気づきの日記「守らなくっても大丈夫 ~私が私が!と頑張りすぎない~」
こどもの頃、ささいな遊びでも日が暮れるまで時間を忘れて遊んだものです。
お腹がよじれるほど大笑いしたり、眠っていられないほど楽しみなことがあったり・・・日常は驚きと喜びに満ちていたかもしれません。
さて、いまのあなたはどうでしょう? 時間を忘れて熱中することがありますか? ワクワクする毎日を送っていますか?
もし、答えがNOであるならば・・・あの頃の自分と何が変わってしまったのでしょう?
こどもは親の庇護のもとに育つので、自分の生存についてあれこれ心配する必要もなければ、責任をもつ必要もありません。
すべてが自動的にお膳立てされ、完全に守られている気楽さのなかで日々を過ごします。
大人になるにつれて、責任をもたなければならないことが押し寄せてくるようです。
「自分の力で世界を生き延びなければならない」・・・そう感じると、自分の未来や命を守っていかなければならない重さがズッシリと肩にのしかかります。
さらに、仕事がうまくいかなくなったり、家族や健康に問題が生じたりすると、重圧が増し、押しつぶされそうになってしまいます。
自分の力に疑いをもちはじめたこころは守ることに一生懸命になり、もうかつての無邪気さ、軽快さ、柔軟さ、楽しさを感じられなくなってしまうのです。
自分ひとりですべてを背負っていかなければならないと感じたら、誰でもお気楽でいるわけにはいきません。
まして一寸先が闇ならば、つねに緊張感が走ります。
「どんなことが待ち受けているんだろう?」「どう対処したらいいんだろう?」「はたして正しく解決できるだろうか?」・・・こんな考えをもってしまったら、こころは緊張のあまりちぢこまり、息ができなくなってしまいます。
こころとは本来、制限のない広がった自由な状態であり、それが心地よさ、安らぎ、幸せの感覚なのです。
しかし、重い荷物を背負ってしまったこころは、もやは羽が生えたように軽く生きることはできなくなってしまいました。
そんな私たちが再び、こころ楽しく、軽やかに、こどものような無邪気さで生きるにはどうしたらよいのでしょうか?
その答えは、「何も背負わないこと」です。
ほんとうは、背負えるものなど何もないのです。
背負っているように思えても、ほんとうは背負ってなどいないのです。
それはどういうことかというと、ものごとはすべて「なるべくようになっていく」ものであり、自分が背負おうとしなくてもうまくいくものなのです。
「私が背負っている」と感じながら生きても、「なるようになる」と思って生きても、行きつく結果は変わらない、ということです。
変わるのは、自分が重圧に苦しみながら生きるのか、それとも軽やかにこころ楽しく生きるのか、その違いだけです。
そしてものごとの結果は、自分にとってもまわりの人にとっても、いつもいちばんいいよいことが起こるようになっています。
それが、ものごとの仕組みです。
「背負わなくちゃ」「自分でやらなくちゃ」というのはたんに間違った思いこみにすぎず、ただそのままにしておくことでものごとはベストな解決へと導かれることができるのです。
それは、部屋の真ん中に寝転がって「どうにかなるのを待つ」ということではなく、ただ生きるべき日常をいつもどおりに、怖れをもたずにするべきことをする、という生き方です。「私がどうにかする」という気負いの感覚なしにです。
結局、「私が!私が!」と言いはってしまうのは、何でもコントロールしたいエゴのプライドであって、その考えじたいが自分自身を混乱させてしまいます。
無力なエゴには引き下がってもらい、ただ起こることにまかせて生きる。それだけです。
そんなことで大丈夫ですか?と、不安になるかもしれません。
でも、どんなときでも怖れをもたずにそこに展開するストーリーを受け入れることで、自分にとってベストな成り行きになる・・・ということなのです。
それならば、安心して展開するままにまかせてみることです。
「大丈夫だから、まかせてみよう!」と決めてみるだけでも、こころから余計な重さが取り除かれます。
さらに「それは必ずよいことにつながる」と受け入れることで、こころに気楽さ、楽しさ、広がりが戻ってきます。
そして、リラックスすればするほど、こころのなかに直感やアイデアが浮かび、自分にとって必要なことは必ず気づくことができます。リラックスしたこころは、つねに導かれることができるのです。
「私こそがどうにかする!」という考えは、エネルギーの無駄な消費を招きます。
それは怖れに根ざしているため、こころが閉ざされてしまい、必要なインスピレーションを受けとることができず、空回りし、怖れだけが大きくなってしまいます。
自分がすでに守られていること、安全な流れにのっていること、そしてそれは自動操縦であることを受け入れて、信頼してみましょう。
春の日に心地のよいボートに寝転がって、きれいな空や景色を楽しみながら、ゆったりと安全に運ばれてゆくのをイメージして、ただリラックスして導かれてみましょう。