気づきの日記「怖れや不安に悩まされるとき ~コワがらなくて大丈夫!~」
私たちにとって、人生でネックになりがちなのが「感情」というものです。
感情がことあるごとにあちこちで顔をのぞかせ、私たちの足をひっぱります。
たとえば・・・
怖れや後悔、怒りという感情によって、もう存在しない過去に何度も引き戻され、その場面を再体験することがつづいたり・・・
不安や疑いにとりつかれて、新たな一歩を踏み出したいのに踏み出せなかったり。また、いったん踏み出したものの、すぐに引き返してしまったり・・・
痛みや悲しみの感情も、愛を感じることを邪魔してしまいます。
とにかく、私たちが前進しようとするとき、よりよく生きたいと思うとき、新しい自分になろうと決心するとき、突如、疑いや怖れ、怒り、罪悪感、後悔などの強い感情が立ちはだかり、あっというまに弱くて脆い、価値のない自分に引き戻され、そこから一歩も動けなくなってしまうのです。
私たちはものごとに対して、立ち向かい、解決することを教えられているので、たいていはそのネガティブな感情に抗いながら、なんとか進もうとします。
しかし、それを繰りかえしているうちに、こころも身体も疲れはて、にっちもさっちも動けなくなってしまうのです。
それぐらいネガティブな感情はエネルギーを消耗させ、また増殖してゆくように感じられます。
この強いネガティブな感情さえなければ、人間関係も、新しい挑戦も、自分らしい生き方も、もっとスムーズに進行することでしょう。
それぐらい私たちのなかのネガティブな感情の存在は、私たちを無力にし、自分を台無しにしてしまう要因になりかねないのです。
日常のなかでこのような強い感情に遭遇したとき、どのように対応するべきなのか? ・・・それは学校でも家でも習ってこなかったことです。
対処の仕方としていちばん大切なポイントは、その感情に「抗わない」ことです。
抵抗することは、対象にエネルギーを注ぐことになるので、倒したい相手をよりパワフルにすることで負け戦になってしまいます。
感情はいくら恐ろしく感じても、動けないほど強烈に感じても、それはしょせんただの「感覚」にすぎません。
注意して感じてみると、それはビリビリした感じだったり、ドキドキだったり、ズンズン、ドクンドクンなど・・・ただ身体に感覚が現れているだけなのです。
感覚が現れているとき、私たちはどうしているでしょうか?
たとえば、足がしびれているとき。
足のしびれに抵抗して、消し去ろうと頑張ったり、コントロールしようと闘ったりはしません。
おそらく、そのしびれが去ってゆくまでほっておくことでしょう。
それと同じことなのです。
強い感情が現れているときにするべきことは、ただそれが消えてゆくまで「そのままにしてあげる」ことです。
それを分析することや、解決策を考えること、後悔する必要もありません。
足がしびれているとき、「なんでこうなってしまったんだ?」「私がおかしいのか?」「何をすればいい?」など、価値判断したり、それについてあれこれ考えたりすることはないのです。
強い感情を感じているときも、ただその感じをそのままほっておきましょう。
ストーリーや、価値判断、イメージを持ち込まず、そこに現れているその「感じ」だけをオープンに感じて、かかわらずにほっておくことです。
すると、それはいつのまにか消え去っています。
消えてゆくので、危険なことは何もありません。
足のしびれも、気づかぬうちに終わって、なにごともなくスタスタと歩き始めることでしょう。
ほっておけば終わります。終わるために出てきたのですから。
しばらくすると、また同じ感情に出会うかもしれません。
同じように感じられても、じつはさっきとは違う感情です。
ひとつの感情の層が解放されると次の感情の層が浮上してきます。ミルフィーユを一枚一枚はがしてゆくように、ただ出てきたらそのまま感じて手放してあげればよいのです。
このようにして癒しは進行してゆきます。
これは癒しのプロセスなので、感情が現れてくることを恐れる必要はありません。むしろ、歓迎してあげましょう。
なぜなら、こころがネガティブな感情という長年の重しから解放されようとしているからです。
このように、意識の表面にあらわれた感情をあるがままに受け入れてゆくことで、こころの負荷を軽くすることができます。
今まで爆発寸前の圧力釜のようだったこころからネガティブな感情の圧力を軽減することで、自分が目にするものごとが負の感情というフィルターで歪められることがなくなり、こころも世界も穏やかになります。
そして、この穏やかさこそが、自分が求めてきた幸せそのものであることに気がつくかもしれません。
そのためには、感情のひとつひとつに反応せず、足のしびれの感覚と同様だと捉えて、ただそのまま丸ごと受け入れ、消え去らせてあげましょう。
疑いや怖れ、怒り、罪悪感、後悔などにホンロウされることがなくなると、本来の人生のストーリーがスムーズに展開しはじめます。
そして、人生そのものがあなたを導いてくれることでしょう。