土曜日, 4月 6 2019

土曜日, 4月 6 2019

気づきの日記「パートナーに変わってほしいのです!」

Bさんからのご質問: 「パートナーはいつも仕事のことや自分のことで忙しく、私は置きざりにされているように感じてしまいます。もっと私や家族のことを思いやってほしい!と悲しくなるのです」

A:  お互いが「人生で何をいちばん大切にしているのか」を話しあい、理解することがまず大切です。が・・・

Bさんの場合、もう何度も話しあい、Bさんが一緒にすごす時間を大切にしたいということをパートナーは重々了解ずみとのことなのです。

お互いが歩みよることが必要ですが、それでも同じ状況がつづく場合には、もう少し深いレベルで問題をとらえてゆかなければなりません。

私たちはおうおうにして、「パートナーとは、自分の必要をみたす義務がある」と信じてしまいます。「それがパートナーでしょ?!」と。

その結果、「あるがまま」に生きるその人ではなく、自分の理想のカタにはめこみ、思いどおりになってくれるまで葛藤がつづくことになります(が、思いどおりになりませんっ・汗)。

ある意味、私たちが「誰かを必要としている」とき、それは意識的に、あるいは無意識的に、自分のなかにある怖れをうめたいと望んでいるからです。そして、「この人なら自分の需要を満たせるはず!」とお互いが確信できれば、関係が成立することになります。

でも、自分が目にする相手というのは、そもそも自分のこころが信じているものをイメージ化した姿です。真実ではありません。

しだいに関係が深まると、自分のなかにあった「欠乏感」を相手のなかに見るようになってきます。

私たちは「自分のなかの足りなさや間違いは、自分の外に追いやって、目のまえの相手にそれ見る」というクセがあります。自分の思いを通してしかものごとを見ることができないので、必然的に自分の欠乏感を相手のなかに見るのです。

それは相手に欠けていたのではなく、自分のこころのなかで起こっていることなのです。

欠乏感が強く、まるで溺れるような恐怖を感じているとき、私たちは何かにすがりつかなければ!と、目のまえの相手をにぎりしめてしまいます。すると、相手は自分も溺れるのでは!という恐怖を感じて逃げ出すことになるのです。

なぜなら、彼も同様の欠乏感を感じながら彼なりに頑張っていたので、二人分も面倒を見られないと感じるからです。そうなると、彼は彼で自分の救いがえられる何か(仕事、趣味、お酒、恋愛、ギャンブル・・・)に必死ですがりつくことになり、すがりつかれた相手から逃れて、どこか他へ向かっていくように見えるのです。

「なぜ、この人は私に必要なものを与えてくれないのだ!」(たとえば、一緒にすごす時間など)とつめよってみても、まず自分のなかで欠乏感がある限り、すでにそこに答えがあったとしても見つけることができません。

どうにかしなくてはならないのは彼ではなく、自分のこころのなかにある不足の思いだからです。

相手は、あるがままのとして生きているだけなのですが、私たちのなかの不足の思いが相手をあるがままにしておくことをゆるさなくしてしまうのです。

さて・・・ どうすればよいのでしょうか?

まず「なぜ、自分はそんなに動揺しているのか?」「自分のなかで何が起きているのか?」をしっかりと見て、気づく必要があります。

そこにある思いこそが、真の原因だからです。

すると、「私はひとりではひどく空虚で死んでしまいそうだ、みじめだ」という思いがあるかもしれないし、「私は見捨てられていて、怖くてしかたがない」という感情があるかもしれません。

そこにある孤独や恐怖の感情を、まったく隠したり抵抗することなく、まるのままゆるして受けとめます。なぜなら、それはずっとそこにあったからです。いくら押しやって、この感情の責任を誰かにとってもらおうとしてもそれはなくならないからです。

そして、やすらぎのなかで生きることこそが、自分自身の自然なあり方であり、そのやすらぎはすでに自分のなかにあることを思い出さなければなりません。

それを邪魔している思いも気持ちも、ハイヤーセルフ(高い意自己)へとさしだして、もっていってもらうことで手放すことができます。

その悲しみや孤独という思いや気持ちの下にこそ、ゆらぐことのないやすらぎや平和が隠されているからです。それは最初からないのではなく、ただ間違った自分を信じつづけたために見つけることができなくなっていたのです。

