気づきの日記「するべきことは、無防備に受け入れること」
私たちは自分を取りもどす旅をしています。
自分が自分で毛嫌いして、抵抗して、切り捨てて、なきものにしようとした自分の一部を、ひとつひとつ回収して、ゆるして、自分とひとつにする旅、分離を終わらせるたび ・・・ それがこの人生でしなければならないことなのです。
それらは当然、イヤな人、もの、経験として姿をあらわします。なぜなら、自分が嫌って、自分とは関係ないと宣言して、ゴミのように外にほっぽったからです。
そして、いつだって、それらのゴミに自分は足をすくわれることになります。
でも、まさか自分が投げ捨てたものとは気づかず、ふたたびそれらに抵抗して、コントロールしよう、遠ざけよう、なきものにしよう、と闘いをいどみます。
イヤなものは、抵抗するか、コントロールするか、無視するか ・・・ それぐらいしか対応策が思いつかないため、結果として、それらの問題は決して回収されて消え去ることがないのです。
いくら外にほっぽったからといっても、それはそもそも自分なので、自分で回収して、自分に統合して、ひとつに帰してあげなければならないのです。
するべきことはただひとつ。
自分がイヤだと感じる、あるいは抵抗する人、もの、経験に出会ったら、それはもう終わりにするチャンス。その問題から卒業するチャンスなのです。
だから、こんどこそそれに対して1ミリも抵抗することなく無防備になり、コントロールせずにちからを抜いて、
ただ真っ正面から自分のなかに迎えいれてあげること。
そして、ゆるして、受け入れて、自分のなかでひとつにしてあげること。
そうすることによって、切り捨てて闘いを余儀なくされていたものとの葛藤がついに終わりになります。
だから、なにが起ころうとも、なにに出くわそうとも、コントロールしないこと、闘おうとしないこと。
まずはちからを抜いて、全面的に受け入れてみること。
リラックスして、それにいったん身をひたして、その嫌悪感、抵抗感、怖れのすべてを受け入れてみましょう。
そうしてこそ、ずっと闘ってきたそれ、自分のなかから生まれたそれは、ようやく自分とひとつになって姿を消すことができるのですむぼう。
そして、もしそこからするべきことがあったら、あらためて行動にうつしてみましょう。
まず、すべてを受け入れて、それに自分の存在を無防備にひたしてみる。
これを忘れずにやってみましょう。