気づきの日記「不満、不足から抜け出せないとき 〜自分を呪わないで〜」

あなたは、家族や友人、まわりの人々、あるいは自分に対して・・・いつもどのような視線を向けているでしょうか?

「あなたのそこがよくないよね」「だからダメなのよ」「変わらないとね」・・・。

このように、いつも問題ばかりを見ていませんか? 足りなさや不満を感じていませんか? 不十分さを指摘していませんか?

あるいは、口に出すことはなくても、こころのなかでは相手に対する不平不満があふれかえっていませんか?

自分のこころに浮かぶ思いというのは、自分自身に対してまさに呪文や呪いのように働きます。

それは自分のこころのなかで鳴り響き、それを丸ごと受けとめるのは自分自身だからです。

どのようなセリフも、「私はこうなることを望んでいる」「これこそが私の姿なのだ」とこころに刻みつけているのです。それは、自分に魔術をかけているのと同じことです。

つまり、自分にとっての困難は、ある日どこからともなく降りかかってくるようなものではなく、こころのなかで「いつも何を思っているのか」、「自分にどのような魔術をかけているのか」によるということです。

人に対して攻撃的な思いばかりを抱いていれば、それは自分自身を攻撃し苦しめることになります。人を不十分で不完全なものと見なしていれば、自分こそが不十分で不完全なものになってゆくのです。

人や世界に対する見方は、自分に対する見方と完全に一致します。また、人や世界に望むことは、自分に望むこととして成就されるのです。どちらも、自分のこころのなかにあるからです。

自分を幸せにしたいと願うのなら、あせって行動に走るのではなく、まずは人や世界に対する自分のものの見方を修正する必要があります。

私たちは「人に対して何を思っているのか」ということと、「自分の体験や幸せ」はまったく無関係だと信じています。しかし、それらはピタリと一致しているのです。

「私はそこまで、人に対して攻撃的な言動はとっていないから大丈夫です」と思うかもしれません。しかし、口に出す思いも、こころにしまわれた思いも、自分に対する影響力はまったく変わりがありません。

世界と自分とのあいだに思いの境界線がないので、日々自分がどのような思いを抱いているのかが、直接自分の体験として経験されるのです。

先ほども書きましたが、私たちは誰でも無意識のうちに人に不十分さ、不足を見てしまうというクセがあります。

このクセのせいで、自分自身も不十分で不足している、という認識から抜け出すことができません。

誰かに不足をみれば、すぐさま自分が不足感にさいなまれることは必至だからです。

そうであれば、まずは自分が不足を見ることや、不十分さを見ること、不完全さを見ることをなんとしてもやめなければなりません。それが、自分に豊かで満ち足りた体験をさせるためのいちばんの方法だからです。

私たちは「すでに十分な存在であり、大丈夫なのだ」という自分への優しい思いを失うことで、自ら恐ろしい体験を作りだしていたのです。

不足は、お金にはじまって、仕事、人間関係、能力、健康、容姿・・・など、どのような問題にでもなりえます。

十分であるという愛の思いを失うと、あっというまに恐れと苦しみのエゴワールドに飲みこまれてしまうのです。

そして、そのような問題に見舞われると、私たちはすぐさま、「誰々のせいで」と責任を転嫁し、被害者になろうとします。すると、訂正すべき焦点がずれてしまうことになります。

苦しいときに気づくべきことは、「この問題は、外側の世界からやってきているのではない」「私が完全さを見る意志を失っていたからなのだ」と立ちどまることさえできれば、そこから方向転換をすることができます。

いつどのようなときにも、自分のこころの世界しか目にすることができないと知っていれば、こころの姿勢をすぐさま立て直して修正することができるからです。

「人やものごとに足りなさを見ない」「裁かない、責めない」「被害者にならない」

そのかわりに、「そのままで十分」「そのままでOK」「そのままで完璧」

あるがままを受け入れて、称える習慣をつけてみましょう。

そうすることで、自分に対する十分さの魔術が働きはじめ、問題だと思っていたところに完全さを目にするこができるようになります。

あらゆることがOKである安心感が生まれます。すべてのことが完璧に運んでいるという証拠を目にできるようになります。

さらに、自分の高い自己であるハイヤーセルフに、「私がすべてのものの完璧さを受け入れることができるように、助けて下さい」とつねにお願いしてみましょう。

「私が何を意志するのか」それこそが、自分が世界で「何を目にし、何を体験するのか」を決定するすべてなのです。

目にする世界は、自分が意志するこころのちからによって紡がれてゆきます。

十分さ、完全さだけを意識していれば、それは自然に自分の世界を満たしてゆきます。

まだその完全さははっきりと自分の目には映っていないかもしれません。

けれど、「完全さを称える」習慣をつづけることで、必ずやそれを目にできるようになり、また目にした十分さを称えることで、さらに豊かさが加速しはじめるのです。

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