木曜日, 2月 9 2017

木曜日, 2月 9 2017

気づきの日記「問題のほんとうの原因を知る」

セラピストという仕事をしていると、日々さまざまな問題が目のまえにやってきます。そのバラエティーの豊かさといったら!

世には、ありとあらゆる問題があふれてるから・・・ 。たしかに、そのようにも見えます。

その一方で、こんなことにも気がつきます。

「あれ? いっつも同じセリフ(文句)だね〜?」って。

一難さって、また一難。問題は確実にうつり変わっているのに、なぜか聞かれるセリフ(文句)はいつも同じなのです。自分のことにしろ、まわりの誰かのことにしろ、いつも同じこと言ってるね〜(汗) ・・・って。

これはどうしたことでしょ?

* 「なんで、あいつらは私を無視するんだ」とAさん・・・ 「あいつら」がさった今でも、まだ「私は尊重されていない」とぼやきつづけるAさん。
* 「なんで、私にそんなひどい扱いをするんだ!」とBさん ・・・ あそこへ行っても、向こうへ行っても、場所はかわれども自分に対するひどい扱いは変わりません。まるでおでこに、「私はひどい扱いを好みます」と貼りだしているように。
* 「私はいつも意にそぐわないことをやらされる」とCさん ・・・どの仕事、どのグループ活動に参加しても、いやな役まわりばかり。私はやりたいことがしたいはずなのに。
* 「どいつもこいつも、不誠実だ」とDさん ・・・ Dさんにとってもは、世界は不誠実な人であふれているようなのです。

・・・ 不思議とぼやきのセリフは、その人にとっては不変なのです。

セラピストの仕事をするとき、クライエントさんの問題を「額面どおり」にうけとめて解決しようとすると、混乱するしどんどん複雑になり、しまいには迷宮入りしてしまいます。

なぜなら、起きている問題はもともと「煙にまくためのもの(煙幕)」そのもので、解決できないようにできているからです。

問題となっていることの表面的なあれこれを分析したり、対処しようとすることは、役に立たないのです。それは、家が火事になっているときに、その立ちのぼる煙の大きさにびっくりして、煙を押さえこんだり、吹きとばしたりと、いじくりまわそうとするようなもの。

そのとき火元が見えなくっても、いちばん下に隠れている燃えさかっている「火元」に対処しなければなりません。

つまり表面にあらわれている一見「問題」に見えるあれこれは、まったく「火元」ではないのです。

いろんなことが起こっているように見えますが、そんな問題のあれこれはじつはどうでもいいものなのです。

大切なのは ・・・ その問題を抱えているとき、そのときに感じている「気持ち」そのものです。

これぞ、火元となるもの。これぞ、問題の原因といえるものです。

これをしっかりと対処しないことで、消したように見えても(その問題を表面で解決したように見えても)、また他から火が出ます(かたちを変えて違う問題が勃発します)。どちらも火元は同じなのです。そして、また以前と同じ「気持ち」を感じることになります。

つまり、問題についての表面的なことを解消しても、解決できたように見えているだけ。

問題の火元はいつも、解消されずにないがしろにされたままの「ある感情」なのです。

先ほどのAさん、Bさんたちを見てみると・・・

Aさん、Bさんに見られるのは、「見捨てられ」感情。「私は見捨てられていて、見向きもされない」というのがこの二人が握りしめている感情。これが問題の原因、核心です。これがいろんなバージョンの問題としてチョロチョロ現れているわけです。

Cさん、Dさんの場合には・・・

「無価値」感。「私は価値がない。だから大切に扱われなくて当然なのだ」という考え。この考えがあるかぎり、もれなく大切にされずないがしろにされます。

ほんとうはこれらの感情を処理してほしいがために、問題は現れているのです。しかし、私たちは問題の表面的な出来事のほうにすっかり気をとられて、それをいじりまわすのに忙しいのです。

例えば、コミュニケーションを変えて自信をつけよう!とか、服装などの自己表現を変えて自分の価値をあげよう!とか、ちゃんと自己主張ができるようにアサーションを勉強しよう!とか、人に左右されない自分をつくろう!とか。

どれも、一時的にはうまくいくように思えるかもしれませんが、原因が手つかずにされている以上、問題の再発はまぬがれません。

問題は「原因」をかたづけてもらうために現れているのであれば、「原因」をしっかりと認識する必要があります。

見なければならないのは、問題が起きているときに感じる自分の慢性的な「感情」なのです。

自分の感じていることをほんとうに正直に感じることができるようになると、自分が抱えている問題の根っこにある感情(その問題を抱えているときの怖れや不快感)が、じつはいつも同じであることに気がつきます。

しかし、エゴは私たちがいつも問題を抱えて苦しんでいるようにと、問題を解決できないように煙にまいています。つまり表面上であれこれ起きていると、それこそが問題だと勘違いさせられて、それにガッツリと取り組むあまり絶対解決にいたらないという仕組み。

ホントは、起きている問題は根本の原因である感情を解決させないようにするためのダミー、おとりなのに・・・。

だから、真に問題を処理する、ということは、表面をいじりまわすよりも先に、自分が深いところで感じているパターン化した感情をちゃんとと見つけて、それをしっかりと感じ、終わりにしてあげることなのです。

感情は、現実とは関係がないのではないですか? と思うかもしれません。

でも、ほんとうのところ、「現実」といわれているものは、「こころ(意識)」のなかで起きているできごとです。外にあるように見えるものは、両目で見ていると思っている楕円形のスクリーンという意識のなかにすべて存在しています。

エゴは「すべては外にあり、あなたにはどうすることもできません。あなたはその大きな世界のなかのちっぽけな被害者でしかないのです」と声高に教えようとします。

でも、いったん「世界とは、自分自身のこころが見えるモノとしてあらわれている」ということが理解できるようになると、いろんなことがシンプルになってきます。敵は外にではなく、自分のなかにいるからです。そして、その敵もよく見てみることで消してしまうことができるからです。

日々、さまざまにあらわれる問題にしても、じつはたったひとつの原因であるとわかるからです。問題をあれこれいじらなくても、その問題にまつわるパターン化した感情を感じてあげるだけで問題がなくなったり、流れが変わるのがはっきりとわかるようになります。

未解決の「いやな感情」をそのまま持たせておくために、エゴはつぎつぎと問題というおとりを送りこんできおます。

でも、その問題があるからこそ、じつはすべての問題の原因である「感情」を解放するチャンスが与えられているともいえます。

自分が今感じている感情に正直になって、感情にフォーカスし、いらない感情は素直に感じきって「終わり」にできれば、たくさんの問題は自然といらなくなるのです。

見ている世界が平和になるのですね♡

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

17-02-09 問題のほんとうの原因を知る

セラピストという仕事をしていると、日々さまざまな問題が目のまえにやってきます。そのバラエティーの豊かさといったら!

世には、ありとあらゆる問題があふれてるから・・・ 。たしかに、そのようにも見えます。

その一方で、こんなことにも気がつきます。

「あれ? いっつも同じセリフ(文句)だね〜?」って。

一難さって、また一難。問題は確実にうつり変わっているのに、なぜか聞かれるセリフ(文句)はいつも同じなのです。自分のことにしろ、まわりの誰かのことにしろ、いつも同じこと言ってるね〜(汗) ・・・って。

これはどうしたことでしょ?

* 「なんで、あいつらは私を無視するんだ」とAさん・・・ 「あいつら」がさった今でも、まだ「私は尊重されていない」とぼやきつづけるAさん。
* 「なんで、私にそんなひどい扱いをするんだ!」とBさん ・・・ あそこへ行っても、向こうへ行っても、場所はかわれども自分に対するひどい扱いは変わりません。まるでおでこに、「私はひどい扱いを好みます」と貼りだしているように。
* 「私はいつも意にそぐわないことをやらされる」とCさん ・・・どの仕事、どのグループ活動に参加しても、いやな役まわりばかり。私はやりたいことがしたいはずなのに。
* 「どいつもこいつも、不誠実だ」とDさん ・・・ Dさんにとってもは、世界は不誠実な人であふれているようなのです。

・・・ 不思議とぼやきのセリフは、その人にとっては不変なのです。

セラピストの仕事をするとき、クライエントさんの問題を「額面どおり」にうけとめて解決しようとすると、混乱するしどんどん複雑になり、しまいには迷宮入りしてしまいます。

なぜなら、起きている問題はもともと「煙にまくためのもの(煙幕)」そのもので、解決できないようにできているからです。

問題となっていることの表面的なあれこれを分析したり、対処しようとすることは、役に立たないのです。それは、家が火事になっているときに、その立ちのぼる煙の大きさにびっくりして、煙を押さえこんだり、吹きとばしたりと、いじくりまわそうとするようなもの。

そのとき火元が見えなくっても、いちばん下に隠れている燃えさかっている「火元」に対処しなければなりません。

つまり表面にあらわれている一見「問題」に見えるあれこれは、まったく「火元」ではないのです。

いろんなことが起こっているように見えますが、そんな問題のあれこれはじつはどうでもいいものなのです。

大切なのは ・・・ その問題を抱えているとき、そのときに感じている「気持ち」そのものです。

これぞ、火元となるもの。これぞ、問題の原因といえるものです。

これをしっかりと対処しないことで、消したように見えても(その問題を表面で解決したように見えても)、また他から火が出ます(かたちを変えて違う問題が勃発します)。どちらも火元は同じなのです。そして、また以前と同じ「気持ち」を感じることになります。

つまり、問題についての表面的なことを解消しても、解決できたように見えているだけ。

問題の火元はいつも、解消されずにないがしろにされたままの「ある感情」なのです。

先ほどのAさん、Bさんたちを見てみると・・・

Aさん、Bさんに見られるのは、「見捨てられ」感情。「私は見捨てられていて、見向きもされない」というのがこの二人が握りしめている感情。これが問題の原因、核心です。これがいろんなバージョンの問題としてチョロチョロ現れているわけです。

Cさん、Dさんの場合には・・・

「無価値」感。「私は価値がない。だから大切に扱われなくて当然なのだ」という考え。この考えがあるかぎり、もれなく大切にされずないがしろにされます。

ほんとうはこれらの感情を処理してほしいがために、問題は現れているのです。しかし、私たちは問題の表面的な出来事のほうにすっかり気をとられて、それをいじりまわすのに忙しいのです。

例えば、コミュニケーションを変えて自信をつけよう!とか、服装などの自己表現を変えて自分の価値をあげよう!とか、ちゃんと自己主張ができるようにアサーションを勉強しよう!とか、人に左右されない自分をつくろう!とか。

どれも、一時的にはうまくいくように思えるかもしれませんが、原因が手つかずにされている以上、問題の再発はまぬがれません。

問題は「原因」をかたづけてもらうために現れているのであれば、「原因」をしっかりと認識する必要があります。

見なければならないのは、問題が起きているときに感じる自分の慢性的な「感情」なのです。

自分の感じていることをほんとうに正直に感じることができるようになると、自分が抱えている問題の根っこにある感情(その問題を抱えているときの怖れや不快感)が、じつはいつも同じであることに気がつきます。

しかし、エゴは私たちがいつも問題を抱えて苦しんでいるようにと、問題を解決できないように煙にまいています。つまり表面上であれこれ起きていると、それこそが問題だと勘違いさせられて、それにガッツリと取り組むあまり絶対解決にいたらないという仕組み。

ホントは、起きている問題は根本の原因である感情を解決させないようにするためのダミー、おとりなのに・・・。

だから、真に問題を処理する、ということは、表面をいじりまわすよりも先に、自分が深いところで感じているパターン化した感情をちゃんとと見つけて、それをしっかりと感じ、終わりにしてあげることなのです。

感情は、現実とは関係がないのではないですか? と思うかもしれません。

でも、ほんとうのところ、「現実」といわれているものは、「こころ(意識)」のなかで起きているできごとです。外にあるように見えるものは、両目で見ていると思っている楕円形のスクリーンという意識のなかにすべて存在しています。

エゴは「すべては外にあり、あなたにはどうすることもできません。あなたはその大きな世界のなかのちっぽけな被害者でしかないのです」と声高に教えようとします。

でも、いったん「世界とは、自分自身のこころが見えるモノとしてあらわれている」ということが理解できるようになると、いろんなことがシンプルになってきます。敵は外にではなく、自分のなかにいるからです。そして、その敵もよく見てみることで消してしまうことができるからです。

日々、さまざまにあらわれる問題にしても、じつはたったひとつの原因であるとわかるからです。問題をあれこれいじらなくても、その問題にまつわるパターン化した感情を感じてあげるだけで問題がなくなったり、流れが変わるのがはっきりとわかるようになります。

未解決の「いやな感情」をそのまま持たせておくために、エゴはつぎつぎと問題というおとりを送りこんできおます。

でも、その問題があるからこそ、じつはすべての問題の原因である「感情」を解放するチャンスが与えられているともいえます。

自分が今感じている感情に正直になって、感情にフォーカスし、いらない感情は素直に感じきって「終わり」にできれば、たくさんの問題は自然といらなくなるのです。

見ている世界が平和になるのですね♡

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング