気づきの日記「答えを探さなくても、あたなでいれば大丈夫」

私たちのこころは常に、心配や後悔することをやめられません。

「こんなことになっちゃったらどうしよう?」、「あんなことをしてしまって大失敗だった」など・・・ここには存在しない「未来」や、すでに過ぎ去った「過去」をうろつくことをやめられないのです。

今、一枚の紙を用意してみてください。そして、紙の真ん中に黒い丸を描いてみます。

この黒い丸はあなた自身です。

この黒い丸だけが真に存在しているものでありリアルです。

余白の部分はまったく何も存在していないスペースです。

過去や未来にとらわれるということは、この黒い丸から外に出て、何も存在しないスペースに関わろうとすることです。

いったん黒い丸の主がそこを離れてしまうと、黒い丸はリアリティを失ってしまいます。姿を消したようになってしまうのです。

過去と未来にかかわろうとすることは、自分自身である黒い丸をお留守にすることで自分のリアリティを失い、存在しない世界へと姿を消すことなのです。

存在しない世界へ姿を消しても決して自分は消滅するとうことではありませんが、自分という存在に確信がもてなくなります。

その確信のなさが不安感を引き起こし、ひどくすると恐怖や絶望感へと変わります。

自分自身である黒い丸から離れ、過去や未来、あるいは問題に見えるよなものに関わろうとすることは、私たちにとって自分の実態そのものを失うことであり、それは自殺行為とも言えるのです。

一方、黒い丸であること、そこにとどまりつづけることは、自分自身であることであり、喜びそのものです。

自分自身であることは、自分の本性である「愛」「喜び」「安らぎ」そのものを生きることです。

「愛」「喜び」「安らぎ」は宇宙の源の性質そのものなので、私たちが自分であることにとどまり、それを楽しみ、喜びからそれを表現し、分かちあうとき、それらはたちまち増幅し、白い余白を「愛」「喜び」「安らぎ」で埋め尽くします。

なぜなら、ほんとうはそれしか存在していないからです。

自分自身の本性にとどまれば、自分の目にする世界は自分自身の「愛」「喜び」「安らぎ」を映しだすスクリーンとなり輝きはじめます。

自分の本性は宇宙の源そのものです。その本性にとどまり、それを楽しむということは、まさに宇宙の力を自分のものにしながらその力を楽しみ、増幅させてゆくことなのです。

そう考えると、私たちは問題とがっぷり四つに組んで格闘する必要などないことがわかります(白い余白にお出かけして奮闘する必要などないのです)。

するべきことは、ただ限りなく自分自身の本性にとどまることが重要であることがわかります。

問題に対処しようとして走り回れば、自分のリアリティがどんどん薄くなり、パワーを失ってしまう方向へと向かってしまうのです。

そうではなく、宇宙の源とひとつである自分の本性「愛」「喜び」「安らぎ」にとどまることがあらゆることにおいての最重要課題であり、また解決策となります。

自分の本性のなかには、すでにすべての答えがあり、そのパワーは無限であり、そのサポートには限りがないからです。

自分自身であること・・・それは、たった今「愛」「喜び」「安らぎ」にとどまり、それを生きること、それでいること、それを楽しむこと、それを分ちあうこと・・・それだけで余白のスペースはそのエネルギーに満ちてゆきます。

それがすべての問題に対する答えとなります。

解決策が見えてくるかもしれません。何かがこころにひらめくかもしれません。誰かがやってきて助けてくれるかもしれません。いきなり人生の流れが変わるかもしれません。

たった今、自分自身でありましょう。それを楽しみましょう。そして、ただ流れを見守っていましょう。

それで十分なのです。

「あなた」であることが答えなのです。




「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 / ヒプノセラピーカウンセリングリコネクション

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