日曜日, 11月 5 2017

日曜日, 11月 5 2017

気づきの日記「“さらに” “もっと” はいらない」

私の「気づきの日記」は、パソコンに向かっておもむろに書きはじめる ・・・ というよりは、何気に書きとめておいたメモからはじまっていることが多いのです。

それはたいていカフェ ナプキン。カフェでおいしいコーヒーとスウィーツをいただいているときに、ふと・・・言葉がやってきて、手元にあるお店の紙ナプキンにその言葉をメモっておきます。あるときは、そのメモが何枚にも及ぶことも。そして、時間ができたときにゆっくり文章にする・・・という感じ。(どこぞの文豪もカフェの紙ナプキンの愛用者で、いつもアイデアをナプキンにメモしておりましたね。・・・てっきりナプキンだと思っていたけど、これってあんがいメモ用紙だったりして? 笑)

ということで、本日の「気づきの日記」もカフェ ナプキン発です(わたしのバッグのなかには、いつもくちゃくちゃ紙ナプキンが数枚たまっていて、そのままゴミ箱に直行ということも・笑)。

今回なにげにやってきた言葉は、私のお友だちへのメッセージでした。彼女は美を生みだすアーティストとして、日々、努力と研鑽を重ねられています。このメッセージは、みなさまのヒントにもなるかと思いアップしてみました。

Dear: 日々、研鑽をつんでいるアーティストのAさん
From: Your team of Angels

「うまくなろう」「素晴らしくなろう」という努力を手放してしまいましょう。

あなたのその努力のエネルギーを別の方向へ向けるてみるのです。それは、あなたの思いのすべてを手放して「自分という個人を静かにする」・・・ という逆の方向です。

あなたが「うまくなろう」「素晴らしくなろう」「もっと・・・」と思えば思うほど、じつはみずからの「ものたりなさ」や「みじめさ」「不足や不満足感」を強くしています。

この世界では、ひとつの色である「素晴らしい」を生みだすことで、同時にその背景となる色「みじめさ」が姿をあらわします。それが存在するためには、反対の色が必要なのです。たとえば、白い小さな点が認識されるためには、その背景はすべて黒で塗りつぶされる必要があります。それが二元性の世界というものです。片方を強く望むことで、あなたの望まない何かを同時に力強く生みだしているのです。

だから、「さらに」「もっと」と上へ向かおうとするればするほと、下に引っぱる強力な力が生みだされます。それは、あるがままの流れや美しさに対して、水をさすことになるのです。小川の澄んだ水が美いからといって、ではもっと美しくしてみよう!と自分の好きな色であるピンクの絵の具を流してしまうようなもの。あなたの意図する努力は、水をさす方向へと向かいます。

何もしなくても、そこには本来の美しさ、完璧さ、調和がすでに存在していて、何もしないことで姿をあらわします。自分個人のエゴの思いをくわえることによって、調和が乱され、問題ばかりが目につくようになるのです。あなたが何もしないことによってのみ、その完璧さを手にすることができます。

すべてがうまくいっているとき ・・・ そのことに気づくことすらありません。何にも「気づいていない」ときこそ、うまくいっている証拠であり、それでよいのです。

「私には親知らずがあったんだ〜」と気づくのは、親知らずがズキズキと痛みはじめたとき。それまでは、親知らずは自分にとって存在が消えていました。また、頭の存在を意識するのも、頭が重いとか、痛いとか、不具合が生じたときだけです。それまでは、肩から下の身体は目に入るけれど、頭はいつも消えています。肩から上は、いつも空間だったのです。

うまくいっているとき、調子がいいとき、その存在は「完全になくなっている」のです。つまり、自分は関知していなくって、自然の力に委ねられている、自分は手だししていなくて、別の力が完全に面倒をみてくれている ・・・ ということです。

自分が手だししていないときこそ、その力が秩序をもって働いて、完全な調和が存在し、うまくいっているのです。

そうですよね。私たちは身体のたった一個の目に見えないほど小さい細胞さえもコントロールできたためしはありません。なのに、どうしてさらに大きな自分の人生をどうにかできると思っちゃったのでしょうか?

