木曜日, 11月 29 2018

木曜日, 11月 29 2018

気づきの日記「セラピーを受けたのに・・・くりかえす問題」

「セラピーを受けていい調子だったのに ・・・ また同じような問題にハマってしまった ・・・ 」 というとき、

失敗してしまったのではないかという挫折感や、やっぱり変われない私という罪悪感を感じてしまうことがあります。

多くの方が勘違いしているのは、セラピーとは一生のあいだで一回(あるいは1クール・3回)ぐらいを受ければ、もうそれで OK なのだと思ってしまっていること。

残念ながら、なかなかそうはいきません(もちろん、“そのとき” の問題はそのセッションで解決されることでしょう)。しかし、誰でも生きているかぎりは、一生問題に遭遇しつづけます。それが人生というもの。

じつは、すべての人がものすごい量の問題をつくりだす原因をこころのなかにかかえているのです。しかし、それらは無意識化していて、なかなか気づくことがありません。

そのように問題がつぎからつぎへとやってくる人生において、セラピーとは「これは問題だ!」と解釈していたものに対して、だんだん反応しなくなったり、つまり重要視しなくなったり、解釈が変わってしまうために、以前のようにそれを「問題である」ととらえなくなることです。それによって、自分の目にする世界が変わってきます。

そのためには、少しづつこころを再教育してゆく必要があり、たった一回、あるいは数回受けただけではこころのクセから完全に抜け出すことができません。もちろん、そのとき問題だとしていたことに対しては、そのときのセラピーで解決することは可能です。

でも、楽器の練習のごとく、少しづつ練習しながら上達してゆく ・・・ それがこころの再教育にもあてはまります。間違ったパターンが起こるたびに、忍耐強くこころを矯正してゆく必要があるのです。

「これは問題だ!」とさわぎまくるエゴのパターンにだまされず、私たちが静かに完全にスルーすることができるようになるまで、何回もお試しがつづきます。練習問題をときつづけることによって、なんなく答えが導き出せるようになるために、何度も練習させられるような感じです。

そして、練習の成果として、今までとは違う正しい思考や態度が自分のものとなります。

「あの人はいいな〜。私みたいに悩みがなくて。問題とは無縁で、あっけらかんと生きているように見えるもの」とまわりの誰かのことをうらやましく感じ、また自分のことを繊細すぎると恥じてしまうことがあるかもしれません。

けれども、この世界に存在している限り、こころに問題(罪悪感)をかかえていない人はひとりもいません。

難しい問題ややっかいな感情に見まわれているように感じるならば、それは手放す準備ができたとき! そのために、無意識にあった罪悪感や怖れがようやくこころの表面に浮上してきて、それに気づくようになってしまったというわけです。

誰もが問題のタネをかかえています。こころの深いところに、まったく気づかれないように。ない人はいません。でも、「そのとき」がきていない人には、罪悪感や怖れはまったく意識の表面に浮上してくることがありません。

そんな人に「悩みはありますか?」と聞いても、「そんなものありません!悩んでいるんですか? たいへんですね〜」と答えられるかもしれません。けれども、そんな人でもそこはかとない違和感や怖れ、孤独観は感じているに違いありません(それは慢性の頭痛のように、常態化してしまっているだけなのです)。

私たちは、無意識のなかに隠しもっていた罪悪感や怖れを手放す準備ができたときに、問題・悩み・怖れとして隠しもっていたものと向き合うことになります。それを癒すために。

そのときがきたら、解放のときが到来したことを理解して、ただ手放してゆくだけです(今回の人生では、そのようなことは起こらない人もいます。それぞれのときがあります)。

それが始まったとしたら、それはほんとうの自分に目覚めるための時限爆弾(?)が動きだしたときであり、爆発(真の目覚め)が起こるまで、まるでタマネギの皮をむくように、解放としての癒しがつづいてゆきます(こころにある罪悪感や怖れは、よくタマネギやミルフィーユの層にたとえられます。それらを一枚づつ剥がすような作業が癒しなのですね)。

つまり、一枚かたづけると、つぎの層が出てきます。でも、タマネギにしてもミルフィーユにしても、一枚目も二枚目もまったく同じに見えるので、「あれ?セラピーでかたづけたはずなのに、また戻ってきちゃった」と思うわけです。

それは戻ってきたのではなく、ただつぎの層に進んだだけです。癒しがさらにディープに進んだというわけです。でも、事象としては、前回とまったく同じような状態であらわれるので、まるで失敗したからまた同じことをくりかえしているような敗北感を感じてしまいます。でも、いつかは皮はむききれ、層はなくなります。

このように、こころはたくさんの層をなしているので、根気よく浮上してきたものを一枚一枚はがしてゆく必要があるわけです。

それをしてゆくうちに、古いものの見方が完全に正されて、正しいあるがままのものの見方、考え方を身につけてゆくことができるようになります。それは、痛みをしらないものの見方です。

だから、一回セラピーを受けたのに「失敗した!」と自分を責めずに、問題が出てくるたびに「癒しがすすんだから、新たな層が出てきた!」と忍耐強く向きあう必要があります。

そんなわけで、セラピーを習慣化して一ヶ月に、あるいは数ヶ月に一度、こころのお掃除にいらっしゃる方が多いのです。実際、少しセラピーにいらっしゃらないと、溜まった感じが不快に感じるとおっしゃいます。もちろん、ご自分でケアすることもできます。

そのように忍耐強く向きあってゆくうちに、今までとは違った世界の見方を確実に自分のものにしてゆくことができます。

そんなわけで、そのときがきていて癒しがはじまっていると感じたら(問題がどんどんやってくるように感じたら)、それは長いあいだ抑圧されて、完全に闇に葬られていたものがようやく春の雪のように消え去ろうとしているプロセスです。

またとない解放のチャンスをいただいているときであり、「今ならできる!」というときです。

あせらずに、ただ気長にそれに向きあって、こころのなかを見てゆくことが大切なのですね。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

18-11-29 セラピーを受けたのに・・・くりかえす問題

「セラピーを受けていい調子だったのに ・・・ また同じような問題にハマってしまった ・・・ 」 というとき、

失敗してしまったのではないかという挫折感や、やっぱり変われない私という罪悪感を感じてしまうことがあります。

多くの方が勘違いしているのは、セラピーとは一生のあいだで一回(あるいは1クール・3回)ぐらいを受ければ、もうそれで OK なのだと思ってしまっていること。

残念ながら、なかなかそうはいきません(もちろん、“そのとき” の問題はそのセッションで解決されることでしょう)。しかし、誰でも生きているかぎりは、一生問題に遭遇しつづけます。それが人生というもの。

じつは、すべての人がものすごい量の問題をつくりだす原因をこころのなかにかかえているのです。しかし、それらは無意識化していて、なかなか気づくことがありません。

そのように問題がつぎからつぎへとやってくる人生において、セラピーとは「これは問題だ!」と解釈していたものに対して、だんだん反応しなくなったり、つまり重要視しなくなったり、解釈が変わってしまうために、以前のようにそれを「問題である」ととらえなくなることです。それによって、自分の目にする世界が変わってきます。

そのためには、少しづつこころを再教育してゆく必要があり、たった一回、あるいは数回受けただけではこころのクセから完全に抜け出すことができません。もちろん、そのとき問題だとしていたことに対しては、そのときのセラピーで解決することは可能です。

でも、楽器の練習のごとく、少しづつ練習しながら上達してゆく ・・・ それがこころの再教育にもあてはまります。間違ったパターンが起こるたびに、忍耐強くこころを矯正してゆく必要があるのです。

「これは問題だ!」とさわぎまくるエゴのパターンにだまされず、私たちが静かに完全にスルーすることができるようになるまで、何回もお試しがつづきます。練習問題をときつづけることによって、なんなく答えが導き出せるようになるために、何度も練習させられるような感じです。

そして、練習の成果として、今までとは違う正しい思考や態度が自分のものとなります。

「あの人はいいな〜。私みたいに悩みがなくて。問題とは無縁で、あっけらかんと生きているように見えるもの」とまわりの誰かのことをうらやましく感じ、また自分のことを繊細すぎると恥じてしまうことがあるかもしれません。

けれども、この世界に存在している限り、こころに問題(罪悪感)をかかえていない人はひとりもいません。

難しい問題ややっかいな感情に見まわれているように感じるならば、それは手放す準備ができたとき! そのために、無意識にあった罪悪感や怖れがようやくこころの表面に浮上してきて、それに気づくようになってしまったというわけです。

誰もが問題のタネをかかえています。こころの深いところに、まったく気づかれないように。ない人はいません。でも、「そのとき」がきていない人には、罪悪感や怖れはまったく意識の表面に浮上してくることがありません。

そんな人に「悩みはありますか?」と聞いても、「そんなものありません!悩んでいるんですか? たいへんですね〜」と答えられるかもしれません。けれども、そんな人でもそこはかとない違和感や怖れ、孤独観は感じているに違いありません(それは慢性の頭痛のように、常態化してしまっているだけなのです)。

私たちは、無意識のなかに隠しもっていた罪悪感や怖れを手放す準備ができたときに、問題・悩み・怖れとして隠しもっていたものと向き合うことになります。それを癒すために。

そのときがきたら、解放のときが到来したことを理解して、ただ手放してゆくだけです(今回の人生では、そのようなことは起こらない人もいます。それぞれのときがあります)。

それが始まったとしたら、それはほんとうの自分に目覚めるための時限爆弾(?)が動きだしたときであり、爆発(真の目覚め)が起こるまで、まるでタマネギの皮をむくように、解放としての癒しがつづいてゆきます(こころにある罪悪感や怖れは、よくタマネギやミルフィーユの層にたとえられます。それらを一枚づつ剥がすような作業が癒しなのですね)。

つまり、一枚かたづけると、つぎの層が出てきます。でも、タマネギにしてもミルフィーユにしても、一枚目も二枚目もまったく同じに見えるので、「あれ?セラピーでかたづけたはずなのに、また戻ってきちゃった」と思うわけです。

それは戻ってきたのではなく、ただつぎの層に進んだだけです。癒しがさらにディープに進んだというわけです。でも、事象としては、前回とまったく同じような状態であらわれるので、まるで失敗したからまた同じことをくりかえしているような敗北感を感じてしまいます。でも、いつかは皮はむききれ、層はなくなります。

このように、こころはたくさんの層をなしているので、根気よく浮上してきたものを一枚一枚はがしてゆく必要があるわけです。

それをしてゆくうちに、古いものの見方が完全に正されて、正しいあるがままのものの見方、考え方を身につけてゆくことができるようになります。それは、痛みをしらないものの見方です。

だから、一回セラピーを受けたのに「失敗した!」と自分を責めずに、問題が出てくるたびに「癒しがすすんだから、新たな層が出てきた!」と忍耐強く向きあう必要があります。

そんなわけで、セラピーを習慣化して一ヶ月に、あるいは数ヶ月に一度、こころのお掃除にいらっしゃる方が多いのです。実際、少しセラピーにいらっしゃらないと、溜まった感じが不快に感じるとおっしゃいます。もちろん、ご自分でケアすることもできます。

そのように忍耐強く向きあってゆくうちに、今までとは違った世界の見方を確実に自分のものにしてゆくことができます。

そんなわけで、そのときがきていて癒しがはじまっていると感じたら(問題がどんどんやってくるように感じたら)、それは長いあいだ抑圧されて、完全に闇に葬られていたものがようやく春の雪のように消え去ろうとしているプロセスです。

またとない解放のチャンスをいただいているときであり、「今ならできる!」というときです。

あせらずに、ただ気長にそれに向きあって、こころのなかを見てゆくことが大切なのですね。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング