気づきの日記「怖れにさよならするには 〜自分イジメをやめる〜」
いかなる状況、いかなる場面においても、自分自身の「考え」がものごとの意味を決めています。その状況・場面がどのようなものであるのかを決定し、行動へと駆り立てるのです。
しかし、その自分の「考え」は、いつも正しいものなのでしょうか?
人が出来事を解釈するのを耳にしていて、疑問に思ったことはありませんか? 妙に自分を卑下するような考え方であったり、世の中や人に対して攻撃的であったり、疑い深かったり、怖れていたり・・・。そのような見方では自分自身を苦しめてしまうに違いない、と感じることがあります。
私たちは自分の考えに対してあまり疑いをもつことをしませんが、考えは客観的でもなく、中立的でもなく、人や自分に優しくありません。
自分がつらくなる考え方をしているがために、自分を守らなければならないと感じて、日々戦々恐々としてすごすハメになります。
「自分の考えで自分を怖れさせて、戦闘体制になる」、これが私たちが無意識のうちにとっているパターンなのです。
あらゆる場面において、目のまえの出来事を自分にとって「恐ろしいこと」「よくないこと」と意味づけし、怖れのストーリーへと巻きこまれてしまいます。
怖れから行動を起こすことで、怖れのストーリーはさらに正当化され、強化され、増幅してゆきます。
そのぐらい、私たちの「考え」というのは、自分の体験に大きな影響を与えているのです。
問題なのは、私たちが自分で自分を怖がらせてしまう「間違った考え」でものごとを見ていることに気づいていないことです。
「自分の考え」こそが、まさに自分を怖れさせる根本原因であり、まさにそれは自分イジメなのですが、それに気づけません。
このような「自分を怖れさせ苦しめる、イジメパターン」から脱するためには、まずは日頃から自分がどのようにものごとを解釈しているのか、意識的に気づいてみることです。
正しいものの見方は、「あるがまま」にものごとを見ることです。自分の憶測や価値判断で色づけをせず、素のままでままっさらにしておきます。
怖れに根づいた自分の考えが入りこまなければ、ものごとは平和なのです。「すべてそのままで大丈夫」、「これでいい」ということになります。
「これで大丈夫」であれば、おのずと大丈夫で平和なストーリーがそれにつづきます。
もし、「これではダメ!」「どうにかしなくちゃ」と、安らいでいられない感じがしたら、そこにはすでになにか怖れを呼び起こす間違った考えが存在しているに違いありません。
その間違った考えにしっかりと気づけるようにしてみましょう。間違いを野放しにしておくことこそが、怖れが増幅してゆく原因だからです。
怖れの考えをそのままにしておくと、そこからさらなる怖れのストーリーが生まれ、ありもしない空想に巻きこまれてしまいます。
すると、「何がほんとうで、何が空想なのか」、自分でもわからなくなってしまうのです。
そうならないためにも、「これで大丈夫」という安らかな考え以外の、緊張や怖れ、不安をもたらすような考えに敏感になり、気づけるようにしてみましょう。
もし、今ゆったりとくつろげていない、安らかな気持ちになっていないのなら、何か正しくない考えがこころに潜んでいて、それに基づいてものごとを見ているに違いありません。
自分に怖れをもたらす考えやものの見方に気づいたら、ただそれを自分のこころから取り去ってもらえるようにお願いします。
お願いする先は、自分自身の高い自己であるハイヤーセルフです。「この考えを取り去ってください」とお願いするだけで、自分のこころから消去することができます。
一回やっておしまいにするのではなく、つねにこころの思いに気づきながら、訂正しつづけてゆくことが大切です。
怖れから解放されるためにすべきことは、このように「間違った思いに気づいて消し去る」というとてもシンプルなものです。
間違ったものを取り去るだけで、自分の本性である安心や安らぎ、愛が姿を現すようになります。そして、目にする世界を平和なものにしてくれるのです。
間違いを取り去るだけで、宇宙とつながる「すべて」がすでにそこにあります。それは完全なものなので、なにもつけ足す必要はありません。「間違った考え」というホコリをはらってあげるだけで十分なのです。
「リラックスできない」「楽しくない」「こころが沈んでる」・・・というようなときは、こころのホコリに気づき、取り去るチャンスです。
いったいどんな考えで人や世界、自分自身を見ているのか、その考えがどれだけ自分から安らぎを奪っていたのかに気づいて、それらの考えをハイヤーセルフとともに手放してしまいましょう。