木曜日, 7月 14 2022

木曜日, 7月 14 2022

気づきの日記「感じて受けとめて、終わりにする」

 

不安な気持ちになったとき ・・・ 私たちはすぐさま考えることをはじめます。

「お金がない!どうしよう?この調子でいったら来月には・・・そうしたら・・・云々」
「身体の調子がおかしい・・・。よからぬことが起こっているのかも。もっとひどくなって働けなくなったら、将来は・・・云々」

思考は未来へ未来へと前のめりになり、ありもしないストーリーを次々紡ぎだし、不安を増大させてゆきます。

・・・ということは、そもそも「あれこれ考える」ことじたいがまさに不安をあおってしまっている、ということです!

そもそも不安な気持ちが浮上してきたのは、それをあるがままに感じて、受けとめてほしいから。

自分のなかで長いあいだ拒絶され、無視され、抑圧されてきた感情は、何度々々も浮上することで受けとめてもらうことを求めます。

なぜなら、それがまさに自分自身の流れの障害となり、詰まりをつくりだし、自然な成長をはばんでいるから。

だから、ただそれを感じて受けとめて、終わりにしてほしいのです。

それは、あれこれの思考やストーリーをくっつけることなしに、ただハダカのそのままの感じを受けいれること。

でも、そもそも私たちは感じることに慣れていません。なぜなら感じるよりも、言葉・思考にすりかえることに慣れて、あまりにも思考への依存症に陥っているからです。

だから、明けっぴろげにすべてを感じるのはキケンきわまりないことのように思えるのです。

感じるよりも考えでアタマをいっぱいにすることで、感じる余地を残さずにいればなにも感じずに安全だ!と信じているのです。たとえ、その思考が自分を震えあがらせるキョーフの考えであっても。

まさに、感じることがコワイからこそ、世界という混沌を編みだして、まったく感じないままホンロウされることを選んで、その結果、自分自身さえも正体不明になってしまってしまいました。

先日、多くのスターを育て、メガヒットを生み出してきた米国の有名作曲家でありプロデューサーである男性のドキュメンタリーを観ていました。

彼は何十年もスタジオに缶詰めで多忙きわまりない日々を過ごしてきました。もちろん仕事では大成功を治めているのですが、そんなワーカホリックが災いして女性関係はうまくいかず、奥さんは寂しさのあまり次々に去ってしまいます。そして、五回めの結婚にいたりました。

そんな彼のひとこと。「セラピー?まっぴらゴメンだね。自分の内側をみるなんて、コワくてとてもできない」と。彼の言葉は、「ぜったい立ちどまるもんか!」という感じです。

回遊魚状態の彼は、そもそも内側を見たくないからこそ決して立ちどまれないのです。

立ちどまってしまったら ・・・ 静かにしてしまったら ・・・、自分自身と向きあわなければならなくなります。絶対見たくない!と断言していたものと対峙しなければならないのです。

ただただ動き回る状態は、ある意味ヤク中のような状態であり、自分をフラフラにすることでなにも感じないように誤摩化しています。

ほんとうの意味での幸せとは、こころがどこまでも安らかなことです。安らかなこころには、安らかな世界が映ります。それは、自分がフラフラでなにもわからない状態にしていては見ることができません。

そして、深い安らぎを自分のなかに感じるためには、安らぎを乱すこころのなかの抵抗勢力を無効にしてゆくことが必須です。

そのために闘う必要はありません。ただ抵抗勢力を受けいれて、消し去りましょう。受けいれられたものは、支えであるエネルギーを失い、消滅してしまいます。

自分のなかにどのような感情が湧きあがってきても、判断したり、抵抗したり、拒絶したり、抑圧することをやめましょう。

不安や怖れやざわざわが出てくると、私たちはすぐに言葉をくっつけて、考えはじめます。「なぜなの?」「どうする?」「原因は?」

これは、すでに脇道にそれてしまっているのです。「感じ」ではなく「思考」というルートに入ってしまいました。

そうではなく、なにも言葉をくっつけずに、ただその感情をあるがままに、まるで感情に感電するがごとく感じてみましょう。その感情とともに存在しましょう。

言葉がなければ、それは「不安」でも「怖れ」でもなく、ただビリビリ・ジンジン・シクシク・ドキドキ・ズンズン ・・・なのです。

言葉というものに逃げこまずに、積極的に、正面から正々堂々と、あますことなく感情に自分を開いて感じてあげましょう。

受けいれたものは、自分自身のなかに吸収され、ようやく姿を消してゆきます。

そのためには、言葉は減らして静かにし、自分がいったいなにを感じているのかに敏感になってみましょう。

これを習慣化していると、かつての「不安」も「怖れ」も自分をおびやかすようなパワーを失い、静かで安らかな穏やかさを感じる瞬間がふえてゆきます。

こころが静かだと、目にうつるものもきっと穏やかになってくることと思います。

感情から逃げていたときの世界とは違う世界、もっと穏やかで、美しく、優しさにあふれた世界が目に映ることでしょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

22-07-14 「感じて受けとめて、終わりにする」

 

不安な気持ちになったとき ・・・ 私たちはすぐさま考えることをはじめます。

「お金がない!どうしよう?この調子でいったら来月には・・・そうしたら・・・云々」
「身体の調子がおかしい・・・。よからぬことが起こっているのかも。もっとひどくなって働けなくなったら、将来は・・・云々」

思考は未来へ未来へと前のめりになり、ありもしないストーリーを次々紡ぎだし、不安を増大させてゆきます。

・・・ということは、そもそも「あれこれ考える」ことじたいがまさに不安をあおってしまっている、ということです!

そもそも不安な気持ちが浮上してきたのは、それをあるがままに感じて、受けとめてほしいから。

自分のなかで長いあいだ拒絶され、無視され、抑圧されてきた感情は、何度々々も浮上することで受けとめてもらうことを求めます。

なぜなら、それがまさに自分自身の流れの障害となり、詰まりをつくりだし、自然な成長をはばんでいるから。

だから、ただそれを感じて受けとめて、終わりにしてほしいのです。

それは、あれこれの思考やストーリーをくっつけることなしに、ただハダカのそのままの感じを受けいれること。

でも、そもそも私たちは感じることに慣れていません。なぜなら感じるよりも、言葉・思考にすりかえることに慣れて、あまりにも思考への依存症に陥っているからです。

だから、明けっぴろげにすべてを感じるのはキケンきわまりないことのように思えるのです。

感じるよりも考えでアタマをいっぱいにすることで、感じる余地を残さずにいればなにも感じずに安全だ!と信じているのです。たとえ、その思考が自分を震えあがらせるキョーフの考えであっても。

まさに、感じることがコワイからこそ、世界という混沌を編みだして、まったく感じないままホンロウされることを選んで、その結果、自分自身さえも正体不明になってしまってしまいました。

先日、多くのスターを育て、メガヒットを生み出してきた米国の有名作曲家でありプロデューサーである男性のドキュメンタリーを観ていました。

彼は何十年もスタジオに缶詰めで多忙きわまりない日々を過ごしてきました。もちろん仕事では大成功を治めているのですが、そんなワーカホリックが災いして女性関係はうまくいかず、奥さんは寂しさのあまり次々に去ってしまいます。そして、五回めの結婚にいたりました。

そんな彼のひとこと。「セラピー?まっぴらゴメンだね。自分の内側をみるなんて、コワくてとてもできない」と。彼の言葉は、「ぜったい立ちどまるもんか!」という感じです。

回遊魚状態の彼は、そもそも内側を見たくないからこそ決して立ちどまれないのです。

立ちどまってしまったら ・・・ 静かにしてしまったら ・・・、自分自身と向きあわなければならなくなります。絶対見たくない!と断言していたものと対峙しなければならないのです。

ただただ動き回る状態は、ある意味ヤク中のような状態であり、自分をフラフラにすることでなにも感じないように誤摩化しています。

ほんとうの意味での幸せとは、こころがどこまでも安らかなことです。安らかなこころには、安らかな世界が映ります。それは、自分がフラフラでなにもわからない状態にしていては見ることができません。

そして、深い安らぎを自分のなかに感じるためには、安らぎを乱すこころのなかの抵抗勢力を無効にしてゆくことが必須です。

そのために闘う必要はありません。ただ抵抗勢力を受けいれて、消し去りましょう。受けいれられたものは、支えであるエネルギーを失い、消滅してしまいます。

自分のなかにどのような感情が湧きあがってきても、判断したり、抵抗したり、拒絶したり、抑圧することをやめましょう。

不安や怖れやざわざわが出てくると、私たちはすぐに言葉をくっつけて、考えはじめます。「なぜなの?」「どうする?」「原因は?」

これは、すでに脇道にそれてしまっているのです。「感じ」ではなく「思考」というルートに入ってしまいました。

そうではなく、なにも言葉をくっつけずに、ただその感情をあるがままに、まるで感情に感電するがごとく感じてみましょう。その感情とともに存在しましょう。

言葉がなければ、それは「不安」でも「怖れ」でもなく、ただビリビリ・ジンジン・シクシク・ドキドキ・ズンズン ・・・なのです。

言葉というものに逃げこまずに、積極的に、正面から正々堂々と、あますことなく感情に自分を開いて感じてあげましょう。

受けいれたものは、自分自身のなかに吸収され、ようやく姿を消してゆきます。

そのためには、言葉は減らして静かにし、自分がいったいなにを感じているのかに敏感になってみましょう。

これを習慣化していると、かつての「不安」も「怖れ」も自分をおびやかすようなパワーを失い、静かで安らかな穏やかさを感じる瞬間がふえてゆきます。

こころが静かだと、目にうつるものもきっと穏やかになってくることと思います。

感情から逃げていたときの世界とは違う世界、もっと穏やかで、美しく、優しさにあふれた世界が目に映ることでしょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング