水曜日, 6月 24 2020

水曜日, 6月 24 2020

気づきの日記「勝つために退くこと」

 

仕事にしろ、人間関係にしろ、お金や病気やさまざまな苦痛、困難にしろ ・・・ 世にいう問題が目のまえにあらわれると、私たちはおのずと問題を敵として扱い、「問題(敵)」vs 「自分」という構図で戦おうとします。

でも ・・・ もし、その問題自体が自分の足をすくうために自分自身が編みだしたものであるなら、それに挑みかかることは自ら術中にはまりこむことになります。まさに自爆行為です。自分と戦っても勝者はどこにもいません。

もともと転ばせることが目的ならば、対決姿勢で問題は解決されることはなくさらに悪化することになります。

だとすれば、問題を解決するためには別のやり方が必要です。

問題が見えているとき、それはこころが真の自己からそれて偽りのエゴとして障害を作り出しているときです。

ならば、こころを真の自己に戻してあげることこそが解決策となります。

しかし ・・・ 残念ながらエゴが自分で自分を正気にしてあげることはできません。すでに何が正気かわからないからです。

ニセモノに憑依されているときに、自ら正気になれるのであればとっくに正気になっているはずです。(それに、狂人こそ自分がまっとうだと主張しがちです・笑)

いったん脱線してしまった列車が自力でもとに戻れないように、正気に戻るにはより力のある存在の助けが必要になります。上に吊りあげてもらって、正しい位置にリセットしてもらわなければなりません。

そのためには、とりあえず脱線していること(問題があること)に気づいて、「自分ひとりでは正しい状態に戻ることができません」「助けてください」と謙虚に負けを認めることが必要です。(負けていると認めない限り、だれも真摯に助けを受け入れないからです。)

そして、大きな力に働いてもらうために、すでにおかしくなっている自分は脇にどく必要があります。脇に退いて高い存在に場所をあけ、そのちからに委ねることこそがエゴのワナからの脱出方法です。

しかし、これが簡単なようでなかなかできません。

負けを認めることは、プライドがゆるさないからです。助けを求めることは弱さであり、恥ずかしいことであると信じているので誰の手を握ることもできません。

だから、自分ひとりで挽回できると信じて、エゴの仕掛けたワナのなかで戦いつづけることを選択します(・・・負け戦とはつゆ知らず)。

どこまでも私たちはボス面をしていたいのです。

「脱線したので正してください」と高い存在に丸投げしてしまえば、すぐさま光のクレーンがやってきて正してもらうことができるのに・・・トホホ・・・残念なことです(汗)。

以前に観た「War Room」という映画を思い出しました。そこには、「退く」「明け渡す」「委ねる」ということをみごとに行いながら、すべての問題を解決するクララという女性が描かれていました。

クララの家には、Answered Prayer(叶えられた祈り)という額が掲げられています。

これは、すでに答えが与えられた問題の数々が誇らしげに列挙されているのですが、その答えのすべてはこの家の片隅にある「War Room」という小さなスペースから生み出されていたのです。

「War Room」とは、戦いのための戦略を練る部屋、いわば参謀本部ことです。

クララの「War Room」はウォークインクローゼット。彼女は日課としてそこにひとり退き、静かに高い存在とつながる時間をもち、自分やまわりの人々の問題のすべてを委ねることをしています。

これが、クララにとって問題と戦うための戦略なのです。

クララいわく、「みんな戦う相手が誰であるかわかっていない。さらに、戦うためには、正しい戦い方と戦略が必要なのだ」と。

つまり彼女は、自分のこころ(エゴ)が生み出したものと直接戦うことで問題は解決できないことを知っていたのです。さらに、正しい戦略とはものごとを変えようとすることではなく、こころこそを変えてほしいと高い存在にお願いすることだともわかっていました。

だから問題に直面すると、自分が脱線状態であることを正直に認めて、どうか正しい場所に戻してくれるよう熱心に祈るのです。実際に問題と戦うことはせずに、静かに退くことに時間を費やします。

クララはキリスト教徒なので、まるで目のまえいにイエスが立っているがごとく情熱的に語りかけます。大いなる存在と自分との距離がまったく存在せず、まるで信頼できる友人に困りごとを相談するように、助けがえられることを確信して話しつづけます。

完全に委ねきるために真剣に祈ることこそが、正しい問題解決法なのだとクララは知っていたのでした。(この映画は「War Room」というタイトルですが、邦題は「祈りのちから」となっていました。)

私たちのエゴは私たちがここで失敗をくり返し、罪悪感の壁をどんどんぶ厚くしながら、本来の自分自身のから遠のいて闇に沈んでゆくことに喜びを感じています。

だから、真の解決法とはワナである問題に突進して戦いを挑むことではなく、そのような問題をつくり出したエゴのこころを正してもらうべく、自分は静かに退いて高い存在に助けを乞うことなのです。

高い存在とは、自分にとって心地よいシンボルであればかまわないので、ブッダでもエンジェルでもマリアさまでも大いなる光でもなんでもよいのです。

そして、自分は助けが必要であることを謙虚に認め、間違ったこころを正してもらえるように真剣にお願いし、すべてを委ねます。

あとは、その後に自然に起こってくることに抵抗せず、信頼して身をまかせてゆきます。ただ安心して見ているだけで、特別なことは必要ありません。

これがこころの脱線を正すことであり、自然な流れのなかで関係するすべての人にとって役にたつ真の解決へと導かれる方法なのです。

PS War Room がなくっても、大切なのはしっかりとこころを高い存在に向けてつながろうとすること。それは人との関係とまったく同じですね。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

