火曜日, 10月 1 2019

火曜日, 10月 1 2019

気づきの日記「イヤな夢をみます・・・」

Q: なんか最近、イヤな夢を見るようになったのですが・・・?(汗)

A: たびたびこんなご質問をうけます。とくに、セラピーが一段落してから、あるいはセラピーの期間中に。

イヤな夢といってもそれはけっこう強烈で、「人を殺してしまいました」みたいな。

そこで私は、「大丈夫ですよ〜!私も殺りましたから♪」とお答えすると仰天されます(笑)。

それはけっこうリアルな夢で、目覚めてからも夢と現実のハザマから抜けだせず、しばしボウゼンとしていましたっけ(汗)。それだけ鮮明だったのです。

バチカンのサン ピエトロ寺院に「開かずの扉」というのがあるのですが・・・

それは25年に一度しか開かない扉です。こどもの頃、その扉を開ける儀式をテレビで見ていたのを覚えています。

お子ちゃまにとっての25年はとてつもなく長く感じるので、「とってもすごい扉を開けているのだ」とそのなりゆきにをドキドキしながら見守っていました。

25年ももったいぶって、いったい何を隠しているのだろう? 扉もキラキラだけど、その向こうはよほどスゴいんだろうな〜? キリストが坐っていたりして?! ・・・と扉の向こうの光景に胸をふくらませて・・・。しかし・・・

そのそびえ立つ大きな扉は計算どおりに開かなくて、法王がハンマーなどでたたいたりして、かなり難航したあげくようやく少し開いた!と思ったら、上からドドっと土砂のようになにかがふり注いできたのです。

扉は漆喰で固めていたらしく、その破片かもしれないし、あるいは25年間のすすやホコリの塊かもしれません。予想外のドドっと襲いかかって舞い上がるものに私も固唾を飲みました。

これなのですよっ!! 私たちがこころを癒しはじめると出くわすのは。

私たちの「ほんとうの自分」「真のちから」「楽園」も、開かずの扉の向こうにしっかりと守られているのです。

それは25年どころではなく、どれだけ輪廻をくりかえして、「今度こそ開けてやるんだ!」と固く決意をしながらやってきても、それは叶えられぬままです。

なぜなら、目のまえのあれこれにかかずらっているうちに、扉を開けるんだった!という目的をすっぽり忘れてしまうから。

大掃除をしていて、何か懐かしいもの、珍しものに出くわして、それに気をとられいるうちにお掃除をすっかり忘れて遊びほうけちゃう感じ。

また、それだけ大切な「ホンモノ」、「楽園」を守る扉は、そうそうたやすく手が届くようにはできていないのです。しっかりと、がっちりと守られています。

でも、今回、ようやく! ついに! めでたく! こころの開かずの扉に手をかけて、ナント! くさびを打ちこんでしまったのです。それゆえに、扉はきしみはじめました。

そうしたら、封印のための漆喰やら、永年のちりにホコリに、さらにコウモリやらネズミやら、わけのわからないゲジゲジ虫も、あれもこれも ・・・いっせいに飛び出してきちゃったというわけです。

それがこの悪夢の正体。

「真の自分」「自分の楽園」を守ってきたこころの扉、いままで一度も開けたことのない扉がきしんで、開きそうになっている証拠なのです。

でも、人はここで思うのです。こんないやな気もちになるのは、きっと何かが間違っているにちがいない ・・・ と。

これこそがエゴの罠です。怖れや疑い、狂気の感覚を使って、ぜったいにこの扉に触れないようにたくらんでいるのです。ほんとうは、めちゃくちゃうまくいっていること、牙城が崩されそうだ、ということを必死で誤摩化したいのです。

なぜなら、ほんとうの自分を見つけてしまったら、幸せな自分になってしまったら、エゴは一巻の終わりです。消えてしまうしかないのです。だから絶対見つけてほしくないのです。

そのため、エゴはその「真の自分」「楽園」を、「恐怖」や「悪夢」でラッピングしちゃったのです。そうすれば、誰もそれに近づいてこられないからです。

でも、セラピーをはじめると、「恐怖」などの怖れの感情をそのまま受けとめて無防備に感じる練習をします。そして、とても上手になってしまいます。

ということは、この宝ものを包んでいる恐怖というラッピングに直面しはじめるわけです。それをどんどんほどきながら。

だから、夢のなかで怖れに出会うのは、抑圧して見ないようにしていた怖れにようやく直面できるようになったということであり、むしろ、正しいプロセスの道しるべとも言えます。

そのまま突き進みましょう。恐れを玉砕しましょう。バチカンの扉のように、その向こうにこそお宝があります。

ちょっとキツく感じるときには、ハイヤーセルフにお願いして、すこし歩みをゆっくりにしてもらうこともできます。「もう少しお手やわらかに」とお願いしてみてください。

けれども、いずれ、どこかの人生のなかで、かならず向きあうことになるシロモノです、その怖れは。今生でやるのか、それとも次に持ちこすのか。

でも、なぜコワいのかという理由がわかっていれば、そんな怖さも笑えたりするものです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

19-10-01 イヤな夢をみます・・・

Q: なんか最近、イヤな夢を見るようになったのですが・・・?(汗)

A: たびたびこんなご質問をうけます。とくに、セラピーが一段落してから、あるいはセラピーの期間中に。

イヤな夢といってもそれはけっこう強烈で、「人を殺してしまいました」みたいな。

そこで私は、「大丈夫ですよ〜!私も殺りましたから♪」とお答えすると仰天されます(笑)。

それはけっこうリアルな夢で、目覚めてからも夢と現実のハザマから抜けだせず、しばしボウゼンとしていましたっけ(汗)。それだけ鮮明だったのです。

バチカンのサン ピエトロ寺院に「開かずの扉」というのがあるのですが・・・

それは25年に一度しか開かない扉です。こどもの頃、その扉を開ける儀式をテレビで見ていたのを覚えています。

お子ちゃまにとっての25年はとてつもなく長く感じるので、「とってもすごい扉を開けているのだ」とそのなりゆきにをドキドキしながら見守っていました。

25年ももったいぶって、いったい何を隠しているのだろう? 扉もキラキラだけど、その向こうはよほどスゴいんだろうな〜? キリストが坐っていたりして?! ・・・と扉の向こうの光景に胸をふくらませて・・・。しかし・・・

そのそびえ立つ大きな扉は計算どおりに開かなくて、法王がハンマーなどでたたいたりして、かなり難航したあげくようやく少し開いた!と思ったら、上からドドっと土砂のようになにかがふり注いできたのです。

扉は漆喰で固めていたらしく、その破片かもしれないし、あるいは25年間のすすやホコリの塊かもしれません。予想外のドドっと襲いかかって舞い上がるものに私も固唾を飲みました。

これなのですよっ!! 私たちがこころを癒しはじめると出くわすのは。

私たちの「ほんとうの自分」「真のちから」「楽園」も、開かずの扉の向こうにしっかりと守られているのです。

それは25年どころではなく、どれだけ輪廻をくりかえして、「今度こそ開けてやるんだ!」と固く決意をしながらやってきても、それは叶えられぬままです。

なぜなら、目のまえのあれこれにかかずらっているうちに、扉を開けるんだった!という目的をすっぽり忘れてしまうから。

大掃除をしていて、何か懐かしいもの、珍しものに出くわして、それに気をとられいるうちにお掃除をすっかり忘れて遊びほうけちゃう感じ。

また、それだけ大切な「ホンモノ」、「楽園」を守る扉は、そうそうたやすく手が届くようにはできていないのです。しっかりと、がっちりと守られています。

でも、今回、ようやく! ついに! めでたく! こころの開かずの扉に手をかけて、ナント! くさびを打ちこんでしまったのです。それゆえに、扉はきしみはじめました。

そうしたら、封印のための漆喰やら、永年のちりにホコリに、さらにコウモリやらネズミやら、わけのわからないゲジゲジ虫も、あれもこれも ・・・いっせいに飛び出してきちゃったというわけです。

それがこの悪夢の正体。

「真の自分」「自分の楽園」を守ってきたこころの扉、いままで一度も開けたことのない扉がきしんで、開きそうになっている証拠なのです。

でも、人はここで思うのです。こんないやな気もちになるのは、きっと何かが間違っているにちがいない ・・・ と。

これこそがエゴの罠です。怖れや疑い、狂気の感覚を使って、ぜったいにこの扉に触れないようにたくらんでいるのです。ほんとうは、めちゃくちゃうまくいっていること、牙城が崩されそうだ、ということを必死で誤摩化したいのです。

なぜなら、ほんとうの自分を見つけてしまったら、幸せな自分になってしまったら、エゴは一巻の終わりです。消えてしまうしかないのです。だから絶対見つけてほしくないのです。

そのため、エゴはその「真の自分」「楽園」を、「恐怖」や「悪夢」でラッピングしちゃったのです。そうすれば、誰もそれに近づいてこられないからです。

でも、セラピーをはじめると、「恐怖」などの怖れの感情をそのまま受けとめて無防備に感じる練習をします。そして、とても上手になってしまいます。

ということは、この宝ものを包んでいる恐怖というラッピングに直面しはじめるわけです。それをどんどんほどきながら。

だから、夢のなかで怖れに出会うのは、抑圧して見ないようにしていた怖れにようやく直面できるようになったということであり、むしろ、正しいプロセスの道しるべとも言えます。

そのまま突き進みましょう。恐れを玉砕しましょう。バチカンの扉のように、その向こうにこそお宝があります。

ちょっとキツく感じるときには、ハイヤーセルフにお願いして、すこし歩みをゆっくりにしてもらうこともできます。「もう少しお手やわらかに」とお願いしてみてください。

けれども、いずれ、どこかの人生のなかで、かならず向きあうことになるシロモノです、その怖れは。今生でやるのか、それとも次に持ちこすのか。

でも、なぜコワいのかという理由がわかっていれば、そんな怖さも笑えたりするものです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング