気づきの日記「私たちを導く、静かなこころのパワー」
ゆったりとくつろいで何も気にかけない、静かな時間をつくってみましょう。
忙しくて、そんな時間はとるヒマなんてない? あるいは、何もしない時間は手持ちぶさたで居心地が悪いでしょうか?
私たちはあまりにも行動することに重点をおいているために、静かな時間がもつ重要性やパワーを知ることがありません。
静かな時間とは、外へ外へと向かいたがるこころに手綱をつけて、内側へと向きを変え、そこでゆったりとくつろがせてあげることです。
180°クルリとこころの向きを変え静まることで、自分のこころでありながら自分が知らなかったスペースへとつながることができます。
私たちは「外にこそ何かいいものが見つかるはず」と信じこみ、それを探しにせっせと外側へと向かうことに忙しくしています。
しかし、それこそが自分が欲しいものを見つけることができない最大の理由でもあるのです。
私たちを苦しめることだけを生業としているエゴは、私たちが幸せになってしまったらエゴが消滅せざるをえないことを知っています。
だからこそ、私たちを幸せにするものが見つからない外へと誘導するために、「自分の手にしたいものすべては外側にあるよ〜」とエゴはささやきかけ、外におびき寄せることで、宝探しの放浪の旅に出かけさせようとしているのです。
私たちはついつい何かを求めて外へ外へと向かいたくなりますが、じつは外に向かうということは自分自身を置き去りにすることであり、それは自分の真のパワーに背を向けることであり、自分のちからの感覚を失ってしまいます。
ほんとうの力と答えは、いつも自分の内側にあります。
燃料がカラになった車は鉄の塊にすぎないように、私たちも自分のパワーと切り離されたときにはこの燃料がない車と同じように、何の役にも立たなくなってしまうのです。
しかし、たびたびちからの源である内側とつながり、しっかりと燃料を補給して、そこから外へと向かうことでまったく違う結果をもたらします。
自分の内側とは、ある意味、別の次元へとつながるスペースです。
私たちのこころは、個人という枠をこえたすべてとつながるスペースを内側にもっていて、そこからあらゆるものを自分に迎え入れ、それを自分の外側の世界へと映し出すことができるのです。
自分の内側とは制限のないスペースであり、世界も宇宙をも抱き、源、あるいは神とつながっているがゆえに、すべてが存在しています。
それはすべて自分のものでもあり、そことのつながりが保てればそれを自分の目にする世界へと映し出すことができるのです。
ヒプノセラピーなどでリラックスすることによって、自然にこの次元につながることができます。すると、ただリラックスしていただけなのに、まったく違うも目線でものごとを見られるようになったり、怖れの感覚が消えたり、また解決策や答えのようなものがフト浮かんでくるようになったりします。
つねにこの次元とのつながりをもつことによって、私たちはアタマによって制限されていた考えを超えて、制限のないものの見方をすることができるようになるのです。
こころがすべてを内包するスペースにつながっているとき、あらゆることについていちばんよい解決策を自然に導き出すことができ、そこからスムーズに正しい行動を起こすことができるようになります。
源、あるいは神のこころとつながっていれば、そのこころで世界を見るときに自分が必要としているものを見つけ出し、また正しい道をスムーズに歩むことができるのです。
世界というのは、まさに自分のこころの状態をそのまま映し出している合わせ鏡のようなものです。こころが静まることを覚えれば、自分の目にする世界も自然と安らかや穏やかさをおびてくるので、ものごとと格闘する必要がなくなるのです。
過去についての失敗や後悔の思いも、未来についての怖れや不安も、いったん手放して自分をカラッポの状態にしてみましょう。
過去や未来についての自分の考えこそが、じつは自分を最も苦しめている原因だからです。ただ静かにするだけでも、こころはのびのびと解放されることができます。
過去や未来についてさまざまな考えが浮かんでくるようであれば、その考えに対して「聞いていませんよ〜!」と、そのままスルーしてしまいましょう。それらは、罪悪感を抱かせるか、怯えさせるだけで、まったく耳を傾ける価値がないものだからです。
「自分をカラッポにして静かな時間を過ごすなんて、自分が怠惰になってしまいそうでできません!」という方がいらっしゃいます。
それは本当でしょうか?
私たちは部屋のなかでじっとしていても、必要があればすぐさまトイレに立つし、無意識のうちにキッチンで食べものを物色していることもあります。これらはどれも、計画のうちに行われているわけではありません。
内なる声なき声が、「さあ、トイレに行こう!」「何か食べよう」と必要な行動を導いてくれています。静まっていても、決して石像のように固まりつづけているわけではないのです。
静かにしていても、動く必要があるときには自動的に行動が起こるもので、それはつねに必要な正しい行動へとうながされます。
正しい行動というものは、思考のあれこれを抜きにして、起こるべきときにただ起こるように起こる、というものです。
もちろん、仕事や旅行など、計画や段取りを必要とするものもあります。
しかし、私たち自身を導くということに関しては、あれこれ考えることは役に立ちません。アタマで考えることはすべて過去のデータに依存しているため、いつも過去の繰り返しという制限にはまってしまうからです。
自分の人生を正しく導きたいと思うときには、この過去の繰り返しの思考に頼るのではなく、もっと斬新な時空をこえた叡智に正しく安全に導いてもらうことが幸せへのカギとなります。
その叡智は、過去も未来もすべての状況を見渡して、私たちにとって最善のルートを常に導き出してくれるからです。
そして、その導きを受けるためには、過去からのデータベースである思考をお休みさせて、新しいものを受け取るためのスペースを用意しておく必要があるのです。
スペースを作るとは、こころをしずめてカラッポにしておくことです。そして、すべての答えがあるスペースへと自分を開け放つようにすることです。
自分を鎮めてそのスペースとつながることで、部屋で静かにしていようとも、必要なことが自然と起こるように仕向けることができます。
自分がどうするのか、どのように動くのかを見守っていましょう。
出かけるつもりがなかったのに、「あそこに行かなくちゃ!」と急にひらめいて出かけて行くかもしれません。誰かの顔が浮かんで、メールや電話をしているかもしれません。あるいは、そのまま休息しているかもしれません。それらは自然と起こってくるのです。
そして、アタマであれこれ考えて無理やり何かを起こそうとするときとは違った、「驚き」や「発見」に出くわすかもしれません。そのひとつひとつが、正しい道へと導いてくれます。
起こるひとつひとつの意味がわからなくてもプロセスを信頼して、こころを開いて起こることについて行ってみましょう。
そのためには、まずは静かにして、自分の内側へと向かい、ゆったりとくつろいでみます。自分をカラッポにしてみます。
あとは、自分がどのように動くのかを他人ごとのように静かに観察していましょう♪