ということは、「ああしたい、こうしたい」「もっと」「さらに」「ああだ、こうだ」 ・・・ と、個人の「自分」が人生にちゃちゃを入れなければ入れないほど、よいということです。親知らずの面倒も、頭の面倒も、すべての細胞の面倒もみて、呼吸させて、代謝させて、生きさせてくれている完璧な力が本領を発揮して、すべてを驚くべき秩序をもって調和のうちに保ってくれている、ということ。それを理解するだけでいいのです。

そして、それが「手放すこと」であり、「委ねること」であり、「受け入れること」であり、「自分が退く」ということです。

つまり、こういうことです。「お願いだから、個人のあなたは静かにしていてくださいね、なんなら、いなくなっちゃってもかまいませんよ。とにかく邪魔しないで下さいね。静かに見ていてくれさえすればいいんです。全部ちゃんと面倒みますから。それは、あなたが予想しているよりも素晴らしい出来なのです。けれど、あなたが指の一本、いえ、指先ででもふれようとすると、すでにそこに存在している完璧さにゆがみが生じてしまいます。だから、あなたはヨイ子になって退いて、そこでリラッックスして見ていてくださいね」

「完全に自分がいなくなったら困るでしょ」 って? ・・・ 大丈夫! いつだって、おなかがすいているときには、勝手にスナックに手がのびているし、トイレに行くに必要があるときには、しらぬまにトイレにいるのです。すべては、それと同じこと。必要な行動は、あなたがいなくっても勝手に生じて、なされて、終了しています。必要なことは、必要なときに、なんの努力もなくすべて教えられているのです。

そして、美や調和はすでにそこにあるものであり、わざわざ創りだすものではないので、必要なことはただあなたにどいてもらうことだけなのです。

これは「A子さんの冒険」というタイトルのついた映画やDVDをA子さんが鑑賞中だということ。だからもちろん、鑑賞しているA子さんは何もする必要はありません。ちゃちゃをいれる必要も、頑張ろうとする必要もなく、ただ見ていて、展開を楽しみ、冒険の結末をわくわくすること。心配しなくても大丈夫。いつもそこには調和があるのですから。夕べTVでやっていた「インディ ジョーンズ」だって、そうとうアブナく見えますが、いつだって絶対に大丈夫なのです・笑。

では、どうぞ冒険映画を楽しんでくださいね〜。文句やちゃちゃで水をささなければ、次々と楽しい冒険が展開して、そしてきっとそのエンディングは期待以上でお気に入りのはずです。

いや〜、映画(人生)って本当にいいもんですね〜!(水野さん風に)それでは次回まで、さよなら!さよなら!さよなら!(淀川さん風に) ( ・◡・ )♫

さてと・・・ 、さらなるメッセージ受信のために(笑)、おいしいコーヒーとスウィーツでももとめてお出かけしてきましょっか♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

17-11-05 “さらに” “もっと” はいらない

私の「気づきの日記」は、パソコンに向かっておもむろに書きはじめる ・・・ というよりは、何気に書きとめておいたメモからはじまっていることが多いのです。

それはたいていカフェ ナプキン。カフェでおいしいコーヒーとスウィーツをいただいているときに、ふと・・・言葉がやってきて、手元にあるお店の紙ナプキンにその言葉をメモっておきます。あるときは、そのメモが何枚にも及ぶことも。そして、時間ができたときにゆっくり文章にする・・・という感じ。(どこぞの文豪もカフェの紙ナプキンの愛用者で、いつもアイデアをナプキンにメモしておりましたね。・・・てっきりナプキンだと思っていたけど、これってあんがいメモ用紙だったりして? 笑)

ということで、本日の「気づきの日記」もカフェ ナプキン発です(わたしのバッグのなかには、いつもくちゃくちゃ紙ナプキンが数枚たまっていて、そのままゴミ箱に直行ということも・笑)。

今回なにげにやってきた言葉は、私のお友だちへのメッセージでした。彼女は美を生みだすアーティストとして、日々、努力と研鑽を重ねられています。このメッセージは、みなさまのヒントにもなるかと思いアップしてみました。

Dear: 日々、研鑽をつんでいるアーティストのAさん
From: Your team of Angels

「うまくなろう」「素晴らしくなろう」という努力を手放してしまいましょう。

あなたのその努力のエネルギーを別の方向へ向けるてみるのです。それは、あなたの思いのすべてを手放して「自分という個人を静かにする」・・・ という逆の方向です。

あなたが「うまくなろう」「素晴らしくなろう」「もっと・・・」と思えば思うほど、じつはみずからの「ものたりなさ」や「みじめさ」「不足や不満足感」を強くしています。

この世界では、ひとつの色である「素晴らしい」を生みだすことで、同時にその背景となる色「みじめさ」が姿をあらわします。それが存在するためには、反対の色が必要なのです。たとえば、白い小さな点が認識されるためには、その背景はすべて黒で塗りつぶされる必要があります。それが二元性の世界というものです。片方を強く望むことで、あなたの望まない何かを同時に力強く生みだしているのです。

