木曜日, 5月 4 2017

木曜日, 5月 4 2017

気づきの日記「今感じている感情に気づいていますか?」その1

「今この瞬間に、自分が感じていることをちゃんと感じられるようになってみましょうね」

これは私がセラピーセッションのなかで、クライエントさんにもっともよくかける言葉のひとつです。

・・・ということは、多くの方は「自分が今感じていることをちゃんと感じられていない」ということなのです。

「いいえ、自分が感じていることぐらいちゃんとわかっていますよ」と言われるかもしれません。

上司から理不尽に怒鳴られて思わず怒りを感じたのもわかっているし、健康診断で「腫瘍があります」といわれたときだってかなり落ちこみましたからねって。

でも、上司から怒鳴られたとき感じた怒りは、その怒りのまえにある「本当の感情」を感じないようにするためのもの。怒りは、怒鳴られた直後の「本当の感情」ではないのです。それは「本当の感情」によってダメージを受けないようにするためのダミーの感情、つまり防御策。

健康診断で悪い結果をいいわたされたときも、とっさに「本当の感情」を感じそうになるやいなや、分析したり考えはじめます。「そのとき感じていました」というのは、今後起こるかもしれない未来のストーリーについて反応していたのであって、そのときそこにあったあるがままのむき出し感情を感じていたわけではないのです。

こころはなんと素早いことか! 「本当の感情」を感じないように、すぐにダミーの感情にすりかえたり、考えをつくりだして感じないようにします。

私たちのこころは「本当の感情」を感じてしまったら自分が立ち直れなくなるのでは・・・ と信じているので、いかにあるがままの感情を感じないようにするか、いつもそのために必死です。すぐさま防衛姿勢をとっているのがわかります。

本当のむき出しの感情を感じてしまったら、耐えられない、もう生きていけないとさえ思っているのです。

そんな感情のすりかえを長年行ってきたがために、こころのなかは罪悪感、恐怖、無価値観などの「感じそこねた感情」のゴミ捨て場になっています。そして、それらのたまりにたまった感情のゴミはまるで腐敗するがごとく、異臭を放ちはじめます。

それこそが、慢性的な落ちこみ、やる気のなさ、いやな感じの原因です。ひどくなると、ゴミから完全に逃げだしたくなります。つまり、死にたくなります。ちゃんと感じてこなかったものが、こころのなかにあふれんばかりになっているのです。

誰も「今感じていることをあるがままに感じていいんだよ」と教えてもらったことがないので、感情の扱いについては親のやり方を真似するようになります。

その親も、もちろん感情をどう扱ったらよいのかわからなかったので、結局誰も正しい感情の扱い方を知らないままです。すると、感情を感じるかわりに考えで合理化したり、あるいはすばやく防衛のためのダミーの感情(怒りなど)にすり替えて周囲にまき散らしたり・・・という代替策になれていきます。

ほんとはね、学校でも「自分の感情の取り扱い」について、ちゃんと教育をしてあげる必要があるな〜と思います。なぜなら、ちゃんと感情を感じることができない弊害こそが、人生の苦しさにつながるからです。

ちゃんと感じることがなかった感情は、こころの深いところに抑圧されるのですが、決して自然と消えてなくなるということはないのです。それらの感情はいつか、沼の奥深くに生息しつづけた妖怪のごとくわやわやと姿をあらわし、問題というかたちで悪さをするようになってしまいます。

「あるがままの感情をあるまがまに感じること」というのは、まるでドッヂボールで飛んできたボールを受けるがごとく、まったくよけることなどなく、正々堂々とお腹の真ん中でドシンとしっかり受けとめてあげること。そしてそのボールがこころにまで染み渡っていくのをあるがままにゆるしてあげること。

「ちゃんと感情を感じていますよ」という場合でも、どうもボールが飛んできたのをヒラリとよけて、でも身体にちょっとかすちゃったみたいな、正々堂々感が足りないのです。

あるいは、はでに声を荒げたり、泣いたりするジェスチャーで誤摩化してしまう場合もあります。これはエネルギーとしては強いのですが、的がはずれていたりします。

「あるがままにそのまま感じる」というのは、本当にジンワリその感情が自分にしみこんで、その感情のバイブレーションとひとつになって存在すること。深く呼吸をしながら、その感情そのものになってみること。

私も何やらわけのわからない感情があらわれてくるとき、意図的にその感情をじっくりと感じる時間をとったりします。

でもそのとき、なかなか感情にピントがビシッとあわないように感じるときがあるのです。感じていて、涙も出てきたりするのですが、今いちフォーカスがあまいわ! ピンボケしてる、というように。

そんなときには、まるでその感情に手動でピントをあわせていくように、深く呼吸をしながらじっくりじっくりと感じていきます(そう、逃がさないぞ〜という感じで!)。

本当に感じていることにしっかりとフォーカスできたとき、身体がビリビリするように感じるときもあるし、思っていた以上にそこに隠されていた感情の巨大さにびっくりすることがあります。感じはじめたらどんどん大きくなって、それに焼き尽くされそうに感じたこともありました。あ〜こんな大きなものを抱えていたのかとびっくり!

でもしっかりとピントがあうと、それなりの手応えを感じるものです。「わあ〜!感じてる!感じてる!」って。やっていくうちに、それが楽しくなってきたりします(マゾですか?!笑)。

その2へつづく

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

17-05-04 今感じている感情に気づいていますか? その1

「今この瞬間に、自分が感じていることをちゃんと感じられるようになってみましょうね」

これは私がセラピーセッションのなかで、クライエントさんにもっともよくかける言葉のひとつです。

・・・ということは、多くの方は「自分が今感じていることをちゃんと感じられていない」ということなのです。

「いいえ、自分が感じていることぐらいちゃんとわかっていますよ」と言われるかもしれません。

上司から理不尽に怒鳴られて思わず怒りを感じたのもわかっているし、健康診断で「腫瘍があります」といわれたときだってかなり落ちこみましたからねって。

でも、上司から怒鳴られたとき感じた怒りは、その怒りのまえにある「本当の感情」を感じないようにするためのもの。怒りは、怒鳴られた直後の「本当の感情」ではないのです。それは「本当の感情」によってダメージを受けないようにするためのダミーの感情、つまり防御策。

健康診断で悪い結果をいいわたされたときも、とっさに「本当の感情」を感じそうになるやいなや、分析したり考えはじめます。「そのとき感じていました」というのは、今後起こるかもしれない未来のストーリーについて反応していたのであって、そのときそこにあったあるがままのむき出し感情を感じていたわけではないのです。

こころはなんと素早いことか! 「本当の感情」を感じないように、すぐにダミーの感情にすりかえたり、考えをつくりだして感じないようにします。

私たちのこころは「本当の感情」を感じてしまったら自分が立ち直れなくなるのでは・・・ と信じているので、いかにあるがままの感情を感じないようにするか、いつもそのために必死です。すぐさま防衛姿勢をとっているのがわかります。

本当のむき出しの感情を感じてしまったら、耐えられない、もう生きていけないとさえ思っているのです。

そんな感情のすりかえを長年行ってきたがために、こころのなかは罪悪感、恐怖、無価値観などの「感じそこねた感情」のゴミ捨て場になっています。そして、それらのたまりにたまった感情のゴミはまるで腐敗するがごとく、異臭を放ちはじめます。

それこそが、慢性的な落ちこみ、やる気のなさ、いやな感じの原因です。ひどくなると、ゴミから完全に逃げだしたくなります。つまり、死にたくなります。ちゃんと感じてこなかったものが、こころのなかにあふれんばかりになっているのです。

誰も「今感じていることをあるがままに感じていいんだよ」と教えてもらったことがないので、感情の扱いについては親のやり方を真似するようになります。

その親も、もちろん感情をどう扱ったらよいのかわからなかったので、結局誰も正しい感情の扱い方を知らないままです。すると、感情を感じるかわりに考えで合理化したり、あるいはすばやく防衛のためのダミーの感情(怒りなど)にすり替えて周囲にまき散らしたり・・・という代替策になれていきます。

ほんとはね、学校でも「自分の感情の取り扱い」について、ちゃんと教育をしてあげる必要があるな〜と思います。なぜなら、ちゃんと感情を感じることができない弊害こそが、人生の苦しさにつながるからです。

ちゃんと感じることがなかった感情は、こころの深いところに抑圧されるのですが、決して自然と消えてなくなるということはないのです。それらの感情はいつか、沼の奥深くに生息しつづけた妖怪のごとくわやわやと姿をあらわし、問題というかたちで悪さをするようになってしまいます。

「あるがままの感情をあるまがまに感じること」というのは、まるでドッヂボールで飛んできたボールを受けるがごとく、まったくよけることなどなく、正々堂々とお腹の真ん中でドシンとしっかり受けとめてあげること。そしてそのボールがこころにまで染み渡っていくのをあるがままにゆるしてあげること。

「ちゃんと感情を感じていますよ」という場合でも、どうもボールが飛んできたのをヒラリとよけて、でも身体にちょっとかすちゃったみたいな、正々堂々感が足りないのです。

あるいは、はでに声を荒げたり、泣いたりするジェスチャーで誤摩化してしまう場合もあります。これはエネルギーとしては強いのですが、的がはずれていたりします。

「あるがままにそのまま感じる」というのは、本当にジンワリその感情が自分にしみこんで、その感情のバイブレーションとひとつになって存在すること。深く呼吸をしながら、その感情そのものになってみること。

私も何やらわけのわからない感情があらわれてくるとき、意図的にその感情をじっくりと感じる時間をとったりします。

でもそのとき、なかなか感情にピントがビシッとあわないように感じるときがあるのです。感じていて、涙も出てきたりするのですが、今いちフォーカスがあまいわ! ピンボケしてる、というように。

そんなときには、まるでその感情に手動でピントをあわせていくように、深く呼吸をしながらじっくりじっくりと感じていきます(そう、逃がさないぞ〜という感じで!)。

本当に感じていることにしっかりとフォーカスできたとき、身体がビリビリするように感じるときもあるし、思っていた以上にそこに隠されていた感情の巨大さにびっくりすることがあります。感じはじめたらどんどん大きくなって、それに焼き尽くされそうに感じたこともありました。あ〜こんな大きなものを抱えていたのかとびっくり!

でもしっかりとピントがあうと、それなりの手応えを感じるものです。「わあ〜!感じてる!感じてる!」って。やっていくうちに、それが楽しくなってきたりします(マゾですか?!笑)。

その2へつづく

 


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング