水曜日, 1月 22 2020

水曜日, 1月 22 2020

気づきの日記「人から攻撃されがちです・・・」

Q: 職場でも日常の人間関係でも、責められたりイジワルなことを言われたりすることが多いように思います・・・。

A: なにかしら自分に攻撃がやってくるとき、それは外側の世界やらやってくるように見えるので、自分にはコントロールできないように感じてしまいます。

しかし、自分のこころが「責められている」「攻撃されている」と言っているのであれば、やはりそれは自分のこころのなかに存在する問題なのです。

そして、「自分」の問題であるからこそ、幸いにもそれは自分自身で変化させることができます。

私たちは「その出来事」に「その意味=イジワル・攻撃」がセットになっていると信じがちですが、じつはそうではありません。

同じ体験をしたとしても全員それに対する知覚(何を体験したのかの意味)は違ったものになるからです。全員、まったく違う体験をし、それを解釈しています。

となれば、自分がその出来事についての意味を「選んでいる」というわけです。それが、この出来事についての「自分自身の理解」なのです。

自分のなかに存在していないことは決して理解できません。その出来事について「イジワルされた」「攻撃された」という意味を選んだということは、無意識のうちに自分でも「イジワル・攻撃」というワザを外側の世界へとくりだしている、ということになります。

私たちは「自分のなかに存在しているもの」だけを知覚することができます。自分のなかにないものは、知覚しません。

「責め」「攻撃」を知覚するとしたら、それは確かに自分のなかに存在していて、そこにあるからこそ世界や人という外側のスクリーンに映し出すことによって眺めることができます。

人のなかに自分の隠しもった姿を映し出すことで、エゴはそれを公然と裁くことができ、裁きによって自分の存在を肥大化しようとたくらみます。

このように自分の中のエゴを人のなかに映し出して見ることによって、「人は間違っている!けれど、私は正しい!」と裁きをくだし、自分のなかに隠れている間違いをパワーアップすることに成功しているのです。

外の世界に間違いがあるように見えるなら、自分のなかなど正す必要はないので、エゴの間違いはただただ力をえてゆくのみです。

しかし、もし「外に見える以上、それはもれなく自分のなかにある」「あるからこそ見える」と認めることができたなら、自分が直面している状況(イジワル・攻撃)に変化をもたらすことができ、その状況から解放されることが可能です(なんせ、自分が映し出していたので)。

そしてまた、自分が隠蔽して巨大化させつづけていたエゴを駆除して、本来のしあわせな自分の道へ戻ることもできるのです。

そのためにはまず、自分のこころの動きに注意してみる必要があります。

あからさまな責めやイジワルでなくても、そこはかとない批判や裁き、攻撃の想いを見つけることができるかもしれません。

たとえば、テレビを見ていて出演者に「わあ!このひと、バカなこと言ってる!」とか、道ゆくひとに「なに?このファッション?!おかしい」という具合に、つねにぷちディスっている自分を発見するかもしれません(あからさまに攻撃せず、かすかに責めているように見えるかもしれませんが、責めて攻撃していることになんら変わりはありません)。

あるいは、よわよわな被害者になることで、自分がよい人であることを強調し、相手をわざわざ悪者に仕立てあげている場合もあります。

少しでも自分が上になって見下している感覚があったり、あるいはやられちゃっている可哀想な自分にとどまっている感じがあるなら、それこそが自分自身が「責め」や「イジワル」、不条理なことを積極的にこうむる原因をつくっていることになります。

自分が与えたものは、必ず自分のものになるし、また与えていないものは、どのようにしても自分のものにならないのです。

なにを見ても、なにを体験しても、エゴの判断、感想が自動的に出てきてしまうのが私たちです。

それは仕方がないのですが、むしろそれを無意識のままほっておくことによって、自分の苦しみの原因を取り除く機会を逸してしまうことになります。

裁いてしまうのがサガなのであれば、そこでいちいち罪悪感を感じて目をそらすことよりも、まず素直にどれだけそれをやっているのかを逐一観察してみましょう。

そこはかとなく自分が責めたり攻撃したりしているのに気づいたら、それをハイヤーセルフに渡してキャンセルしてもらいます。そして、自分が幸せになる新たな意味を教えてもらわなくてはなりません。それは攻撃するために判断するのではなく、愛でるために見ます。

それができるようになるには、自分のこころのなかで24時間勝手にながれている「価値判断」の声に耳をすませる練習をする必要があります。

これがほんとうにできるようになると、「え〜〜〜!私って、こんなに裁いているの?!」と自分の考えにびっくりするかもしれません。

オメデトウゴザイマス!自分の考えにガッカリしてこそ、ほんとうにそれを手放そうと決心することができます。自分が世界にたれ流していた(?)、自分の問題の原因を回収することをようやくはじめられます。それは、ほんとうの安らぎへの扉が開くときなのです。

裁きの考えがなくなればなくなるほど、「責め」「イジワル」「攻撃」から自由になります。自分の世界が安らかになるのを感じます。

まずは、自分の間違った想いに気づくことからはじめて、ハイヤーセルフとともに正しく知覚できるようにつねに助けてもらう習慣をもちましょう。

それは、幸せな世界であるパラレルワールドを選ぶことでもあるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

20-01-22 人から攻撃されがちです・・・

Q: 職場でも日常の人間関係でも、責められたりイジワルなことを言われたりすることが多いように思います・・・。

A: なにかしら自分に攻撃がやってくるとき、それは外側の世界やらやってくるように見えるので、自分にはコントロールできないように感じてしまいます。

しかし、自分のこころが「責められている」「攻撃されている」と言っているのであれば、やはりそれは自分のこころのなかに存在する問題なのです。

そして、「自分」の問題であるからこそ、幸いにもそれは自分自身で変化させることができます。

私たちは「その出来事」に「その意味=イジワル・攻撃」がセットになっていると信じがちですが、じつはそうではありません。

同じ体験をしたとしても全員それに対する知覚(何を体験したのかの意味)は違ったものになるからです。全員、まったく違う体験をし、それを解釈しています。

となれば、自分がその出来事についての意味を「選んでいる」というわけです。それが、この出来事についての「自分自身の理解」なのです。

自分のなかに存在していないことは決して理解できません。その出来事について「イジワルされた」「攻撃された」という意味を選んだということは、無意識のうちに自分でも「イジワル・攻撃」というワザを外側の世界へとくりだしている、ということになります。

私たちは「自分のなかに存在しているもの」だけを知覚することができます。自分のなかにないものは、知覚しません。

「責め」「攻撃」を知覚するとしたら、それは確かに自分のなかに存在していて、そこにあるからこそ世界や人という外側のスクリーンに映し出すことによって眺めることができます。

人のなかに自分の隠しもった姿を映し出すことで、エゴはそれを公然と裁くことができ、裁きによって自分の存在を肥大化しようとたくらみます。

このように自分の中のエゴを人のなかに映し出して見ることによって、「人は間違っている!けれど、私は正しい!」と裁きをくだし、自分のなかに隠れている間違いをパワーアップすることに成功しているのです。

外の世界に間違いがあるように見えるなら、自分のなかなど正す必要はないので、エゴの間違いはただただ力をえてゆくのみです。

しかし、もし「外に見える以上、それはもれなく自分のなかにある」「あるからこそ見える」と認めることができたなら、自分が直面している状況(イジワル・攻撃)に変化をもたらすことができ、その状況から解放されることが可能です(なんせ、自分が映し出していたので)。

そしてまた、自分が隠蔽して巨大化させつづけていたエゴを駆除して、本来のしあわせな自分の道へ戻ることもできるのです。

そのためにはまず、自分のこころの動きに注意してみる必要があります。

あからさまな責めやイジワルでなくても、そこはかとない批判や裁き、攻撃の想いを見つけることができるかもしれません。

たとえば、テレビを見ていて出演者に「わあ!このひと、バカなこと言ってる!」とか、道ゆくひとに「なに?このファッション?!おかしい」という具合に、つねにぷちディスっている自分を発見するかもしれません(あからさまに攻撃せず、かすかに責めているように見えるかもしれませんが、責めて攻撃していることになんら変わりはありません)。

あるいは、よわよわな被害者になることで、自分がよい人であることを強調し、相手をわざわざ悪者に仕立てあげている場合もあります。

少しでも自分が上になって見下している感覚があったり、あるいはやられちゃっている可哀想な自分にとどまっている感じがあるなら、それこそが自分自身が「責め」や「イジワル」、不条理なことを積極的にこうむる原因をつくっていることになります。

自分が与えたものは、必ず自分のものになるし、また与えていないものは、どのようにしても自分のものにならないのです。

なにを見ても、なにを体験しても、エゴの判断、感想が自動的に出てきてしまうのが私たちです。

それは仕方がないのですが、むしろそれを無意識のままほっておくことによって、自分の苦しみの原因を取り除く機会を逸してしまうことになります。

裁いてしまうのがサガなのであれば、そこでいちいち罪悪感を感じて目をそらすことよりも、まず素直にどれだけそれをやっているのかを逐一観察してみましょう。

そこはかとなく自分が責めたり攻撃したりしているのに気づいたら、それをハイヤーセルフに渡してキャンセルしてもらいます。そして、自分が幸せになる新たな意味を教えてもらわなくてはなりません。それは攻撃するために判断するのではなく、愛でるために見ます。

それができるようになるには、自分のこころのなかで24時間勝手にながれている「価値判断」の声に耳をすませる練習をする必要があります。

これがほんとうにできるようになると、「え〜〜〜!私って、こんなに裁いているの?!」と自分の考えにびっくりするかもしれません。

オメデトウゴザイマス!自分の考えにガッカリしてこそ、ほんとうにそれを手放そうと決心することができます。自分が世界にたれ流していた(?)、自分の問題の原因を回収することをようやくはじめられます。それは、ほんとうの安らぎへの扉が開くときなのです。

裁きの考えがなくなればなくなるほど、「責め」「イジワル」「攻撃」から自由になります。自分の世界が安らかになるのを感じます。

まずは、自分の間違った想いに気づくことからはじめて、ハイヤーセルフとともに正しく知覚できるようにつねに助けてもらう習慣をもちましょう。

それは、幸せな世界であるパラレルワールドを選ぶことでもあるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング