気づきの日記「宇宙を味方につけるには 〜ツメあとはいらない〜」

テレビに出ているタレントさんがよく口にする言葉、それは「ツメあとを残す」というもの。出演した番組で、「ツメあとを残せた」とか「残せなかった」とか。

「ツメあと」とは何でしょうか?・・・それは、「私」の 存在を誇示すること、「私」が目立って注目を集めること ・・・つまり、「私、私、私」なのです。

これだけ「私」と叫ばなければならないことじたい、「私は存在を認められていない」「私は価値がない」「私はダメな存在」と自ら認めているようなものです。

「私、私、私」を追求すればするほど、自分の不甲斐なさ、ダメさを自分自身に刷りこんでしまっています。たとえ、自分がまったくダメな存在でなかったとしても、です。

さらに、「私、私」と叫んでいるとき、自分という存在を全体の流れからチョキチョキと切り取って、ひとりぼっちに孤立させてしまっているのです。とても孤独なのです。

自分のことしかアタマになく誰ともつながっていないので、人も自分さえも信頼できないのです。

自分だけをどうにかしようともがいているとき、残念なことに自分だけ「全体の豊かさ」から乖離してしまっているのです。

私たちは全体の流れのなかでこそフルに恩恵を受けることができる存在なので、「私、私」と叫んだとしても自分にたくさんのものがやってくるわけではありません。むしろ流れを止めてしまいます。

「私、私、」と叫んでいるとき、私たちは人生というものを闘って勝ち抜かなければならない「トーナメント」と捉えています。

自分ひとりが他を圧倒して勝ち上がることでしか欲しいものが手に入らない、勝利することができないトーナメントです。

人生も人間関係も勝ち抜くべきトーナメントであるなら、安らぎや幸せからは程遠くなります。

このトーナメントに出場しているとなれば、勝利のために他を出し抜く必要があるので、決して手のうちを見せることはできず、すべて孤独に秘密裏に行わなければならないのです。そこには、あたたかなわかちあいも、幸せなつながりあいも存在しません。

いつも他を出し抜いてトップを走りつづける必要があるなら、まわりに思いやりなどもっている余裕はありません。まわりは自分が蹴落とすライバルであり、消え去ってほしい存在なのです。

さらに、上には上が存在するので、どんなに頑張ってもトーナメントを勝ち上がるのは至難の技です。

勝ち上がりつづけるには、相当な精神力と体力が必要で、そのような闘いの日々には決して安らぎはありません。

そもそも、人生も人間関係もトーナメントではありません。むしろ、ゆっくり楽しむラリーなのです。

テニスでラリーをつづけようとするとき、いきなり相手にスマッシュを打ちこんで「すごいだろ〜?!」とツメあとを残そうとしたりはしません。

ラリーをつづけるのであれば、相手が打ちやすいボールをもっとも打ちやすいところに送ってあげます。また、相手もそうすることでしょう。

つまり、人間関係にしても、会話にしても、自分の正しさから相手を裁いたり、あげ足をとったり、間違いをあげつらったりすることはせずに、

その人の本心を汲み取ろうとし、また相手の言葉にどんな想いが込められているのかを理解しようと努め、そのうえで相手に思いやりや愛をリターンします。

裁きや攻撃が前提なのではなく、お互いが安心して自分自身を表現することができ、それをしっかり受け止めることができる関係・・・それがラリーなのです。

また人生で起きてくるものごと全般に対しても、挑まなければならない闘いとして捉えるのではなく、

むしろ、出来事全体のなかに隠されている恩恵だけに焦点を当てて、すべてを贈りものを受け取る機会として捉えることです。

すべてにおいて、戦闘モードで突入するのではなく、ふんわりと優しく受容し、つねにそこに光をあてて輝きを発見します。

トーナメントはまさに攻撃、闘いですが、ラリーは受容し共生し、相手と自分を最大限に活かし、共に恩恵を受け取り喜ぶことなのです。

トーナメントを生きようとすると、はりつめた緊張感と敵対心、野心でこころも身体も疲れきってしまいます。

一方ラリーは、受け入れて、つながりあって、ひとつとして大きな流れに乗り、ともに恩恵を分かち合うことで、豊かさと喜びが広がります。

それは、全体から自分を切り離すことがないので、宇宙の恩恵の外に自分を置きざりにすることなく、ひとつである宇宙の豊かさの流れに乗ることができます。

闘いを手放すこと、つながりあって受け入れることは、「愛という宇宙の秩序」のなかに自分を置いてあげることです。そして、その宇宙の力につねに背中を押してもらうこと。まさに、宇宙を味方につけることなのです。

さまざまな日常の場面において、競い合うのではなく、勝ち抜こうとするのでもなく、出し抜いたり闘い抜くのでもなく、どうしたらつながり合えるのか、どうしたら共に良くなれるのか、どうしたらお互いを活かせるのか・・・そんな見方であらゆるものごとをながめてみましょう。

今まで感じことがなかった風が吹きはじめ、大きく背中を押してくれるかもしれません。

関連記事一覧