だから、「さらに」「もっと」と上へ向かおうとするればするほと、下に引っぱる強力な力が生みだされます。それは、あるがままの流れや美しさに対して、水をさすことになるのです。小川の澄んだ水が美いからといって、ではもっと美しくしてみよう!と自分の好きな色であるピンクの絵の具を流してしまうようなもの。あなたの意図する努力は、水をさす方向へと向かいます。

何もしなくても、そこには本来の美しさ、完璧さ、調和がすでに存在していて、何もしないことで姿をあらわします。自分個人のエゴの思いをくわえることによって、調和が乱され、問題ばかりが目につくようになるのです。あなたが何もしないことによってのみ、その完璧さを手にすることができます。

すべてがうまくいっているとき ・・・ そのことに気づくことすらありません。何にも「気づいていない」ときこそ、うまくいっている証拠であり、それでよいのです。

「私には親知らずがあったんだ〜」と気づくのは、親知らずがズキズキと痛みはじめたとき。それまでは、親知らずは自分にとって存在が消えていました。また、頭の存在を意識するのも、頭が重いとか、痛いとか、不具合が生じたときだけです。それまでは、肩から下の身体は目に入るけれど、頭はいつも消えています。肩から上は、いつも空間だったのです。

うまくいっているとき、調子がいいとき、その存在は「完全になくなっている」のです。つまり、自分は関知していなくって、自然の力に委ねられている、自分は手だししていなくて、別の力が完全に面倒をみてくれている ・・・ ということです。

自分が手だししていないときこそ、その力が秩序をもって働いて、完全な調和が存在し、うまくいっているのです。

そうですよね。私たちは身体のたった一個の目に見えないほど小さい細胞さえもコントロールできたためしはありません。なのに、どうしてさらに大きな自分の人生をどうにかできると思っちゃったのでしょうか?

ということは、「ああしたい、こうしたい」「もっと」「さらに」「ああだ、こうだ」 ・・・ と、個人の「自分」が人生にちゃちゃを入れなければ入れないほど、よいということです。親知らずの面倒も、頭の面倒も、すべての細胞の面倒もみて、呼吸させて、代謝させて、生きさせてくれている完璧な力が本領を発揮して、すべてを驚くべき秩序をもって調和のうちに保ってくれている、ということ。それを理解するだけでいいのです。

そして、それが「手放すこと」であり、「委ねること」であり、「受け入れること」であり、「自分が退く」ということです。

つまり、こういうことです。「お願いだから、個人のあなたは静かにしていてくださいね、なんなら、いなくなっちゃってもかまいませんよ。とにかく邪魔しないで下さいね。静かに見ていてくれさえすればいいんです。全部ちゃんと面倒みますから。それは、あなたが予想しているよりも素晴らしい出来なのです。けれど、あなたが指の一本、いえ、指先ででもふれようとすると、すでにそこに存在している完璧さにゆがみが生じてしまいます。だから、あなたはヨイ子になって退いて、そこでリラッックスして見ていてくださいね」

「完全に自分がいなくなったら困るでしょ」 って? ・・・ 大丈夫! いつだって、おなかがすいているときには、勝手にスナックに手がのびているし、トイレに行くに必要があるときには、しらぬまにトイレにいるのです。すべては、それと同じこと。必要な行動は、あなたがいなくっても勝手に生じて、なされて、終了しています。必要なことは、必要なときに、なんの努力もなくすべて教えられているのです。

そして、美や調和はすでにそこにあるものであり、わざわざ創りだすものではないので、必要なことはただあなたにどいてもらうことだけなのです。

これは「A子さんの冒険」というタイトルのついた映画やDVDをA子さんが鑑賞中だということ。だからもちろん、鑑賞しているA子さんは何もする必要はありません。ちゃちゃをいれる必要も、頑張ろうとする必要もなく、ただ見ていて、展開を楽しみ、冒険の結末をわくわくすること。心配しなくても大丈夫。いつもそこには調和があるのですから。夕べTVでやっていた「インディ ジョーンズ」だって、そうとうアブナく見えますが、いつだって絶対に大丈夫なのです・笑。

では、どうぞ冒険映画を楽しんでくださいね〜。文句やちゃちゃで水をささなければ、次々と楽しい冒険が展開して、そしてきっとそのエンディングは期待以上でお気に入りのはずです。

いや〜、映画(人生)って本当にいいもんですね〜!(水野さん風に)それでは次回まで、さよなら!さよなら!さよなら!(淀川さん風に) ( ・◡・ )♫

さてと・・・ 、さらなるメッセージ受信のために(笑)、おいしいコーヒーとスウィーツでももとめてお出かけしてきましょっか♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング