日曜日, 1月 5 2020

日曜日, 1月 5 2020

気づきの日記「豊かさに導いてもらいましょう!」

今年の目標はなんでしょう? もう決まりましたか?

「もっと運動をしたいです」「お酒を減らしたいです」「勉強したいです」 ・・・ などなど、それらはみんな「〜したい」か「〜しなようにしたい」ということ。

それは、もともとうまくいっていないなにかがあって、その修正が目標となります。

「健康診断でNG出されちゃったから、運動したい」とか「太っちゃったから、お酒減らそう」、「進学できなくなるから、もっと勉強しよう」など。

不満足さ、足りなさがベースとしてあり、その不満足さゆえの目標です。(まったく完全だったら、目標の意味がありませんものね。)

でも大切なのは、「こころは、信じていることしか見ることができない」ので、もし「不満足」が前提であるのなら、結局なにを目標にかかげても、なにをつけ加えようとしても、こころで信じている「不満足」を見ることになってしまう、というトリッキーさがあります。

そこにあった想いこそが、結果そのものだからです。

不十分、不満足、不足は、ここにいる誰もが感じている集団的な想いではあるのですが・・・

想いださなくてはならないのは、真に存在するものは唯一であり、唯一であるからこそそれは完全であり、欠けてはおらず、満たされているのです。唯一であるがゆえに、それ以外は存在しません(こころのなかでは、いくらでも不足を信じて自分を欺くことはできますが・・・)。

そして、(たとえどう信じていようとも)私たちは今も、その完全さで満たされたままです(それ以外にはないので)。

そうであれば、不足をベースにしたあれこれの目標よりも、まずその完全性の目線をしっかりと取り戻すことこそが、「すべて」における解決策として必要です。

存在する唯一のものの記憶はこころの奥深くに存在していて、私たちに発掘されるのを待っています。けれど、「なにかが必要だ!」という不完全さの想いとともにそれは姿を消し、受けとられることがなくなってしまいます。

私たちは「自分が見たいと思うものをただひとつだけ選んで、それを見る」からです。「あれ」と「これ」は、同時に見られないのです。選ばなくてはなりません。

不足の想いを信じるのか、それともすでにある完全さを信じるのか。

すべての問題の解決のカギとなる「十分さ、完全さ」に気づくには、こころが忙しく外側にとらわれるのではなく、それが存在している内側に向きなおり、シンと静まりかえる必要があります。

「これ」こそが私を救ってくれると信じていた外側のものへの依存を、いったん手放すことです。

こころという湖面のじゃぶじゃぶがおさまってスーーーッと静かになったとき、こころの深いところからその完全さの光が輝きだして 、その「十分さ」「完全さ」という光のなかですべてを新たに見せてくれます。

そちらへ向かったとき、今までと違ったものの見方に導かれるのを感じるかもしれません。そこにあったあれやこれやのバタバタが洗い清められ、まっさらな静けさのストーリーとして戻されてきます。

ついつい「行動」にたよって、「なにかをする」ことで解決しようとしていることに気づいたら、じっとがまんして、まずはこころをシンと静かにしてみましょう。

自分の「存在の感覚」「ある、という感覚」とつながるようにしてみましょう。

この感覚のなかから自然に起こることはなんであれ(たとえそれが、当初の目標とまったく同じになったとしても)、安らぎのあるストーリーに導いてくれます。

それは、不足の想いから導き出される結果ではなく、すでにある十分さを見せてもらうことになるからです。

新しい年、ぜひ静かにすわって、自分が存在している、呼吸している、ある、という感覚とつながってみましょう。それは、自分の宝のありかに目を向けて、受け入れること。

足りないから「つけ足す」ための目標ではなく、すでにあるから「それを見る」ために、その安らぎと豊かさのなかから導かれてみましょう。

まったく同じように行っているように見えたとしても、そこには喜びや安らぎ、平和、愛というなつかしい光が輝いているかもしれません。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

image/freepik.com

 

20-01-05 豊かさに導いてもらいましょう!

今年の目標はなんでしょう? もう決まりましたか?

「もっと運動をしたいです」「お酒を減らしたいです」「勉強したいです」 ・・・ などなど、それらはみんな「〜したい」か「〜しなようにしたい」ということ。

それは、もともとうまくいっていないなにかがあって、その修正が目標となります。

「健康診断でNG出されちゃったから、運動したい」とか「太っちゃったから、お酒減らそう」、「進学できなくなるから、もっと勉強しよう」など。

不満足さ、足りなさがベースとしてあり、その不満足さゆえの目標です。(まったく完全だったら、目標の意味がありませんものね。)

でも大切なのは、「こころは、信じていることしか見ることができない」ので、もし「不満足」が前提であるのなら、結局なにを目標にかかげても、なにをつけ加えようとしても、こころで信じている「不満足」を見ることになってしまう、というトリッキーさがあります。

そこにあった想いこそが、結果そのものだからです。

不十分、不満足、不足は、ここにいる誰もが感じている集団的な想いではあるのですが・・・

想いださなくてはならないのは、真に存在するものは唯一であり、唯一であるからこそそれは完全であり、欠けてはおらず、満たされているのです。唯一であるがゆえに、それ以外は存在しません(こころのなかでは、いくらでも不足を信じて自分を欺くことはできますが・・・)。

そして、(たとえどう信じていようとも)私たちは今も、その完全さで満たされたままです(それ以外にはないので)。

そうであれば、不足をベースにしたあれこれの目標よりも、まずその完全性の目線をしっかりと取り戻すことこそが、「すべて」における解決策として必要です。

存在する唯一のものの記憶はこころの奥深くに存在していて、私たちに発掘されるのを待っています。けれど、「なにかが必要だ!」という不完全さの想いとともにそれは姿を消し、受けとられることがなくなってしまいます。

私たちは「自分が見たいと思うものをただひとつだけ選んで、それを見る」からです。「あれ」と「これ」は、同時に見られないのです。選ばなくてはなりません。

不足の想いを信じるのか、それともすでにある完全さを信じるのか。

すべての問題の解決のカギとなる「十分さ、完全さ」に気づくには、こころが忙しく外側にとらわれるのではなく、それが存在している内側に向きなおり、シンと静まりかえる必要があります。

「これ」こそが私を救ってくれると信じていた外側のものへの依存を、いったん手放すことです。

こころという湖面のじゃぶじゃぶがおさまってスーーーッと静かになったとき、こころの深いところからその完全さの光が輝きだして 、その「十分さ」「完全さ」という光のなかですべてを新たに見せてくれます。

そちらへ向かったとき、今までと違ったものの見方に導かれるのを感じるかもしれません。そこにあったあれやこれやのバタバタが洗い清められ、まっさらな静けさのストーリーとして戻されてきます。

ついつい「行動」にたよって、「なにかをする」ことで解決しようとしていることに気づいたら、じっとがまんして、まずはこころをシンと静かにしてみましょう。

自分の「存在の感覚」「ある、という感覚」とつながるようにしてみましょう。

この感覚のなかから自然に起こることはなんであれ(たとえそれが、当初の目標とまったく同じになったとしても)、安らぎのあるストーリーに導いてくれます。

それは、不足の想いから導き出される結果ではなく、すでにある十分さを見せてもらうことになるからです。

新しい年、ぜひ静かにすわって、自分が存在している、呼吸している、ある、という感覚とつながってみましょう。それは、自分の宝のありかに目を向けて、受け入れること。

足りないから「つけ足す」ための目標ではなく、すでにあるから「それを見る」ために、その安らぎと豊かさのなかから導かれてみましょう。

まったく同じように行っているように見えたとしても、そこには喜びや安らぎ、平和、愛というなつかしい光が輝いているかもしれません。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

image/freepik.com