furukawaさんのブログ

台風、接近中のさなか

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

きょうはお友だちとデート♡のお約束だけど、台風がこちらめがけて接近中。それもかなり強力だとか。

さて、どうしたものか・・・と直前まで考えて、結局、ササっと行って、サクっとランチをして、ススっと帰宅する、ということで決行することにいたしました。

外を歩かなくてもよいように・・・地下鉄から直結のペニンシュラホテルの「カフェ&ブティック」へ。(ペニンシュラさんは、お食事もスウィーツも大のお気に入り♪)

平日限定のリーズナブルランチ(ボロネーゼ、サラダ、パン、プチデザート)は、¥1200 です。

お話しがはずんで、スウィーツとコーヒーも! どれにしよう??

甘い香りのメロンショート、さっぱりしていてめちゃくちゃ美味でした。

そして、こちらに来ると買いたくなるのがスコーン。アプリコット味をお土産に。

帰りも、雨はまだ小降りでスムーズに帰宅できました。

ササっと行って、ススっと帰って、一瞬、別世界にワープしたような不思議なひとときでした。

 

 

気づきのぷちノート「ガッカリ感を感じたら、ご注意!」

以前も書きましたが、「トーストはバターをぬった面から床に落ちる」「お皿はお気に入りから割れる」・・・なんていわれています。

私もいつもは作らないような手のこんだお料理を作って、「よしよし! これで完成♡」とお皿にきれいに盛りつけたら、みごと全部ひっくりかえしたことがあります(泣)。

エゴは私たちがルンルン♪ よい気分になっているときには、必ずペシャンコにしようと企てています(ほんとうに幸せになったらエゴは消滅してしまうので)。

けれど、ほどほどに不幸せ感が漂っていて、エゴをおびやかすような状態ではないときには、かえってちょっとした楽しいプレゼントをくれたりさえするのです。

つまり、「そのまま不幸せ感を漂わせながら生きていればいいんだよ!間違っても、エゴとサヨナラしてすっきりと幸せになろう!なんて考えちゃだめだよ。このぐらいのちっちゃな幸せが身の丈だろ?」というわけです。

 

そんなわけで、日々の生活のなかには、さりげなく自責の念を感じたり、自己嫌悪になったり、後悔したりする、罪悪感という名のドラマがくみこまれていて、この瞬間を使ってエゴはさらにパワーアップをはかろうとしています。

そのドラマに反応してしまうと、もれなく罪悪感を感じることとなりエゴはその罪悪感を糧にして肥えてゆきます。

今ちょうどお友だちからメールが入って、「ホテルランチをしたあとなのに、つきあいで天ぷらソバ食べてる(汗)」というメッセージが。本当は食べたくて食べているに、なんか悪いことをしているような気になっちゃったりするものですよね。

これもエゴの罠。「楽しみすぎだろ、それは!」って。ほんとうは、そうしたかったのだから、ただ素直に自分を楽しませてあげるだけでヨイのですね。だから、楽しんでね♡

そのようなわけで、日々の生活のなかでエゴがガッカリ感(罪悪感)をもたせようと常にチャレンジしてくることをアタマにおいておかなければなりません。

なにが起きようとも、なるべく反応しないようにすることが大切なのです。「罪悪感という、その手にはのらないよ!」と。反応すると、まんまとエゴの思うツボです。

そして、そんなガッカリ感をもたせる何かが起きたら、「これはわたしのエゴが作りました。罪悪感を感じさせるためのワナです。エゴが作りだしたものと私のこころにある罪悪感をとり消してください」とハイヤーセルフにお願いしちゃいましょう。

そうすると、エゴが罪悪感を増幅しようとした企んだワナを、エゴを取り消す機会にすることができます。

「私には楽しむ権利がある♡」と軽く、楽しく、罪悪感というエゴの思いをもたずに楽しみましょう♪

 

 

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ベナイユン監督との映画撮影

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

きょうは、オフィス・るんに Nelly Ben Hayoun監督とスタッフのみなさまがお越しになり、私とBen Hayoun監督とのインタビュー場面の撮影が行われました。

Ben Hayoun監督が製作されいるのは「 I am (not) a Monster*」という作品で、2019年のサンダンス映画祭でプレミア上映される予定のドキュメンタリーです。

その作品では「知識や、考え方とは、誰が所有するものか?」というテーマを扱っており、今回はBen Hayoun監督にヒプノセラピーとはどのようなものなのか、ヒプノを通してのこころや考えについてのインタビューを受けました。

日本語でインタビューをしていただく予定だったのですが、Ben Hayoun監督と楽しくおしゃべりしている流れでそのまま英語のインタビューに突入してしまったので、いささか、というか、かなり意味不明になっていないかそれだけが相当に心配です(大汗・こんなことになるんだったら、ちゃんと用意しておくんだったわ!!)。

また、Ben Hayoun監督がヒプノセラピーを体験してみたいということで、いきなりその30秒後にはセッションに突入! という急な展開(こころの準備もなにも、あったものではありません・笑)。

本当はこれも「当日はセッションはいたしません。なぜなら受ける方の準備が必須だからです」とお話ししていたのですが、まあ、セッションの完成度はさておき、体験していただけてよかったと思っています。

いったいどんな作品になるのでしょうね?

Ben Hayoun監督はフランス出身の映画監督、教育者、デザイナーということだったので、いったいどんなスゴイ方がいらっしゃるのかと思っていたら、そのすばらしい経歴にもかかわらず、なんともキュートでハートがあたたかいチャーミングな方で、緊張などまったくなくいつもの調子でインタビューもセッションもしてしまった感じです(ある種、コワイもの知らず・・・汗)。

ネリさん(Ben Hayoun監督)とスタッフのみなさま、暑いなかほんとうにお疲れさまでした。(制作の大塚さん、録音の平井さん、監督のネリさん、撮影監督のフィオナさん)

Ben Hayoun監督のプロフィール
Nelly Ben Hayoun Studios

*「I am (not) a monster」
複数形式の作品(映画・ショートフィルム・イベント・彫刻など)で構成された、現代社会のイデオロギーを追求するプロジェクトです。AI(人工知能)でグローバルな収集性が発達する一方、人々の知識と文化遺産の関係を探る企画です。ネリ・ベンナイユンは日本の文楽や能楽師から学び、文楽人形を手に、ハンナ・アーレントの思想を再現します。世界各国の有力な思想家と対面し、また、無学費のUniversity of the Undergroundという大学の生徒や家族とも関わります。彼らとともに、古来からの質問を問い正します「知識や、考え方とは、誰が所有するものなのだろうか。」

 

美容室のひとこま

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美容室でカットやカラーをしてもらっているとき、美容師さんとあれこれお喋りしています。

そしてカラーがぬりおわって、「じゃあ、これでしばらくお待ちください」とコーヒーが出てくると、ようやく目のまえにおかれた雑誌をパラパラ。

あれこれ流し読みしていると、まわりの会話も自然と耳にとびこんできます。

「最近、中目黒駅のそばにおいしいパンケーキ屋さんがまたできましたよね!」なんていう会話に、

(そうそう! FLIPPER'S でしょ。代官山にもあるけど、中目にもできたんだよね〜)なんて、勝手にこころのなかで会話に参加してたり。

すると、鏡の向こうにすわっている男性のお客さんの声で、

「最近、耳がすごく汚れるんですよ。もう、真っ黒で・・・ススみたいなのがごっそりとたまるんですよ」

ええっっ、ただならぬ会話に耳ダンボ!

(へ〜・・・ 男の人って、そんなに耳汚れる人いるの? 髪で隠れていないだけでそんなに違うかな〜?)(なんの仕事しているんだろ? 工事現場? 清掃工場? )(それとも、この人の体質のせい? 耳が毛深いとか? )とモウソウがふくらみます。

さらに会話は続きます。

「だから、一週間に一回は必ず耳掃除に行くんですよ」と男性。

(え〜、そりゃ忙しくて大変だわね!)

「耳掃除してもらうとごっそりとれるし」と男性。

おもわずビジュアル化して、(ひゃ〜!!)とこころのなかで悲鳴する私。

「でも、最近、歯まで勝手に抜かれちゃって・・・」

(え〜〜〜〜っ!!(汗)耳鼻科で歯まで抜かれるっていったい? 汗 )

・・・ ってこの人、「抜かれちゃって」なんてゆうちょうに言っているけど、もうはえてこないからね〜!

「もうトシなんですかね。いいかげん・・・」「からだもボロボロだし・・・」

(って、あなた、20代ぐらいでしょ、まだ ・・・汗)

「毛なみもよくないし・・・」

えっ ・・・ 毛なみぃ・・・・???

あ〜・・・い、い、犬の話だったね(汗)。

「早く言ってよ〜!!」 と、こころのなかで大笑いしている私でした。

 

気づきのぷちノート「ハイヤーセルフにお願いするときは・・・」

「問題と感じることは、すべて高い意識(ハイヤーセルフ)に委ねてしまいましょう!そして、 あとは全部やってもらいましょう!」

「はい!わかりました」と元気よく返事をして、

その問題を指でつまんでハイヤーセルフセルフの手のひらにのせたはいいけれど ・・・

「ちょっと、ちょっと、いいかげんにあなたのその指はなしてくれませんか〜?」ってなことになっていませんか?

私たちが「委ねる」というとき、こんな感じのことが起きているのです。

「はい、委ねます」といってそれを渡したフリをしながら、自分の指は決してはなすことはなく、さらに問題を間近でガン見しつづけているのです。「いつやってくれるの?」「どんなふうに?」って。

なぜそうなるか ・・・ というと、こころの深いところでは「信頼できないよ」「私が見ていないとひどいことになる」と思っているから。

「きっと好き勝手にされて、私にとっては困ったことになるかも」とか、「委ねなさいっていっても、あとであなたが自分でやらないからでしょっていわれそう」とか、「誰も、私のことなんんか真剣に考えてくれないから、委ねたらどんなことになるか」とか、ぜんぜん渡しきれていません。

だから、まるで問題がとり餅で指にネバネバとくっついたような状態になっていて、ほんとうに「手放す」「委ねる」という感覚がわからないのです。

ほんとうに手放すのは、コントロールしないこと、もうそれ以上つべこべ言わないこと、お願いして忘れていること、すべてがうまくいくと信頼していること、自分をスコンとからっぽにすること、そしてすがすがしい気持ちになること。

ハイヤーセルフは、「はい、受けとりましたよ。何かすることがあったら知らせますから、あなたはどこかに行ってリラックスしていてくださいね」といっています。

委ねたのに、お願いしたのに、助けてもらえないじゃない? って感じるときは・・・真に委ねていないわけです。

真に委ねたときでない限り、ハイヤーセルフはやってくれません。手が残っていたら、「まだ自分でやりたいのね。じゃあ、そうしてね」って尊重してくれるのです。けっして意志を侵害して勝手にすることはないのです。

信頼して、本当に手放して、自分の手をからっぽにしましょう ・・・

さて、なにが起こるでしょうか?!  (きっと、びっくりするかも♪)

 

 

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姫のお茶会♪

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クライエントさんにもたびたびオススメしている「お姫さまごっこ」。

それは、自分で自分をお姫さまのように大切に扱うごっこ遊びセラピーで、自然に自尊心を育てることができます(詳しくはコチラのブログへ)。

ずいぶんまえから、お友だち二名も日々参加してくれていて、楽しくお姫さまごっこ続行中。音楽をされているお二人は「妙なる調べの国」と「天上の調べの国」にお住まいで、私は「癒しとやすらぎの国」です(笑)。

ふだんの呼び方も「○○姫」。メールでは「○○姫、ご機嫌うるわしゅう♡」ではじまります。

たとえ自分で自分にお茶をいれているときでも、「(侍女や執事、おつきのものが)今、お茶を用意してくれました」 ・・・ となるわけです(笑)。

これはけっこう優雅な姫気分が満喫できるし、今やあまりにも自然すぎて自分たちが姫以外のなにものでもないような気分でリアル姫になりきっています。

そんな二姫さまと三人で、お茶会をしてきました。私たちのあいだではカメリアの丘とよばれている椿山荘にて。

三人だと、スウィーツタワーも華やかです。この日は、ピーチアフタヌーンティーで、スコーンも、スウィーツも桃テイストにあふれています。

ポットサービスの紅茶は三杯分ほどあるので、二姫さまとシェアをしながらいただいたら、七種類もの違ったお茶をた〜ぷりと楽しむことができました(+ 珈琲で、おなかたぽたぽ・・・)。

三姫お茶会風景、トゥ〜ルル・ル・ル♪ 徹子の部屋風・笑( K子姫作)。

姫さまがたと楽しいひとときでした♪

 

 

連日、すごい暑さ (○´―`)ゞ

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午前七時、朝ゴハンをするカフェ(@IVY PLACE)に向かって歩いていると、ジリジリ、メラメラ、もう溶けちゃいそう。こんな夏の早朝は、ラジオ体操も苦行でしかないですよね(汗)。

汗だくで到着すると ・・・ まずは駆けつけ一杯! フレッシュジュースのサービスが。ありがたや〜♪

私は絞りたての桃をイッキしましたよ〜。ふ〜・・・。

あまり甘くないオトナのネクターで、暑いときにはぴったりです。

いつもの定番で、バターミルクパンケーキと、

玉子料理をたのむのですが、本日はプロシュートとルッコラのオムレツをチョイス。

しかし、やってきたのはなんとドデカ サンドイッチ!(汗・暑さのあまり文字までまともに読めず・・・)

しっかりいただき、エネルギーチャージしました!

帰りはさらに炎天下。ほんとに近所なのに、身のキケンを感じる暑さです。工事やら配達やらセールスやら ・・・ お外でお仕事のみなさま、どうぞくれぐれもお気をつけくださいね。

 

 

気づきの日記「その騒音、どこからやってきたの?!」

夜中の1時すぎごろになると、たびたびバイクのエンジン音がして、数分ハデに「ドドドドド!!」とふかしていたかと思うと、「バリバリバリッ!!」と破裂音のような爆音とともに走りさってゆくのです。

うるさ〜〜い(怒)☆  とくに、こんな熱帯夜つづきで寝つけないでいるときには、「この音のせいで眠れないじゃないか!」とバイクの音にすべてのイライラをぶつけたくなります。

どうやら近所で夜中まで仕事をしてるおにいさんが、路駐してあるバイクで帰途につくらしいのですが、ここまで無意味に音を大きくする心理って、いったい?!・・・ (汗)

それはやっぱり、「注意をひきたい」「目立ちたい」につきます。それも、なまじっかな音じゃダメで、ここまで大きな音にしないと「誰も自分に気づいてくれない」という見捨てられ信念。

トシの離れたお兄ちゃんお姉ちゃんのなかで育ったため、いくつになってもおチビ扱いで、まっとうな発言権が与えられなかった ・・・とか、両親が二人とも働いていて、忙しさのあまり自分の言うことに対して真剣に耳を傾けてもらえなかった ・・・とか(他にもいろいろありますが)、そんな無力感から爆音で気をひきたくなったりするわけです。

そんな理由をイメージすると、その爆音にむかって「ハイハイ、ちゃんと気づいていますよ〜。お仕事おわったのですね。遅くまで疲れたでしょう? 今から、帰るのね。気をつけて帰ってくださいね」なんて、こころのなかで声をかけちゃったりします。

でも 、そんなことを言っても結局は ・・・ 外に見えていること、自分が目にしたり体験していることって、「必ず」や自分のなかにある思いの証であって、私と無関係ではありえないのですね。

つまり、自分のこころのなかに「隠しもっている」、無意識化して自分でも気づいていない思いを、外に見ることによって、他の人のこととして片づけているのです。つまり、自分のもっていたくない思いを「外の世界」に捨てて、知らんふりしているわけです。

そうなると ・・・ あら、イヤだわ(汗)。思いっきり音をだして声をはりあげていたのは、誰?  ・・・ 「私」ではありませんか?!(苦笑)

「私はここにいますよ! 誰か気づいてください! かまってください! そうじゃないと、存在していないように感じているんです〜(泣)」と、自分のなかで声をはりあげている存在がいるのに、その声に対して「黙れ! 女々しい! そんな声など聞きたくない」とおもいっきり無視しようとします。

その無視の結果として、「外」の出来事に見えるようなトリック(投影=こころのなかの隠された思いを外に捨てて、人のなかに見る)を使って、女々しい自分を否定しようとするわけです。

けれども、この女々しく聞こえる思いでさえも、じつは「過去」の遺物であり、自分の「本当の思い」ではありません。恥じる必要などないのですね。

しかし、それをまだ現在の思いだと勘違いすることで、恥ずかしく思い、無視して、封印して、投影します。誰か他の人のなかに見て、それを責めることによって、ずっと同じことをくり返してしまいます。それは、取り消されることがありません。

どんな思いにしても、私たちの思いにはものすごいパワーがあります。

聖書で言われているように、「山をも動かす」パワー。その思いは自分の世界に表現されて、必ず自分のもった思いをそのまま体験することになるのです。

そんな自分のパワフルさに私たちはうすうす気づいているようで、だからこそ自分の思いに脅威を感じて、その思いと正面から向き合いたくないのです。どこかで、見て見ぬふりをして、あいまいにしておきたいのです。

たとえ、それがニセモノの思いであるにしても、それを放置して、野放しにすることで、いつしかどれがホントの思いなのかわからなくなってしまいます。そうして、自分自身がその思いに騙されるということが起こります。

だから、何かに腹がたったり、動揺するときに、その出来事の「被害者」になって終わりにすることもできるし、

あるいは、怒りや動揺を、自分のなかに抑圧されて気づくことができなくなっていた思いを探求するためのアラームとしてとらえることもできます。

強烈に腹がたっているときこそ、自分のなかにその間違いがあることに気づくチャンスなのです。

まずは、「すべては私の思いの結果」であり、「これは私のこころのなかで起きていることだ」と外に見ていたことを、自分のなかに取り戻してみます。人ごとではなくて、私のなかの出来事ととして感じてみます。

すると、すぐに「あ、これはまさに私のことだ!」と気づく場合もあるし、まったく合点がいかない場合もあります。

そのときには、怒りや動揺の気持ちを掘り下げてたどってゆくことで、新たな気づきをえることができます。それはいつでも、「やだ〜! 私ったら、こんなこと信じてたの〜?」という笑っちゃう信念です。

そして、その探求を正直にして、ちゃんと気づいて受けとめてゆくと、同じことが起こったとしてももやは反応することがなく、どうでもよくなっていたりします。

あるいは、出来事自体が消え去ってなくなってしまったりします。(学びが終わったのですね!)

私の場合、気づきをえて「あのバイクのおにいさんじゃなかった! 私だったのね!」と認めたあたりから、音が消え去りました。

バイクのおにいさんがいなくなったのか、音がしないバイクに乗り換えたのか ・・・ 不明ですが、私のこころのなかのいにしえの「見捨てられ」信念が正面から見られて、手放されたので、おにいさんの存在も私の意識のなかから消え去ってしまったのでした(チャンチャン♪)。

 

 

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気づきのぷちノート「こころが貧血にならないために」

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努力して・・・頑張って・・・ガマンして、やっと手に入れたのに、達成したのに、そのわりにはぜんぜん嬉しくない、こころが満たされてない、むしろ渇いているというときがあります。

そのことに集中しすぎてすっかり孤独になっていたり、つながりを失って疲れてしまっているのです。

一方、なにも建設的なことをしていないのに、安らかな満足感を感じられたり、穏やかな平和に満たされた気持ちになることがあります。

私たちは幸せになりたいと思って頑張っているのに、なぜか目指したところにそれはやってきてくれないようです。幸せはどこに行っちゃったのでしょう?

私たちが安らかで、満足していて、平和に満たされているときって ・・・ ひとりで何かを成しとげたときよりも、じつはただ誰かとこころを「分ち合えた」「つながり合えた」という感覚があるとき。つまり、ハートが喜んでいるとき。

「個人」が何かを成しとげようとしているときって、じつは自分のなかに引きこもり、自分にしかわからない世界を作り、自分ひとりで格闘しているときです。つながり合い(愛)や分ち合い(愛)は、完全にお留守なのです。

自分にしか入れない世界に住んでいて、誰もそこにアクセスできません。

しかし、こころはひとつ。ひとつしかないので、つながりあっていないときはまるで血液が循環していない状態をつくっているようなもの。

だから、自分の世界に引きこもると、こころが貧血状態になります。具合が悪くなってあたりまえ。具合がよくないと、楽しくないし孤独を感じます。

そんなことにならないように、こころをつながり合わせて、分ち合わせて、血液をちゃんと循環させて健康にしてあげなくてはなりません。

自分のなかの愛や優しさや思いを分ち合ったり、つながり合ったりするのは、わたしたちのこころの血液を循環させるためのマッサージや温泉につかるのと同じことなのです。こころがポカポカしてきます。

わかち合うのは、たった今、目のまえにいる人でじゅうぶん。さて、何がわかち合えるでしょう? つながり合えるでしょう? そして、こころは何を感じるのでしょう?

 

 

気づきの日記「こころの温泉浴 ♨」

人生に何か問題が起きているときに、“ 問題の原因があるように見える外側の世界をいじくるのではなく、まず自分の「こころ」こそを変えなければならないのだ ” ということを理解している方は多くなってきているように感じます。

だからこそ、むかしは不安になるたびに占い師を訪れて、あれこれの占いにお金を費やしていたけれど、本当の解決にはなっていないことに気づいて(なぜなら、その問題は片づいても、また同じスタイルの問題が勃発!)、外に見えるものを変えるためにはまずはこころを変える必要がある! と、セラピーにお金をつかうことを習慣にしました、とおっしゃる方がけっこういらっしゃいます。

外のことばかりに注意を向けて、それにあわせて自分を変えようとすると、自分のパワーを失うこととなり、結局自分が何ものなのかわからなくなってしまいます。

そこで「自分のこころにこそ取り組もう!」と決めるのですが ・・・ それでもなかなか、私たちは「自分の外側」という呪縛から抜け出すことができないでいます。

その証拠に、何か不都合な問題が起きたり、イヤな気分になってしまっているときには、かならず「自分の外側の世界」に原因を探しはじめます。

仕事がうまくいかないのはこの商品への需要が少ないからだわ(需要とうのは自分の外の世界のことです)、こんなふうにイヤな気分になるのはパートナーがあんな態度をとるからだわ(パートナーの態度も自分の外のことです)、胃がムカムカするのは飲みすぎたお酒のせいに違いない(お酒ももちろん自分の外側です)。

自分のこころに原因があるとわかったはずなのに、なぜか私たちはすぐに「外」向かおうとします。

それは、私たちのエゴが「被害者」に徹するようにとしかけてくるからです。「原因はアレだよ」「悪いのはアイツだよ」、つまり「ワタシじゃない!」。

この時点で、なんとも素早くまんまと「被害者」役に身をおいてしまったので、変えるための力は自分にはありませんと宣言したことになります。変わるためには、「原因のアレ」「悪いアイツ」が変わらなくてはなりません。

でもほんとうは ・・・ 「たった今、感じている感情」、そこにこそすべての答えがあるのです。

その問題が起きたことで、いったいどのように感じているのでしょうか?

「私はこのことの結果として、怖れを感じています」「動揺を感じています」「怒りを感じています」 ・・・ と。

結果が「怖れ」であるなら、結果が「動揺」であるなら、結果が「怒り」であるなら ・・・ その原因とはいったい何でしょうか?

そこで肝心なのが、「原因と結果はまったく同じである」という考え方です。

すると、こうなります。

「あ〜、わたしは怖れを感じていたからこそ、怖れを感じるこれを見ているんだ」「あ〜、私は動揺をかかえていたからこそ、それを正当化できる動揺する出来事を見ているんだ」「あ〜、私は怒りを隠しもっていたから、それを形にして怒りを外にみているんだ〜」

結局、「たった今」感じている怖れや動揺や怒りがあったからこそ、その結果としてこころはこれを見せているのだということ。

その感情はうまく別な出来事をでっちあげて、「こんなことが起きているから、こういう気持ちになってあたりまえだよね〜」「この外の出来事のせいでこんな気持ちになったんだよね〜」と混乱した感情のつじつまをあわせようとしてそれにあったストーリーをでっちあげるのです。

そして、私たちはそのでっちあげられたストーリーのほうに気を取られることで、本当の「原因」を忘れ「被害者」をやりはじめます。

つまり、そのつらい感情を感じたときに、まんまとエゴがでっちあげたストーリーに注意をむけ、「このせいだよ!」というセリフに騙されて、被害者ストーリーに突入し、同じストーリーをぐるぐるし、本当の解決を不可能にします。

私たちは、こころが「こうだ」と信じたものを見つづけます。

そのぐらい、私たちのこころにはパワーがあるのですが、そのパワーを間違った方向、「絶対に被害者でいたい」という間違いに向かって全力で使ってしまっているようです。

かたづけるべき、取り組むべきなのは、こころのなかに存在していた「怖れや動揺や怒り」そのもの方だったのです。外に見えているものではオトリにすぎません。

まずは、シンプルに「ああ、私はこんなふうに感じているのね」と、今の気持ちをしっかりと受けとめてあげましょう。「こんなにおびえてるんだ」「こんなに動揺しているんだ」「こんなに怒っていたんだ」と、あるがままに認めてあげます。

そして、「怖れや動揺や怒り」を感じているときには必ず、ひとりぼっちの感覚があるはずです。助けがやってこないという、見捨てられているという。

つまり、安心感が、愛が、安らぎが、優しさが感じられないのです。足りないのです。

だったら、安心感、愛、安らぎ、優しさ、光をたたえている「源」をイメージしてみましょう。

源とは、安心感、愛、安らぎ、優しさ、光をなみなみたたえて無条件に受けとめてくれる存在。宇宙といってもいいし、神といってもいいし、ただ安らぎでもいいし、光でも、なんと呼んでもかまいません。

そして、その無条件の愛とやすらぎのなかへとダイブしてみましょう。

そのなかに飛びこんで、こころゆくまでひたって、自分を忘れて、ひとつになってみましょう。

まるで、無限のあたたかな愛そのものの温泉にやさしく受けとめられて、くつろいで、癒されて、溶けてゆくように。自分を解放して、安心させてあげましょう。受けとめてもらいましょう。

愛と光と優しさのなかで、おもいきりくつろがせて、そことのつながりを感じます。それとひとつになります。

本当はこの愛と光と優しさとのつながりの感覚だけで、目にするものが変わってくるのです。

なぜなら、原因 = 結果 だからです。こころのなかに安心感がなかったことこそが、ほんとうの問題の原因だったのですね。

こころの「源」温泉 ♨ へようこそ ! どうぞ、ゆっくりくつろいでいっておくれやす♪

 

 

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