木曜日, 7月 9 2020

木曜日, 7月 9 2020

気づきの日記「くり返す不調を取り消す」

 

A:「頭痛やだるさ、発熱など、体調の悪さをくり返しています。クスリもだんだん効かなくなってきました」

Q:「そうですよね〜。こんな梅雨どきは誰もが体調の悪さに悩まされがちです。それにコロナのストレスもありますし」 ・・・

そう言われると「そうだよね!」とちょっと安心したりしますが、こんな「もっともらしい答え」にだまされてはなりません。真の原因と解決から自分を遠ざけてしまうからです。

無難な答えはそれっぽく聞こえるので納得しがちですが、ほんとうの答えを見つけないためのオトリにすぎません。

自分の外側で起こっていることは一切、自分の原因とはなりえないのです。だから、問題が解決することはありえず、また再び起こります。

自分に起こることはなんであろうと自分のこころにしか原因はなく、決して外側にはないからです。

私たちはいつでもどんなときでも、「自分のこころが望んでいるもの」だけをきっちりと自分に体験させることをくり返しています。

「そうはいっても、体調の悪さなんて自分は望んだ覚えがないのですが」・・・たしかに ・・・。

私たちのこころの大部分は意識することができない無意識の部分なので、そこにどのような決断があるのかは当の本人にもわからないのです。

それが苦痛や不調、問題となってあらわれてはじめて、自分のこころになにが潜んでいるのかを知ることができます。

さらに、私たちのこころのなかには二人の自分(ホンモノとニセモノ)が存在していて、ホンモノはニセモノによってまんまとのっとられている状態なのです。

ということは、私たちの目にする問題は「意識できないこころに潜むニセモノの決断からやってくる」ということになります。

ホンモノの自分からしたら、「そんな体調の悪さは、私にはありえない!だってわたしは完全さそのものだから。喜びやしあわせ以外、私にふさわしくないのです」というはずです。

けれど、ニセモノに完全にのっとられた状態であるならば、この体調の悪さ、不調はニセモノのお望みの結果であり、それを目にしているにすぎません。

それを解消するためには、「ニセモノ(エゴ)はいったい、この体調の悪さを使ってなにを企てているのか」を暴くことが必要です。

くり返して一生懸命やっていることはすべて、なにか大きなメリット、手にできるなにかがあるからこそ続けられるのです。エゴはそれを手にして喜びたいのです。

つまり、体調の悪さや痛みはエゴにとってはなにか大変価値のあるものがてっ取り早く手に入る方法であり、それは絶対やめられないオイシさがあるわけです。

さて、そのオイシイなにかとはなんでしょうか?

人によっては、体調が悪くなることで、

「人に気づかってもらえる。優しくしてもらえる。つまり、注目されて愛をいっぱいもらえる」とか、
「やらなくちゃならないことをサボるための言い訳になる」
「仕事のパフォーマンスが悪くても、万がいち失敗しても、適切な口実になる」
「絶好調になってしまったら、どんどん責任がふえてしまう。頼られてしまう」
「不幸そうに見える自分でいることで、罪悪感を感じさせ反省させたい相手がいる」・・・etc

というような企みがあり、こういったことを達成しようとしているのです・・・が、

それを手に入れようとすればするほど、自分の「安らぎ」が失われていくことに気づくことができません。

私たちにとって、こころの「安らぎ」こそがしあわせの唯一の原因となるものです。うちに「安らぎ」があってこそ、それが外側へと映しだされ、それを自分が受けとることになるからです。

なのに、そのしあわせの原因である「安らぎ」をやすやすと失っていることに気づくことができません。

しかしエゴにとっては、「やすらぎ? そんなものはクソくらえだ!」というレベルなのです。

エゴの企みを野放しにしておけば、しあわせになるための原因は失われたままとなります。

内側の「安らぎ」が「しあわせ」のための唯一の条件であるなら、しあわせになりたかったらそれを死守しなければならないのです。

自分の「安らぎ」を乱すものは1ミリたりともこころに侵入させないぞ!というぐらいの勢いで。

そうとなれば、エゴの企みをしっかりと暴く必要があります。

エゴがこの体調の悪さを使って、どのように欲しいものを手にいれようとしているのかを見てみると、それはただ「欠乏、不足」という間違った考えを守ろうとしているにすぎないことに気づきます。

間違った信念に気づいたら、ただその想いをキャンセルするだけです。(用途なないと認められたものは、たやすく手放すことができます。)キャンセルは自分でする必要はなく、ただ高い意識(ハイヤーセルフ)に不用なものを渡してしまうことで完了します。

大切にすべきこころの「安らぎ」は、たんに邪魔な想いをひとつひとつ取り去ることで達成されます。

邪魔なものがなくなれば、そこにはすでにまるまる完全なこころが存在しているからです。それこそが安らぎそのものです。

こころにしろ身体にしろ、なにか不具合を感じるときには、無意識となっているエゴの企みを暴いて手放すための浄化の機会といえます。体験となってあらわれてくれたからこそ、それを手放すことができるのです。

不調にむきあって、いったいエゴはなにを得ようと頑張っているのか、正直な気持ちでこころを探求してみましょう。

エゴの企みを見つけて冷静にながめてみれば、すでに完全であるはずの自分にとって、そのようなことをする必要などないことがわかります。

ハイヤーセルフに不用な想いはすべて委ね、完全さを受け入れることができるようにお願いしましょう。

する必要のないことをやめることこそが、自分の完全さを受け入れるために必要なことなのです。

エゴの想いをハイヤーセルフに渡したら、すでにそこにある「安らぎ」(本来の自分のスペース)のなかにゆったりと溶けこんでリラックスしましょう。

いままで不具合そのものに向けつづけていた注意を、「安らぎ」のスペースへと注いでみましょう。ほんとうの自分である「安らぎ」がよりリアルに力をましてゆきます。

そして、それが自分の外側に映しだされるようになることで、自分の見る世界を変えてくれるのです。

それが自分にとっての幸せな世界です。

すでにこころのなかにある「安らぎ」が輝きだすように、不毛な企みはすべてハイヤーセルフに手放してしまいましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

20-07-09 くり返す不調を取り消す

 

A:「頭痛やだるさ、発熱など、体調の悪さをくり返しています。クスリもだんだん効かなくなってきました」

Q:「そうですよね〜。こんな梅雨どきは誰もが体調の悪さに悩まされがちです。それにコロナのストレスもありますし」 ・・・

そう言われると「そうだよね!」とちょっと安心したりしますが、こんな「もっともらしい答え」にだまされてはなりません。真の原因と解決から自分を遠ざけてしまうからです。

無難な答えはそれっぽく聞こえるので納得しがちですが、ほんとうの答えを見つけないためのオトリにすぎません。

自分の外側で起こっていることは一切、自分の原因とはなりえないのです。だから、問題が解決することはありえず、また再び起こります。

自分に起こることはなんであろうと自分のこころにしか原因はなく、決して外側にはないからです。

私たちはいつでもどんなときでも、「自分のこころが望んでいるもの」だけをきっちりと自分に体験させることをくり返しています。

「そうはいっても、体調の悪さなんて自分は望んだ覚えがないのですが」・・・たしかに ・・・。

私たちのこころの大部分は意識することができない無意識の部分なので、そこにどのような決断があるのかは当の本人にもわからないのです。

それが苦痛や不調、問題となってあらわれてはじめて、自分のこころになにが潜んでいるのかを知ることができます。

さらに、私たちのこころのなかには二人の自分(ホンモノとニセモノ)が存在していて、ホンモノはニセモノによってまんまとのっとられている状態なのです。

ということは、私たちの目にする問題は「意識できないこころに潜むニセモノの決断からやってくる」ということになります。

ホンモノの自分からしたら、「そんな体調の悪さは、私にはありえない!だってわたしは完全さそのものだから。喜びやしあわせ以外、私にふさわしくないのです」というはずです。

けれど、ニセモノに完全にのっとられた状態であるならば、この体調の悪さ、不調はニセモノのお望みの結果であり、それを目にしているにすぎません。

それを解消するためには、「ニセモノ(エゴ)はいったい、この体調の悪さを使ってなにを企てているのか」を暴くことが必要です。

くり返して一生懸命やっていることはすべて、なにか大きなメリット、手にできるなにかがあるからこそ続けられるのです。エゴはそれを手にして喜びたいのです。

つまり、体調の悪さや痛みはエゴにとってはなにか大変価値のあるものがてっ取り早く手に入る方法であり、それは絶対やめられないオイシさがあるわけです。

さて、そのオイシイなにかとはなんでしょうか?

人によっては、体調が悪くなることで、

「人に気づかってもらえる。優しくしてもらえる。つまり、注目されて愛をいっぱいもらえる」とか、
「やらなくちゃならないことをサボるための言い訳になる」
「仕事のパフォーマンスが悪くても、万がいち失敗しても、適切な口実になる」
「絶好調になってしまったら、どんどん責任がふえてしまう。頼られてしまう」
「不幸そうに見える自分でいることで、罪悪感を感じさせ反省させたい相手がいる」・・・etc

というような企みがあり、こういったことを達成しようとしているのです・・・が、

それを手に入れようとすればするほど、自分の「安らぎ」が失われていくことに気づくことができません。

私たちにとって、こころの「安らぎ」こそがしあわせの唯一の原因となるものです。うちに「安らぎ」があってこそ、それが外側へと映しだされ、それを自分が受けとることになるからです。

なのに、そのしあわせの原因である「安らぎ」をやすやすと失っていることに気づくことができません。

しかしエゴにとっては、「やすらぎ? そんなものはクソくらえだ!」というレベルなのです。

エゴの企みを野放しにしておけば、しあわせになるための原因は失われたままとなります。

内側の「安らぎ」が「しあわせ」のための唯一の条件であるなら、しあわせになりたかったらそれを死守しなければならないのです。

自分の「安らぎ」を乱すものは1ミリたりともこころに侵入させないぞ!というぐらいの勢いで。

そうとなれば、エゴの企みをしっかりと暴く必要があります。

エゴがこの体調の悪さを使って、どのように欲しいものを手にいれようとしているのかを見てみると、それはただ「欠乏、不足」という間違った考えを守ろうとしているにすぎないことに気づきます。

間違った信念に気づいたら、ただその想いをキャンセルするだけです。(用途なないと認められたものは、たやすく手放すことができます。)キャンセルは自分でする必要はなく、ただ高い意識(ハイヤーセルフ)に不用なものを渡してしまうことで完了します。

大切にすべきこころの「安らぎ」は、たんに邪魔な想いをひとつひとつ取り去ることで達成されます。

邪魔なものがなくなれば、そこにはすでにまるまる完全なこころが存在しているからです。それこそが安らぎそのものです。

こころにしろ身体にしろ、なにか不具合を感じるときには、無意識となっているエゴの企みを暴いて手放すための浄化の機会といえます。体験となってあらわれてくれたからこそ、それを手放すことができるのです。

不調にむきあって、いったいエゴはなにを得ようと頑張っているのか、正直な気持ちでこころを探求してみましょう。

エゴの企みを見つけて冷静にながめてみれば、すでに完全であるはずの自分にとって、そのようなことをする必要などないことがわかります。

ハイヤーセルフに不用な想いはすべて委ね、完全さを受け入れることができるようにお願いしましょう。

する必要のないことをやめることこそが、自分の完全さを受け入れるために必要なことなのです。

エゴの想いをハイヤーセルフに渡したら、すでにそこにある「安らぎ」(本来の自分のスペース)のなかにゆったりと溶けこんでリラックスしましょう。

いままで不具合そのものに向けつづけていた注意を、「安らぎ」のスペースへと注いでみましょう。ほんとうの自分である「安らぎ」がよりリアルに力をましてゆきます。

そして、それが自分の外側に映しだされるようになることで、自分の見る世界を変えてくれるのです。

それが自分にとっての幸せな世界です。

すでにこころのなかにある「安らぎ」が輝きだすように、不毛な企みはすべてハイヤーセルフに手放してしまいましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング