気づきの日記「心配したり、恐れを感じるとき ~幸せのチャンスを逃さない~」
自分が目にしている世界に怖れを感じますか? 心配になっていますか?
心配ごとや問題は、ある日突然現れて自分を脅かすように感じるかもしれません。
すると、自分がかわいそうで無力な被害者のように思えてしまうのです。
しかし、実際にはそうではありません。
こころはどんなときでも例外なく、自分が望む世界を自分に見せてくれています。
自分が信じていること、こころに抱いていることこそが、自分の世界となって目のまえに現れているのです。
もしその世界が間違っているように感じられるならば、まさに自分のこころこそが間違ってしまっているのです。
しかし、私たちはなかなかそのようなことに気づくことができず、目のまえの世界を非難したり不平不満を言いつづけることしかできなくなっています。
そもそも、私たちが目にする世界には、間違いがあふれていて当然なのです。
なぜなら、怖がりで攻撃的なエゴが怯えながら映し出しているのがこの世界そのものだからです。エゴのホラーなストーリーで溢れてしまっているのです。
そして、そのストーリーは自ら意識的に訂正がなされるまでは、同じ内容のストーリーが延々と繰り広げられます。
そうであるならば、気に入らない世界を責めつづけても、あるいは落ち込んで背中を向けても、なんら変化は見込めないことになります。
現状に反応しつづければ、さらにストーリーに巻き込まれ、にっちもさっちもいかずに自分の無力感を感じることになってしまうのです。
まずは、こころの誤りを認めることからはじめてみましょう。
「自分のこころが間違っていたからこそ、このようになってしまったのだ」と問題のありかに気づくことが、すべての誤りを正す第一歩です。
そして、どのような好ましくない状況がやってきたとしても、すべては「自分のこころを正気に戻してあげるための貴重な機会である」と捉えることで、現状から脱することができ、別の現実を映しだすことができるようになります。
では、どのように正してゆけばよいのでしょうか?
それは、スタート地点のこころを変えることです。
こころこそがすべてのものごとのスタート地点であり、何を目にするかを決めているからです。
さて、自分はいったい何を望んでいるのでしょうか?
「とりあえず、お金があれば安泰です!」と答えられる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、お金とは単なるシンボルにすぎません。では、お金に託されている自分の思いとは何でしょうか?
それは、お金さえあれば「怖れから解放される」ということ。ほんとうは、「安心感」「安全」を求めているのです。
それならば、真に望んでいることを最初から素直に望んでみましょう。ダイレクトに望めば、それはやってきます。
「お金こそが望むものです!」と決めてしまうことで、ポイントがずれてしまっていたのです。「お金」はモノであって、「安心感」「安全」とは別のものだからです。
お金のうしろに隠されている願望である、安心したい、安全を感じたい、安らぎたい、もう大丈夫だと知りたい、そのような感覚を求めている自分に正直に気づいてみましょう
そして、高い自己であるハイヤーセルフにリクエストします。
「これらを目にしているということは、私は望むことを間違えていたようです。私はこころからくつろぐことができる安心感、安全こそが欲しいのです。そして、それはすでに私に与えられているはずです。それを感じ目にすることができるように、私のこころを正してください」と。
こころが変われば、目にする世界はおのずと変わらざるをえません。自分が望んだものは、必ず自分のもとにやってきてくれます。こころが安らぎ、安全を感じたために必要なすべてがやってきます。
こころが完全にリラックスできる安心感、安全を求めることで、経済的なことを含めてあらゆる状況が安らぎを感じられるように変化しはじめるのです。それには、必要なお金も含まれていることでしょう。
ハイヤーセルフに対して、「自分は今の状況をもう望んでいないこと」、そして「自分がほんとうに望んでいるのは〜のような状態です」と伝えて、自分のこころの誤りを取り消し、すでに与えられているものを受け取れるようにしましょう。
私たちは問題に対して、不平不満を言ったり、それに翻弄されつづけるという無力な態度しかとれなかったかもしれません。
しかし、「私が望むのはこれじゃないのです。私がほんとうに望んでいるのはこちらです。こころの間違いを正してください」とすみやかに白旗を掲げて、助けを求める習慣をもつようにします。
助けを求めるたびに、かならずすみやかに答えがやってくることに気づくことと思います。
その体験を重ねてゆけば重ねてゆくほど、助けをを求めることが喜びとなり、無為に心配したり恐れを感じつづける時間が少なくなってゆくことでしょう♡