 

20-06-24 勝つために退くこと

 

仕事にしろ、人間関係にしろ、お金や病気やさまざまな苦痛、困難にしろ ・・・ 世にいう問題が目のまえにあらわれると、私たちはおのずと問題を敵として扱い、「問題(敵)」vs 「自分」という構図で戦おうとします。

でも ・・・ もし、その問題自体が自分の足をすくうために自分自身が編みだしたものであるなら、それに挑みかかることは自ら術中にはまりこむことになります。まさに自爆行為です。自分と戦っても勝者はどこにもいません。

もともと転ばせることが目的ならば、対決姿勢で問題は解決されることはなくさらに悪化することになります。

だとすれば、問題を解決するためには別のやり方が必要です。

問題が見えているとき、それはこころが真の自己からそれて偽りのエゴとして障害を作り出しているときです。

ならば、こころを真の自己に戻してあげることこそが解決策となります。

しかし ・・・ 残念ながらエゴが自分で自分を正気にしてあげることはできません。すでに何が正気かわからないからです。

ニセモノに憑依されているときに、自ら正気になれるのであればとっくに正気になっているはずです。(それに、狂人こそ自分がまっとうだと主張しがちです・笑)

いったん脱線してしまった列車が自力でもとに戻れないように、正気に戻るにはより力のある存在の助けが必要になります。上に吊りあげてもらって、正しい位置にリセットしてもらわなければなりません。

そのためには、とりあえず脱線していること(問題があること)に気づいて、「自分ひとりでは正しい状態に戻ることができません」「助けてください」と謙虚に負けを認めることが必要です。(負けていると認めない限り、だれも真摯に助けを受け入れないからです。)

そして、大きな力に働いてもらうために、すでにおかしくなっている自分は脇にどく必要があります。脇に退いて高い存在に場所をあけ、そのちからに委ねることこそがエゴのワナからの脱出方法です。

しかし、これが簡単なようでなかなかできません。

負けを認めることは、プライドがゆるさないからです。助けを求めることは弱さであり、恥ずかしいことであると信じているので誰の手を握ることもできません。

だから、自分ひとりで挽回できると信じて、エゴの仕掛けたワナのなかで戦いつづけることを選択します(・・・負け戦とはつゆ知らず)。

どこまでも私たちはボス面をしていたいのです。

「脱線したので正してください」と高い存在に丸投げしてしまえば、すぐさま光のクレーンがやってきて正してもらうことができるのに・・・トホホ・・・残念なことです(汗)。

以前に観た「War Room」という映画を思い出しました。そこには、「退く」「明け渡す」「委ねる」ということをみごとに行いながら、すべての問題を解決するクララという女性が描かれていました。

クララの家には、Answered Prayer(叶えられた祈り)という額が掲げられています。

これは、すでに答えが与えられた問題の数々が誇らしげに列挙されているのですが、その答えのすべてはこの家の片隅にある「War Room」という小さなスペースから生み出されていたのです。

「War Room」とは、戦いのための戦略を練る部屋、いわば参謀本部ことです。

クララの「War Room」はウォークインクローゼット。彼女は日課としてそこにひとり退き、静かに高い存在とつながる時間をもち、自分やまわりの人々の問題のすべてを委ねることをしています。

これが、クララにとって問題と戦うための戦略なのです。

クララいわく、「みんな戦う相手が誰であるかわかっていない。さらに、戦うためには、正しい戦い方と戦略が必要なのだ」と。

つまり彼女は、自分のこころ(エゴ)が生み出したものと直接戦うことで問題は解決できないことを知っていたのです。さらに、正しい戦略とはものごとを変えようとすることではなく、こころこそを変えてほしいと高い存在にお願いすることだともわかっていました。

だから問題に直面すると、自分が脱線状態であることを正直に認めて、どうか正しい場所に戻してくれるよう熱心に祈るのです。実際に問題と戦うことはせずに、静かに退くことに時間を費やします。

クララはキリスト教徒なので、まるで目のまえいにイエスが立っているがごとく情熱的に語りかけます。大いなる存在と自分との距離がまったく存在せず、まるで信頼できる友人に困りごとを相談するように、助けがえられることを確信して話しつづけます。

完全に委ねきるために真剣に祈ることこそが、正しい問題解決法なのだとクララは知っていたのでした。(この映画は「War Room」というタイトルですが、邦題は「祈りのちから」となっていました。)

私たちのエゴは私たちがここで失敗をくり返し、罪悪感の壁をどんどんぶ厚くしながら、本来の自分自身のから遠のいて闇に沈んでゆくことに喜びを感じています。

だから、真の解決法とはワナである問題に突進して戦いを挑むことではなく、そのような問題をつくり出したエゴのこころを正してもらうべく、自分は静かに退いて高い存在に助けを乞うことなのです。

高い存在とは、自分にとって心地よいシンボルであればかまわないので、ブッダでもエンジェルでもマリアさまでも大いなる光でもなんでもよいのです。

そして、自分は助けが必要であることを謙虚に認め、間違ったこころを正してもらえるように真剣にお願いし、すべてを委ねます。

あとは、その後に自然に起こってくることに抵抗せず、信頼して身をまかせてゆきます。ただ安心して見ているだけで、特別なことは必要ありません。

これがこころの脱線を正すことであり、自然な流れのなかで関係するすべての人にとって役にたつ真の解決へと導かれる方法なのです。

PS War Room がなくっても、大切なのはしっかりとこころを高い存在に向けてつながろうとすること。それは人との関係とまったく同じですね。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング