのです。

するべき質問があるとしたら ・・・ それは「私はなんで、これ(問題)を見たいと思っているのだろうか?」ということ。

私たちのこころは、自分が見たいと思っているものしか見ることができません。

だったら、人や出来事を分析することはやめて(被害者はやめて)、「どうやら私はなんとしても、これを見ることに固執しているらしい」と認めることです。

じゃあ、なぜ固執したいのか?

*「それを見続けることによって、いったいどんな自分でいられると思っているのか」(守ってもらえる? 同情してもらえる?)
*「それによって、なにが手に入るのか?」(保護? 安心? ・・・)
*「それがなかったら、いったいどんな自分になってしまうと思っているのか?」(価値がない? 生きていけない?)
*「それらは、本当のことでしょうか?」(いったいあなたは、自分をなにものだと思ってる?)

こころのなかで、無視しつづけてきた間違った考えを見つけることができたら、ハイヤーセルフにさし出して、もっていってもらいましょう。「これは間違って私が握りしめていた考えです。けれど、私の役にはたっていませんでした。私のこころから取り除いてください」と。

自分の外側のことばかりを気にして、それをどうにかしようとすることは、「私の間違った考えは隠しておきたい」「それよりも、人を責めて被害者でいることを選択したい」という無意識の決意にほかなりません。

間違いにフタをして被害者でいようとすることは、ラクなようでいて、決してこころは安らぐことはありません。被害者は「加害者(悪者)」が必要であり、ひとを悪者にでっちあげることで自分だけがヨイ人でいようとする企みだからです。

すると、企みがバレるよりもまえに、無意識のうちに自分で自分を痛めつけてプラマイゼロにしようとします。つまり、自分で自分を痛めつけてしまいます。

こんなややこしいことよりも、こころの向きをかえて、いさぎよく自分のこころのなかにあるものに向かってみることです。

間違った考えのひとつひとつが消えて行くことで、怖れも姿を消し、おのずと安らかな世界を見ることになります。こころに向きあう以外のムダな努力はいらなくなるのですね。それが流れにのる、とうことです。

 

 

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お茶の間シネマトーク「マンマ・ミーア!2」

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「マンマ・ミーア!」は ABBA の軽快な楽曲があふれる楽しいミュージカル映画で大好きでした。あれから早10年 ・・・ 続編「マンマ・ミーア! Here We Go Again!」登場です!

ギリシャの美しい島で小さなホテルを営む母娘 ドナとソフィ(メリル・ストリープ、アマンダ・セイフライド)。

娘のソフィが結婚をひかえて、どうしてもヴァージンロードをお父さんと歩きたい!と密かにお父さん探しを始めたら ・・・ ナントお父さん候補が三人も。その三人をこっそり結婚式に呼んでしまう ・・・ というドタバタ ロマンティックコメディでした。

今回の続編は、のっけからお母さんのドナが亡くなっていて、まだみんながその悲しみから抜けだせずにいる状態。そして、ソフィの結婚生活ももはや雲行きがあやしく・・・ 。

あの触れあうすべての人をインスパイアしちゃう太陽のように明るいドナ(メリル・ストリープ)がいなくなっちゃって、この続編ほんとうに大丈夫なの? と思ったけれど、1作目につづきこちらもとっても楽しくって心があたたまるミュージカルに仕上がっています。

亡き母ドナの若かりし頃のストーリー(ソフィの三人のお父さん候補とのいきさつ)と、現在のソフィが重ねあわさって、おもわずホロリとします。



ロマンス、友情、親子愛、夫婦愛、隣人愛 ・・・ 、そこにギリシャの美しい景色(ロケはクロアチアだとか)と ABBA のなじみのあるハッピーなメロディーと、はっちゃけダンスと。

一作目をご覧になっていない方は、ちょっとだけストーリーを予習しておけば楽しめるはず。

前作も、もういちど観てみたくなりました♡

涙壷度:★★★☆☆ (メリル・ストリープ登場でいっきに泣けました・・・)

 

 

レトロな缶♪

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フランスのお土産にお菓子をいただきました。

缶が、なんともかわいらしいこと!(ちょっとかわったかたちをしています)

おいしいクッキーをいただいたあとも缶を楽しむことができます。

以前にいただいたクッキーもとても雰囲気あるレトロ風な缶にはいっていて、いまは小さなアクセサリーを入れてインテリアとして飾っています。

さて、この子はどうしようかな? 今、缶になにを入れてほしいかおたずね中です。( ・◡・ )

Mさん、いつもありがとうございます♡

 