このように、「誰か」に自分の葛藤をおしつけて解決してもらおうとするのではなく、まず自分のなかに未解決の思いと感情があることを認めて、それから逃げずに向きあい、そのあとにハイヤーセルフに渡して、真の自分でないものを取り去ってもらいましょう。

そして、自分のまわりにいる人に要求や怒りや、葛藤を感じるときには、「これは自分の問題である」こと、そして「責任転嫁したいためにこの人のなかに見ようとしている」ことに気づき、そのたびごとに自分のこころへと戻るようにします。

自分のこころにあった不具合が取り除かれると、すべてがあるがままで問題がなく見えてきます。

悲しみの原因に見えたことも、まったく違う視点で見られるようになり、今まで見えていなかった愛や思いやりや優しさ、すべての流れの完全さを見られるようになるかもしれません。

外へ人へと向かって満たしてくれるものを探そうとするのではなく、自分のうちなる思い・感情に向かいあうことが大切です。

自分のこころにしっかりと向きあいはじめるとき、こころが映しだす世界は必ず変化をしてゆきます。

間違っていたのは目にしている世界ではなく、自分のこころにある「思い」だったのだと気づき、その「思い」じたいも自分のほんとうの「思い」ではないと気づくこと。そして、それを手放す決意をすること、です。

自分のこころの葛藤が取り除かれることによって、外の世界の葛藤がなくなってゆくのを感じることができます。

また、自分の思いが見るものに反映するのであれば、相手の「よいところ」「愛のあるところ」「尊敬できるところ」を見られる自分になりたいとハイヤーセルフにお願いしてみましょう。

相手の輝いているところを見せてもらうことで、自分の無意識のなかへと追いやっていた同じ部分を目覚めさせることができます。それによって、目にする世界のなかにも輝きややすらぎがふえるという好循環が生まれるかもしれません。

相手を変えることはできませんが、自分のこころを変えることでしだいに変化を生みだすことができるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

19-04-06 パートナーに変わってほしいのです!

Bさんからのご質問: 「パートナーはいつも仕事のことや自分のことで忙しく、私は置きざりにされているように感じてしまいます。もっと私や家族のことを思いやってほしい!と悲しくなるのです」

A:  お互いが「人生で何をいちばん大切にしているのか」を話しあい、理解することがまず大切です。が・・・

Bさんの場合、もう何度も話しあい、Bさんが一緒にすごす時間を大切にしたいということをパートナーは重々了解ずみとのことなのです。

お互いが歩みよることが必要ですが、それでも同じ状況がつづく場合には、もう少し深いレベルで問題をとらえてゆかなければなりません。

私たちはおうおうにして、「パートナーとは、自分の必要をみたす義務がある」と信じてしまいます。「それがパートナーでしょ?!」と。

その結果、「あるがまま」に生きるその人ではなく、自分の理想のカタにはめこみ、思いどおりになってくれるまで葛藤がつづくことになります(が、思いどおりになりませんっ・汗)。

ある意味、私たちが「誰かを必要としている」とき、それは意識的に、あるいは無意識的に、自分のなかにある怖れをうめたいと望んでいるからです。そして、「この人なら自分の需要を満たせるはず!」とお互いが確信できれば、関係が成立することになります。

でも、自分が目にする相手というのは、そもそも自分のこころが信じているものをイメージ化した姿です。真実ではありません。

しだいに関係が深まると、自分のなかにあった「欠乏感」を相手のなかに見るようになってきます。

私たちは「自分のなかの足りなさや間違いは、自分の外に追いやって、目のまえの相手にそれ見る」というクセがあります。自分の思いを通してしかものごとを見ることができないので、必然的に自分の欠乏感を相手のなかに見るのです。

それは相手に欠けていたのではなく、自分のこころのなかで起こっていることなのです。

欠乏感が強く、まるで溺れるような恐怖を感じているとき、私たちは何かにすがりつかなければ!と、目のまえの相手をにぎりしめてしまいます。すると、相手は自分も溺れるのでは!という恐怖を感じて逃げ出すことになるのです。

なぜなら、彼も同様の欠乏感を感じながら彼なりに頑張っていたので、二人分も面倒を見られないと感じるからです。そうなると、彼は彼で自分の救いがえられる何か(仕事、趣味、お酒、恋愛、ギャンブル・・・)に必死ですがりつくことになり、すがりつかれた相手から逃れて、どこか他へ向かっていくように見えるのです。

「なぜ、この人は私に必要なものを与えてくれないのだ!」(たとえば、一緒にすごす時間など)とつめよってみても、まず自分のなかで欠乏感がある限り、すでにそこに答えがあったとしても見つけることができません。

どうにかしなくてはならないのは彼ではなく、自分のこころのなかにある不足の思いだからです。

相手は、あるがままのとして生きているだけなのですが、私たちのなかの不足の思いが相手をあるがままにしておくことをゆるさなくしてしまうのです。

さて・・・ どうすればよいのでしょうか?

まず「なぜ、自分はそんなに動揺しているのか?」「自分のなかで何が起きているのか?」をしっかりと見て、気づく必要があります。

そこにある思いこそが、真の原因だからです。

すると、「私はひとりではひどく空虚で死んでしまいそうだ、みじめだ」という思いがあるかもしれないし、「私は見捨てられていて、怖くてしかたがない」という感情があるかもしれません。

そこにある孤独や恐怖の感情を、まったく隠したり抵抗することなく、まるのままゆるして受けとめます。なぜなら、それはずっとそこにあったからです。いくら押しやって、この感情の責任を誰かにとってもらおうとしてもそれはなくならないからです。

そして、やすらぎのなかで生きることこそが、自分自身の自然なあり方であり、そのやすらぎはすでに自分のなかにあることを思い出さなければなりません。

それを邪魔している思いも気持ちも、ハイヤーセルフ(高い意自己)へとさしだして、もっていってもらうことで手放すことができます。

その悲しみや孤独という思いや気持ちの下にこそ、ゆらぐことのないやすらぎや平和が隠されているからです。それは最初からないのではなく、ただ間違った自分を信じつづけたために見つけることができなくなっていたのです。

このように、「誰か」に自分の葛藤をおしつけて解決してもらおうとするのではなく、まず自分のなかに未解決の思いと感情があることを認めて、それから逃げずに向きあい、そのあとにハイヤーセルフに渡して、真の自分でないものを取り去ってもらいましょう。

そして、自分のまわりにいる人に要求や怒りや、葛藤を感じるときには、「これは自分の問題である」こと、そして「責任転嫁したいためにこの人のなかに見ようとしている」ことに気づき、そのたびごとに自分のこころへと戻るようにします。

自分のこころにあった不具合が取り除かれると、すべてがあるがままで問題がなく見えてきます。

悲しみの原因に見えたことも、まったく違う視点で見られるようになり、今まで見えていなかった愛や思いやりや優しさ、すべての流れの完全さを見られるようになるかもしれません。

外へ人へと向かって満たしてくれるものを探そうとするのではなく、自分のうちなる思い・感情に向かいあうことが大切です。

自分のこころにしっかりと向きあいはじめるとき、こころが映しだす世界は必ず変化をしてゆきます。

間違っていたのは目にしている世界ではなく、自分のこころにある「思い」だったのだと気づき、その「思い」じたいも自分のほんとうの「思い」ではないと気づくこと。そして、それを手放す決意をすること、です。

自分のこころの葛藤が取り除かれることによって、外の世界の葛藤がなくなってゆくのを感じることができます。

また、自分の思いが見るものに反映するのであれば、相手の「よいところ」「愛のあるところ」「尊敬できるところ」を見られる自分になりたいとハイヤーセルフにお願いしてみましょう。

相手の輝いているところを見せてもらうことで、自分の無意識のなかへと追いやっていた同じ部分を目覚めさせることができます。それによって、目にする世界のなかにも輝きややすらぎがふえるという好循環が生まれるかもしれません。

相手を変えることはできませんが、自分のこころを変えることでしだいに変化を生みだすことができるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング