気づきの日記「豊かさは、今を生ききること 〜自分という役を全力で演じきる〜」

「あなたは俳優として役割をただ果たすのみ。だから、ただ役者として、自分の役どころを熱意をもって演じきりなさい」

人生を生きることについて、このようなことをインドの覚者マハラジが言っていたのを思い出します。

私たちは、「あれが足りない、これが欲しい」「こんなことは受け入れられない、もっとこうなるべきだ」・・・といつも「いま目のまえにある状態」「いまある自分」を否定し、そこからの脱出ばかりを夢見てすごしてしまいがちです。

いまの自分という与えられた役柄を拒絶し、もっと違う晴れ晴れとした役を私は演じるべきだ!と不平不満たらたらなのです。

そして、「これを手にすれば・・・」「もっとこうなれば・・・」「そうなったあかつきには・・・」と、架空のイメージばかりを追い求め、まるで空想のなかを生きる夢遊病者のようになってしまっています。

これではいつもこころが飢餓状態なので、美味しいごちそうばかりを夢みて空想にひたっているようなものです。

マハラジの言葉は、「今、ここに戻ってきなさい」「あなたであるものを全力で受け入れない」「それにこころを傾けなさい」というメッセージです。

これは、空想のごちそうばかりを求めることなく、食わず嫌いになっている目のまえのものを食べてごらんなさい、ということです。

「目のまえのものを受け入れてみること」、そして「いま目のまえにあるものに熱意をこめること」で、すでにここにある宝ものを発見できるのです、ということを教えてくれています。

たしかに、「ないものねだり」になっているとき、こころは不足のおもいでいっぱいになり、自分の現状に対する惨めさだけがこころに広がっていることでしょう。

でも、いったん腹をくくって、「私はにはいま与えられているものしか実際にないし、この役柄、キャクター、アイデンティティ、そして目のまえにある状況を生き切ること、それ以外いまの私にできることはないし、することもない!」とこころを決めれば、その潔い決意によって惨めさは影をひそめ、かえってすがすがしい気持ちになることでしょう。

自分の「こころの状態」こそが、自分がどのように感じるのか、そして自分が何を目にするのかを決めるすべてであることに気づくと思います。

私たちのふだんのこころの状態をよくよく観察してみると、過去の後悔や未来への空虚な期待・怖ればかりがこころのなかで繰りかえされていることに気がつきます。

実際、いまは目のまえにあるこれしかなく、過去も未来もいまからみたら存在しない時間帯なので、存在しない時間にエネルギーが奪われることはエネルギー不足、つまりこころの落ちこみや無力感、疲弊感を引き起こしてしまうのです。

存在しない過去や未来にばかりこころが居ついてしまうと、こころは完全に空虚になってしまいます。真に存在しているところに根をおろさない限り、安らぎも幸せもエネルギーも感じることができないのです。

だから、たった目のまえにある「このいま」に戻ってきましょう。

「いま」は、たったいま、目のまえにあるこれだけです。

そこには、やっかいなストーリーやこんがらかった葛藤は何もありません。なぜなら、いまという時間はただこれだけというシンプルさで、過去や未来のあれこれとは一切関係がないからです。

シンプルなここにあるいまに戻ってくることです。

そして、いま与えれれている自分のポジションに対して不平不満を言わずに、ただ全力で熱心にやりきること。

それだけで十分なようです。

架空の過去や未来にはエネルギーが存在しませんが、しっかり存在している「いま」はエネルギーの宝庫です。それは「欠乏」ではなくて、「豊かさ」の象徴なのです。

いまにしっかりとエネルギーを注いだら、次のいまが自然に展開してくるのをおもしろがりながら、そのなかで「いま」だけを全力で生ききりましょう。

自分というその役柄を与えられたのならそれを丸こと受けいれて、そのなかでいまいちばんよい俳優として演じきってみましょう。

そして、「いま」が何を運んできてくれるのか、いったいこのストーリーはどうなるのか、おもしろがる気持ちでながめていましょう。

そこには、きっと嬉しい驚きが待っているはずです。


「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 / ヒプノセラピーカウンセリングリコネクション

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