気づきの日記「へこまない習慣 〜すべてはそのままで大丈夫!」
私たちは、「ものごとは順調に進んであたりまえ」「すべては自分の思いどおりになるのが当然」という無意識の決めつけのうちにものごとを眺めているのではないでしょうか?
そのため、流れが滞ったり頓挫してしまうようなことが起こると、「なんで?」「どうして?」「何が悪かったの?」と動揺したりイライラするだけでなく、「私の日頃の行いが悪いせいに違いない」と、自分を責めたりします。
その出来事や自分自身を責めることで自信を失い、失敗感に捉われ、問題にはまりこんでしまうのです。
そもそも「ものごとは、自分の思いどおりになるべき」という思いこみさえなければ、問題を作り出すことはありません。
「ものごととは、なるようにしかならないものだ」、「だから、今こうなっていてもかまわない」「今の段階では、これでかまわないのだ」と受け入れられたら、そこで苦しみは生まれていないのです。
私たちは、一瞬一瞬目のまえにあらわれることに対して思いどおりにしようと戦いを挑んでしまいますが、抵抗せずにそのままにする、という生き方を選択することもできます。
すると、こころは「状況を自力でどうにかしなければならない」という重苦しい緊張感から解放されます。
「ものごととは、自分の思いどおりにすることが正解なのだ」と気づかぬうちに信じてしまったことで、つねに現実との戦いを余儀なくされてしまっていたのです。
なぜなら、誰も「それは、そのままで大丈夫!」「それが起きているということは、それが正解なんだよ!」と、ほんとうのことを教えてくれなかったからです。
ものごとをそのままに放っておいて、抵抗という圧力をかけないことで、そこに摩擦が起こらず、それはすみやかに消え去ってゆくことができるのです。
たとえば、自分のアタマのなかにある考えが浮かんできても、とくに注意を払わずにほっておけば、それはものの数秒で消え去り、自分が何を考えていたかさえも思い出すんことができません。
このように、関与せずにほっておくことで、すみやかに姿を消してくれるのです。
「ものごとを自分の思いどおりにすることが、自分に安全をもたらし、自分を幸せにしてくれる」という思いこみを手放してしまいましょう。
それは、「なんでも自分の支配下においておきたい」と主張するエゴの間違った信念なのです。
なんでも思いどおりにしようとしても決してそのようにはならないため、そこにつねに緊張が生まれてしまいます。
決して思い通りになることがないので (たまには、うまくいくこともありますが)、つねに挫折感を味わうことになります。
ものごとは、ほっておいても、いえ、ほっておいてこそ、いちばんいい落としどころに丸く収まる、ということを経験したことはありませんか? 「あれ?知らないうちに解決している・・・」という具合に。
しかし、ヘタに関与することで流れを堰きとめ、効率よく進んでいたものが阻害されてしまいます。そこには完璧なプロセスがあったはずなのに、それを邪魔してしまうことになるのです。
たとえ気に入らない状況が目のまえに現れたとしても、「これはすぐに消えてゆくので、ほっておいても大丈夫」とわかれば、肩のちからを抜いてリラックスして対応することができます。
「自分こそが、この状況をうまくいかせなければならない。失敗は許されない」と、自分自身にかけていたプレッシャーからも解放されるのです。
そして、自分自身の務めとは、ただこの状況がどのように解消されてゆくのかを静かに見守ることなのです。
その顛末を見届ければ見届けるほど、「ああ、今の状況も、ただそのまま放っておいて大丈夫なのだ」と、安心感と信頼が深まってゆくことでしょう。
目のまえにやってきたその状況に対して「それは間違っている!」と抵抗するのをやめ、まず「受け入れる」ということが私たちが学ばなければならないレッスンです。
結局、自分のエゴの思いどおりは苦しみしか生み出さず、同じルートをぐるぐるくりかえすばかりです。
目のまえの状況は最終結果ではありません。それはあくまでも、解決へと向かうべきプロセスの途上なのです。
いったん状況を受け入れれば、自ずと次のステップが示されることになります。必要なことも、すべて知ることができます。
自然に起こるプロセスがすべてをうまく解決してくれます。
ただその流れを信頼して、自分は少し後ろに下がって、そこに働く天のちからを見届けてみましょう。