火曜日, 4月 11 2017

火曜日, 4月 11 2017

気づきの日記「人生がコワくなるとき・・・」その1

私たちのマインド(エゴ)は、私たちの人生に絶えずちゃちゃを入れてきます。

ちょっとした不安材料があれば、ここぞとばかりに怯えさせたり、ヘコませたり、罪悪感を抱かせたり...「キミの人生はうまくなんていってないんだ」と思いこませようと語りかけてきます。

「それこそ悪くなる兆候だよ」「見てこらん!どんどん大変なことになるだろう?」「最後には取りかえしがつかなくなるにきまってる」と。

このエゴの意地悪なセリフに、不安があったり、こころがヘコみそうになっているときこそ、まんまと足をすくわれてしまうのです。いともかんたんに聞きいれて、「ほんとにそうだよね」ってエゴのモードに同調しちゃう。

最近いきなり、不本意にも労働時間を減らされてしまい、収入が減ることになったというAちゃん。

「職場に貢献できるようにと、いつも努力をかさねて真面目に働いてきたのに ・・・。四月から出費がふえることになっているので、落ちこんで食事がのどをとおりません」とAちゃん。

私たちがいちばんダメージをくらってしまうのは、「生存」に関する問題です。生きるか死ぬかに直接かかわる、お金、病気、おかれた環境などについてのこと。

他の問題よりも危機感が強いぶん、かんたんにエゴのちゃちゃをまにうけて、まんまと無力な被害者や犠牲者になってしまいます。「ああ〜、このままいったら、すべてを失ってしまう」「ホームレスになってしまう」

この「ホームレスになってしまう」という怖れは、セラピーをしているとほんとうに多くの人が抱えているコワさであることに気がつきます(たった今は表面化していなくても、いざお金、病気などの問題が起こったときに浮上してきます)。

そして、今まで何不自由なく、豊かで自由に生きてきたように見える人こそ、そのような怖れを強く感じていたりします。それは、幼いときに読んだイソップの「アリとキリギリス」のお話しに象徴されている考えを無意識に受けいれているから。

私たちは、問題がない豊かで自由な幼少時代を過ごしたにもかかわらず、かえってそのことで自由や豊かさの「ツケがまわってくる」のではないかという罪悪感に根ざした信念を持っていたりします。

つまり、ただ幸せであってはいけません。幸せには代償がつきものです。そして今こそ、その代償を支払うときです、という考えです。ただ手放しで幸せになってはいけないのです。

みんな自分の思いどおりの人生にしたいと日々努力を続けているのですが、でもそのようになることはなく、人生の流れにホンロウされていて歯がたたないと実感しているのがほんとうのところです。

コントロールなどできないものをコントロールしようとすれば、おのずとコントロールできないという敗北感から自分に無価値観、自己嫌悪を感じるようになります。苦しくなります。

私もそのむかし、バリバリに自分の人生をコントロールする気まんまんで、コントロールできる!とも信じていました(とくに、そのむかし、心理学でも自己啓発でも、コントロールするべき!と教えていましたっけ)。

その意欲が、ことごとくくじかれて、とことん思うようにならないという体験をするまで、コントロール幻想を手放すことができなかったように感じます。

私のような仕事は、いつクライエントさんがきて、いつどのぐらい忙しくなるのか、まったく予想がつきません。アップアップするほど毎日クライエントさんと向きあう日々が続いたかと思うと、まるで世界から問題を抱えた人が消え去ったかと思うほどシ〜ンとしているときもあるのです。

それでも、自分の都合のいいように、安定した均一な仕事量を望んで努力していたときには、いつも思いどおりにはならない敗北感と無力感を感じていたものです。なんでも思うようにしたかったし、なるべきであるとヘンな自信と確信をもっていたのです。

でも、結局は思うようになるはずもなく、私の場合はこの仕事をとおして「コントロール願望を手放す」「すべてを委ねる」ということを身をもって学ばされてきたように感じます。

気づいたことは、私たちは「こうあるべきだ!」という理想の自分像、自分の人生像があって、それをおびやかされることに強い怖れや苦しみを感じるということです。

思いどおりにならないと、「どうにかしよう!」とコントロールに走り、当然コントロールできないという敗北感・無価値感・罪悪感を深めることになります。

このコントロール不能と無力感の悪循環から怖れの気持ちが強くなり、「今、この瞬間のこと」ではなく、この瞬間にでっちあげた「架空のストーリー」にのめりこみはじめます。

たとえば、一時的に収入が減ったとき、まだ何も起こっていないのに、「ああ、このままだと、どんどん蓄えが減っていく」「しまいには何もなくなって、住むところもなくなることになる」「誰も助けてくれる人がいない」「ホームレスになってしまうかもしれない」というように、今この瞬間を離れて存在しないストーリーが紡がれた結果、怖ればかりがどんどん大きくなっていきます。

そうすると、「一時的に収入が減った」という出来事が、「吐き気がするほどの恐怖の出来事」となってしまったりします。自分の死と結びついてしまうのです。

でも、まだなにひとつ起こっていなくて、ただ「一時的に収入が減った」という事実があるだけです。それはただ「一時的に収入が減った」ということ以上でも以下でもない出来事なので、ニュートラルなことなのです。

でも、エゴは「この調子だと、大変な事態になってしまうぞ」と不安をあおる思考を投げかけてきます。それはいつも、ここには存在してもいない未来のストーリーなのです。

「今」という時間しか存在していないのであれば、ホントは未来についての考えなんてどうでもいいことなのですが・・・。

(その2へつづく)

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング )

 

17-04-11 人生がコワくなるとき・・・ その1

私たちのマインド(エゴ)は、私たちの人生に絶えずちゃちゃを入れてきます。

ちょっとした不安材料があれば、ここぞとばかりに怯えさせたり、ヘコませたり、罪悪感を抱かせたり...「キミの人生はうまくなんていってないんだ」と思いこませようと語りかけてきます。

「それこそ悪くなる兆候だよ」「見てこらん!どんどん大変なことになるだろう?」「最後には取りかえしがつかなくなるにきまってる」と。

このエゴの意地悪なセリフに、不安があったり、こころがヘコみそうになっているときこそ、まんまと足をすくわれてしまうのです。いともかんたんに聞きいれて、「ほんとにそうだよね」ってエゴのモードに同調しちゃう。

最近いきなり、不本意にも労働時間を減らされてしまい、収入が減ることになったというAちゃん。

「職場に貢献できるようにと、いつも努力をかさねて真面目に働いてきたのに ・・・。四月から出費がふえることになっているので、落ちこんで食事がのどをとおりません」とAちゃん。

私たちがいちばんダメージをくらってしまうのは、「生存」に関する問題です。生きるか死ぬかに直接かかわる、お金、病気、おかれた環境などについてのこと。

他の問題よりも危機感が強いぶん、かんたんにエゴのちゃちゃをまにうけて、まんまと無力な被害者や犠牲者になってしまいます。「ああ〜、このままいったら、すべてを失ってしまう」「ホームレスになってしまう」

この「ホームレスになってしまう」という怖れは、セラピーをしているとほんとうに多くの人が抱えているコワさであることに気がつきます(たった今は表面化していなくても、いざお金、病気などの問題が起こったときに浮上してきます)。

そして、今まで何不自由なく、豊かで自由に生きてきたように見える人こそ、そのような怖れを強く感じていたりします。それは、幼いときに読んだイソップの「アリとキリギリス」のお話しに象徴されている考えを無意識に受けいれているから。

私たちは、問題がない豊かで自由な幼少時代を過ごしたにもかかわらず、かえってそのことで自由や豊かさの「ツケがまわってくる」のではないかという罪悪感に根ざした信念を持っていたりします。

つまり、ただ幸せであってはいけません。幸せには代償がつきものです。そして今こそ、その代償を支払うときです、という考えです。ただ手放しで幸せになってはいけないのです。

みんな自分の思いどおりの人生にしたいと日々努力を続けているのですが、でもそのようになることはなく、人生の流れにホンロウされていて歯がたたないと実感しているのがほんとうのところです。

コントロールなどできないものをコントロールしようとすれば、おのずとコントロールできないという敗北感から自分に無価値観、自己嫌悪を感じるようになります。苦しくなります。

私もそのむかし、バリバリに自分の人生をコントロールする気まんまんで、コントロールできる!とも信じていました(とくに、そのむかし、心理学でも自己啓発でも、コントロールするべき!と教えていましたっけ)。

その意欲が、ことごとくくじかれて、とことん思うようにならないという体験をするまで、コントロール幻想を手放すことができなかったように感じます。

私のような仕事は、いつクライエントさんがきて、いつどのぐらい忙しくなるのか、まったく予想がつきません。アップアップするほど毎日クライエントさんと向きあう日々が続いたかと思うと、まるで世界から問題を抱えた人が消え去ったかと思うほどシ〜ンとしているときもあるのです。

それでも、自分の都合のいいように、安定した均一な仕事量を望んで努力していたときには、いつも思いどおりにはならない敗北感と無力感を感じていたものです。なんでも思うようにしたかったし、なるべきであるとヘンな自信と確信をもっていたのです。

でも、結局は思うようになるはずもなく、私の場合はこの仕事をとおして「コントロール願望を手放す」「すべてを委ねる」ということを身をもって学ばされてきたように感じます。

気づいたことは、私たちは「こうあるべきだ!」という理想の自分像、自分の人生像があって、それをおびやかされることに強い怖れや苦しみを感じるということです。

思いどおりにならないと、「どうにかしよう!」とコントロールに走り、当然コントロールできないという敗北感・無価値感・罪悪感を深めることになります。

このコントロール不能と無力感の悪循環から怖れの気持ちが強くなり、「今、この瞬間のこと」ではなく、この瞬間にでっちあげた「架空のストーリー」にのめりこみはじめます。

たとえば、一時的に収入が減ったとき、まだ何も起こっていないのに、「ああ、このままだと、どんどん蓄えが減っていく」「しまいには何もなくなって、住むところもなくなることになる」「誰も助けてくれる人がいない」「ホームレスになってしまうかもしれない」というように、今この瞬間を離れて存在しないストーリーが紡がれた結果、怖ればかりがどんどん大きくなっていきます。

そうすると、「一時的に収入が減った」という出来事が、「吐き気がするほどの恐怖の出来事」となってしまったりします。自分の死と結びついてしまうのです。

でも、まだなにひとつ起こっていなくて、ただ「一時的に収入が減った」という事実があるだけです。それはただ「一時的に収入が減った」ということ以上でも以下でもない出来事なので、ニュートラルなことなのです。

でも、エゴは「この調子だと、大変な事態になってしまうぞ」と不安をあおる思考を投げかけてきます。それはいつも、ここには存在してもいない未来のストーリーなのです。

「今」という時間しか存在していないのであれば、ホントは未来についての考えなんてどうでもいいことなのですが・・・。

(その2へつづく)

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング )