気づきの日記「幸せだけを受け取る方法 ~恐れで武装するのはやめましょう~」
先日、お友だちとお喋りをしていたとき、ある気づきがありました。
それは、友人グループで集まったときのことについての話。
そのとき私は、そのなかの一人に対してサプライズを企んだのです。「遠くに住んでいてその日に来られるはずのないひとりが、突如登場する」という筋書きです。「びっくり嬉しいだろうし、喜びも倍増するだろう」・・・と思ってのこと。
他のお友だちも同意してくれて、私は「わあ~、びっくりした!どうしたの? でも、突然会えてうれしい」という反応になるだろうとイメージしていたのです。が、・・・サプライズを仕掛けられた彼女は、「自分だけがカヤの外におかれて、のけものにされたように感じて傷ついていた」ということを聞いて、私の方がびっくりしてしまいました。
たしかに・・・ものごとというのは、何が起こっていようとも、たとえそこに愛が満ち満ちていようとも、あくまでも「その人の考え」でその人が思ったようにしか体験することができないものです。
体験の意味とは、まさにその人の決断でもあるのです。
このようなサプライズの顛末を知らされて、自分でもハッとしてしまいました。
私もここまでの人生で、じつはそこに溢れるほどの愛があったにもかかわらず、さっさと愛を素通りして、そのうえ傷ついた人を演じていたのではないか・・・と。傷ついたと思ったあの場面は、じつは愛そのものだったのではないか・・・と。
そのような考えが自分のなかに浮かんでから、高い自己であるハイヤーセルフから気づきが自分のなかに舞い降りてきました。
それは、このようなメッセージでした。
「あなたは恐れの考えで自らを武装し、恐れの目線でしかものごとを見られなくなっているので、あなたがでっちあげた恐れしか目に入らないのです。
でも、何を目にするのか、それはあなたが自分で決めることができる唯一のことです。
「あなたは、何を見たいですか?」 愛され、守られ、育まれている自分ですか? それとも、拒絶され、攻撃され、見捨てられている自分ですか?
ここまでの人生を通して、すべてはあなたが見たいと思ったものだけであなたの人生は埋めつくされていました。あなたの望みが叶えられていたのです。
だから、今一度、ほんとうに自分には何がふさわしいのか、何を見たいのかを決め直してください。
あなたの世界は、あなたが見たいと決めたものですぐに溢れかえることでしょう。なぜなら、それこそがあなたのこころの力だからです。
愛は、宇宙に満ち満ちています。それだけが存在するものだから、こころを開けば「受け取る」ということは簡単なのです。
あなたを幸せにするために、ほんとうに存在しているものを見たいですか?
だったら、あなたのこころを変えてください」
いくら愛だけが満ち満ちていようとも、私を幸せにしようと待ち構えていても、私がかたくなに背を向けて、素通りしようとしているならば、その愛たちは存在しないも同然なのです。
そして、「ここは、なんて愛のない世界なのだ!」と嘆くことになるでしょう。
二十代のころ、いくら愛を体験したい、愛してほしいと願ったとしても、「愛に対しての自分の感度が低いかぎり、愛は無に等しくなる!」と気づいたことがありました。
まさにそうなのです。愛が満ち満ちていても、自分がこころを開いて、ひとつひとつを受け入れることをしない限り、無限に存在するものでさえもゼロにすることができるのです。
たとえ、どのような問題に遭遇しようとも、どのような状況におかれようとも、結局は自分のこころが「こうであるべき」「こうであって当然」「私とはこういうものなのだ」と決めつけているにすぎません。
そして、その見方が目にするすべてに映し出されているのです。それは、、結局は自分が紡ぎだしているドラマにすぎないのです。
しかし、外から攻撃されている、傷つけられている、不当に扱われている、と自分に言い聞かせることで、自分で自分のつくり出したものを訂正する目線を失ってしまうのです。
「可哀想な自分」で終わらないために、正しくものごとを見られるようにしてみましょう。それは、こころのお喋りをしずめ、ただ裁きや価値判断、意味づけをストップしてみることです。まっさらに、あるがままにものごとを受けとめようとすることで、そこにすでにある愛に自然と気づけるようになるのです。
自分のなかにある自分を幸せにしない考えや感情、不平不満や攻撃的な思いのひとつひとつにも気づいて、ハイヤーセルフに渡してしまうことです。
すると、ハイヤーセルフは、「愛だけしか存在しませんから、これはお片づけしましょうね」とこころから消し去ってくれます。
「何を見たいと望むのか」が、私たちが「何を目にするのか」のすべてです。
ほんとうに存在しているもの、そして世界に、宇宙に満ち満ちているもの、その愛を見たい!とこころに決めてみましょう。
すると、自分自身に最もふさわしい形で、あるいは思いとなって、愛がふり注がれるのを感じることができるでしょう。