気づきのぷちノート「目のまえのことにガーンっとなったら・・・」

ガーンとなっているのは、じつは、目のまえのことについてではなく、「自分の空想」に対してショックをうけています。

私たちのこころは、あっというまに今を離れ、先走り、ずっと未来にいってしまいます。それも、でっちあげの未来へ。

たとえば、ガーンの原因が病気のようなものだったら ・・・ 「手術が必要かも?」(それって、ほんと?)、「そうしたら、仕事に支障をきたす?」(でも、今はいつもどおりですよ!)、「キャリアに影響がでるかも?」(今はなんの影響もありませんよ!) ・・・ と言う具合に、どんどん今から遠ざかり架空の怖れにはまりこみ、ちぢみあがります。

でも、今はまだどれも起きていません。

今起きているのは、「ちょっと人よりちがうかも」ということだけ。

何が私たちの未来をつくるのか ・・・ というと、「今起きていること」ではなく、「たった今のこころの状態」です。

怖れを感じていればそれを証明する未来を見せてくれるし、安心していれば安らかな未来を見せてくれます。それがこころの創造パワー。

だから、今起きていることもじつは「過去」の怖れを証明してくれている結果にすぎません。それに反応してしまうと、メビウスの環からぬけられなくなり、ぐるぐる怖れだけが循環します。

なので、目のまえの問題はとりあえずどうでもいいのです。それに反応することよりもスルーして、ただ今「安らぎ」を選ぶ方へ進みます。これは軌道修正です。

すぐに安らぎを選べない場合には、怖れや動揺をただ受けとめて感じて手放してしまいましょう。

何かを変える力は「未来についての妄想」のなかにはありません。たった今、ここにとどまって、本来の自分の状態である「安らぎ」を感じることで、邪魔っけな妄想がなくなった分だけこの問題に対処する正しい答えを受けとることができるようになります。

怖れは怖れとしてただ受けとめて手放し、ただ安らかに「ここ」にとどまりましょう。

「ここ」のみが、真に存在する時間であり、真の導きが存在するところです。あとは、その導きが正しく安全にナビをしてくれます。安心してすべて委ねて手放してしまいましょう。

そう! 私たちは、空想でヘンなモノを作り出しさえしなければ、じつは安全なのですね。本来の安全状態、安らぎの「今」にとどまりましょう♪

 

 

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もはや職人技☆

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このところ、すっかりアフタヌーンティーにはまってあちこち行脚をくりかえしましたが、そろそろお気に入りが絞られて、リピート詣になってきました。

びっくりなのは、いつもご一緒してるMちゃん。

以前は、私がスウィーツを食べるのを見ているだけで「拒絶反応」が出るほど甘いものが得意じゃなかったのに、今や率先して詣でているのですもの(中途半端なスウィーツではなくって、真に美味しいホンモノ スウィーツこそが好きだったのかもね・笑)。

本日は、私たちのいちおし、ペニンシュラのアフタヌーンティー。

一年まえ食事に来たとき、横で女の子たちが食べてて、あまりに可愛かったのです(マンゴー色で、お花がたくさん咲いているようなアフタヌーンティーでした)。で、「来年は夏にお茶しに来たいね!」といっていたのが実現しました。

まずは、クマちゃんベルボーイにご挨拶。この子、朝の11時にあらわれて8時間労働で姿が見えなくなります(ちゃんと労働基準法にのっとっております)。

今年の夏は、「サマーサンシャイン アフタヌーンティー」♪ で、こんな感じ。

タワーの上に麦わら帽子がのっていて、これもちゃんと食べられます(甘いもののあいまに、Mちゃんの箸休めとなっていました)。

海外でもアフタヌーンティーをいただいたことがあるけど、こんなに手がこんでいて、美しくて、味のクオリティも高いのは日本だけかもしれません。日本人の器用さゆえに、独自に発達しちゃった感じですね。

こちらがセイボリーの面々。

サンドイッチのうす〜いキュウリのモザイク、すごいです! ウズラ玉子のプチ目玉焼きあり、フルーツトマトのバスケットあり、パテやらスモークサーモンもショップで売っているものと同じにおいしくて、よくぞこのミニチュアでここまで美味しく!と感心します。

そして、こちらがスウィーツ編。チョコレートケーキの1ピースだけでも、大満足できるおいしさです。

こんなにいろんな種類にあふれているけど、私たち二人のいちばんのお気に入りは、じつはスコーンなのです。あまりに好きすぎて、フォトさえ忘れました(笑)。

帰りにガラスばりのパティシエさんの調理場の横をとおると、もうサンタさんやトナカイというクリスマスのお菓子の試作が並んでいました。この猛暑といえども、夏の終わりも近いのを実感☆ (こちらのサマーアフタヌーンティーは、8/31 までだそうです)

お腹いっぱい、元気いっぱい、幸せな気分で家路につくことができました。ごちそうさまでした♡

 

お茶の間シネマトーク「奇跡の絆」

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浮気の罪滅ぼしとして、奥さんであるデビーがボランティアをしているホームレスの支援施設で手伝いを始めるロン。

神経質なロンにとって、その環境は菌にあふれている不浄な場所で、こまごま手伝いをするより必要なお金を寄付することですまそうとするのです。一方、デビーは、何の偏見もなく真の思いやりと奉仕の気持ちで、そこにやってくる一人一人と平等に友人になろうと務めます。

そのホームレスのなかには、「自殺者」と名のる暴力的で破壊的で見るからに凶暴な黒人男性もいて、デビーの優しいひとことにいちいちくってかかってくる始末。しかし、デビーは彼がどのように振る舞おうとも変わりなく気にかけることをやめません。

そんなデビーの無防備であるがままを受けとめる姿勢に、すこしづつ心を開きはじめる「自殺者」ことデンバー。それとともに明らかになる、人種差別による過酷すぎる彼の過去。

「ムーンライト」という貧しい黒人青年の成長を描いたアカデミー賞作品を観たばかりだったので、この黒人男性デンバーの過去とも相まって、つい最近まであたりまえのように行われていた人種差別にこころが痛みました。

デビー・ロン夫妻とその黒人ホームレス デンバーとのかかわりあいにおいて、一見、裕福なデビーとロンが与えて貧しいデンバーが与えられるという図式なのですが、結果としては両者が同じように受け取り、癒され、解放されてゆきます。そして、それが当事者にとどまらず、もっともっと多くの人に広がってゆくことに・・・。

つながりあったときに起こるさまざまな愛の奇跡。

まったく偏見をもたず、過去ではなくたった今のあるがままをみようとするなかで、癒しというものは自然に起こってくるし、人は自分の真の姿をあらわさずにはいられないのだと感じます。

これはNYタイムズのベストセラーとなったノンフィクションをもとにしたストーリーなのですが、最後のエンドロールに黒人ホームレスのデンバーの実写と肉声があり、そこでこんな言葉が語られています。

「誰もがみんながホームレスであり、家に帰るために闘っている。その途上で、怒りと不安で不合理なことをしてしまうんだ」
「与えたものだけが、永遠にあなたの手にのこるものだ」

まったく無学なデンバーにとって、これはまさにハートで体験したことなのでしょう。



邦題は「奇跡の絆」といいますが、もとのタイトルは「Same Kind of Different as Me」、私とちがう同じ種類のひと。

違いに注目すれば、いつまでたっても違いしか見えないけれど ・・・ その違いという見かけを越えて、同じであるところを見ようとすることから癒しが可能となります。

癒しと日々向きあうものとして、多くの気づきをもらうことができる作品でした。

涙壷度・・・★★☆☆☆(実話はやっぱりこころを揺さぶるものがあります)

PS 無条件の愛にあふれた女性デビー。ずっと、この声、この話し方、知っているな〜と感じていたのですが ・・・ 観終わってしばらくして気づきました。レニー・セルヴィガーさん。あのオフィスの机に大きな板チョコをたたきつけてかちわっていたブリジット・ジョーンズも、しっとりと大人の女性になったのですね!(笑)

 

 

気づきの日記「こころの消しゴムを使う」

お絵描きは、自分のこころの状態を知りたいときにとても便利なツールです。

震災のときにもお絵描き(アートセラピー)は、子どもたちのこころを癒すのに役立っていましたが、子どもだけでなく大人のこころのためにも使えるツールです。

ただ描きたいものを気軽に描いてもらうだけで、そのときのこころの状態が手にとるようにあらわれます。また、こころの状態を知るだけでなく、表現された問題を手放す癒しのための道具としても使うことができるのです。

自分や他人、空間をどんな色で塗っているのかとか、どこにどんな大きさで、どのぐらいの距離感で表現しているのかなどで、一目瞭然にさまざまなことを知る手がかりとなります。修正ポイントも知ることができます。

それは、絵だけでなく、文字という表現でもじつは同じなのです。

たとえば、一枚の白い紙をわたして「心」という文字を書いてみてください、とお願いすると、

スペースいっぱいに堂々と文字を書く場合もあるし、十分なスペースがあるにもかかわらずちんまりとはじっこに書く場合もあります。それが、そのときのその方のこころの状態です。

「ありゃ、見かけによらず、すんごくちぢこまっているわ〜!」(コワもてに見えるけれど、案外、内側はまるで違うの? という方がいらっしゃいましたっけ)。

そんなとき、「あらあ〜、けっこう繊細なのかも〜」「ちょっとコワがりさんかな〜?」「のびのびできていないみたい」と感じとることができます。

でも、ご安心ください! それも、じつはほんとうの自分ではないから。

闘い好きなエゴがやりたい放題やっているうちに、ふと気づいたらやり放題がすぎてしまい、その報復を怖れるようになり(そう、コントロールしたり、攻撃したり、好き勝手したりすればするほど、こころのなかでは罪悪感を感じるので、やり返されるに違いない・・・ という怖れを感じるようになります)、その結果ちぢこまってしまうのです。これも、エゴがお好みのギャングドラマを模倣しているだけなのですが、どうやらそこに安らぎは期待できそうもありません。

そこで大切なのは、「こんなビクビクしているのはほんとうの自分じゃない。ニセモノだ、エゴの自分だ!」「こんな、やった、やられたなんていう世界はもうこりごりだ!もう望んでいない」と気づくことが大切です。

気づかない限りはやめられません。エゴにのっとられたまま、ニセモノの自分のままです。

気がつくことができたら、エゴの書いたちっちゃな「心」の文字を消しゴムで消して、本当の自分としてゆったりびのびと怖れなく表現することができます。

こんなふうに、絵や文字の場合はわかりやすいのですが ・・・ じつは、自分が見ている外側の世界もまったく同じで、こころが描き出しているイメージなのです。

自分の目にする世界は「自分の鏡」であるとか、「自分のこころの反映」であるといわれています。

そうなのです。まるで絵を書くように、私たちは自分のこころの思いというものをそのまま自分の外側に表現して、それを世界よんでいます。

でも、自分の描いたものによっておびやかされ、苦しめられていることが多々あります。

もし絵や文字のように紙のうえに描かれていたなら、「この暗い絵やちぢこまった文字は好きじゃない!」と認めて、「ほんとうの自分を表現したい」と選びなおすことで、好きじゃないイメージを消すしてあらたに描き直すことができます。

目にしたものの間違いに気づくことによって、それを訂正することができます。

世界も「こころの鏡」「こころの反映」であるならば、訂正のしかたは紙の上に描かれた絵や文字とまったく同じなのです。

だから、気に入らないものを目にしたとしたら、本意じゃないものが目のまえにあらわれたとしたら、それに反応しまくって取っ組み合いをくり広げるのではなく、唯一やらなくちゃならないのは、

「これはほんとうの自分なんかじゃない、すっかりエゴにのっとられていたんだ」と認めることによって、消しゴムで消してしまえばいいわけです。

ほんとうの自分に困った問題などないはずなのです。トラブっているときは、いつもエゴに乗っとられているときです。

「 消しゴムってどこにあるのですか?」って?

自分が目にしているものを消すための消しゴムは、そのイメージを最初につくりだしたところ、つまり自分のこころのなかにあるのです。その目にしているイメージのすべては、絵や文字と同じで自分のこころの表現(投影)だからです。

だから、外側をいじくりまわすのではなく、すみやかに消しゴムのあるところで消す作業をしてあげることが大切なのです。

その消しゴムの名は ・・・ 「ハイヤーセルフ」といいます。

かなり強力なので、この消しゴムにあったらエゴのイメージはひとたまりもありません。

不本意な絵や文字と同じように、目にしているものがほんとうの自分の表現などではなくエゴの表現であると感じたら(ネガティブなものは全部、エゴの表現です)、こころのなかですぐに消しゴム(ハイヤーセルフ)を使ってあげることです。

「私が目にしているものは、私のなかの罪悪感という感情をかたちにして外に映しだしたものです。でも、わたしは罪悪感と仲良しのエゴなどではありません。ハイヤーセルフ、わたしのこころのなかにある間違った罪悪感を取り消して、ほんとうの私の完璧さと輝きを表現できるように助けてください。ほんとうの自分を外側に見せてください」とお願いします。

これが強力な消しゴムの使い方です。

大切なのは、被害者として外側をいじくりまわすことなく、エゴになっていたことを認めて、すみやかに消しゴム(ハイヤーセルフ)を選ぶことなのですね。

消しゴムによってニセモノの罪悪感が取り消され、安らぎを感じられるようになり、それを外側にイメージとして見ることができるようになります。

ハイヤーセルフのアートセラピー、是非やってみてくださいね☆

 

 

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