私たちは日々、自分に「つけ足す」ことに奔走しています。
もっと美しく、もっと強く、もっと豊かに、もっと賢く、もっと楽しく、もっと充実を・・・もっと、もっと、もっと・・・と。
この世界では「つけ足す」ことこそが幸せをもたらすと信じられているので、人生を通してつねに何かを「つけ足そう」「補おう」と努力することになります。
こどもの頃から、この世界で生きるための道具として国語や算数などの知識をつけ足すことにはじまって、今では生きるために必要な知識は十分に身につけてきたはずなのに、生涯を通してつけ足す作業は終わることがありません。
一般教養や趣味の知識にはじまって、お金、美しさ、豊かさ、ステータス、あの人は知っているのに私は知らないことについてなど・・・つけ足すものにはこと欠かないのです。
このように、つねに「つけ足す」ことに注意が向いていると、それはまさに「私はこのままでは足りない不十分な人です」と自分自身に暗示をかけているようなものです。
足りないと信じている自分は、どこまでいっても足りないのです。つけ足そうと努力すればするほど、不足感を生みだしてしまいます。

セラピーにおいても勘違いされがちなのは、不十分な「足りない」自分に対して、セラピーを受けることはつけ足して十分にするものだ、という考えです。
しかし、そもそも幸せを感じることができない原因が「足りない」「もっともっと」という誤った不足の考えから起きているのであれば、修正するポイントは「足りない私」「つけ足す必要がある私」という「不足の誤解」を取り除いてあげることなのです。
私たちのこころというのは、自分が目にするものに魔法をかけてしまうほどの威力があります。まさに、自分が信じたものを目にするのです。そして、自分自身さえも、その力で欺いてしまうことができるのです。
だから、自分がある考えをいったん受け入れてしまえば、すぐさまそれは自分にとっての真実となり、その考えが自分の体験を決定するようになります。
「私は足りない」と信じこんでいれば、どこまでも足りない状況を目にして、足りない体験を楽しめる、ということなのです。
ものごとは、自分の決意ひとつにかかっているのです。
しかし、私たちは自分がどのような考えを信じているのかに無頓着になっているがために、自分にかけてしまった不都合な魔法になかなか気づくことができません。
「足りない」と信じて、「足りない体験」を紡いでいるのは自分のこころなので、原因であるこころを修正することを忘れてしまうと、自分が生み出した結果である「足りない」現実を補うことに忙しくしてしまうことになります。

このように自分で自分を不自由にしてしまう考えを手放すためには、その原因となっている考えに気づくことが大切です。
自分が日常のなで心地よくないと感じる体験に気がつくようにしてみましょう。そして、そのもとにある信念を明らかにしてみましょう。
たとえば、「私は今、心地よくないと感じている・・・なぜなら?」と自分に問いかけてみます。
「なぜなら・・・将来のことが心配なのに、何もできていないから」「なぜ将来が心配?・・・自分には対処できないようなことが起こるかもしれないと感じるから」「なぜ自分に対処できないと感じる?・・・私は力がないと感じているから」「なぜ私は力がない?・・・こどもの頃にいつも親にダメだしされて、すっかり自信がなくなってしまった」というように。
自分に何度か問いかけをしているうちに、自分自身に対するイメージはこどもの頃の自分の扱われ方に結びつていたりすることに気がつきます。あるいは、特定のつらい体験を思い出すかもしれません。
自分には力がなく不十分である、という信念はこころの深いところに潜伏しています。このように自分に問いかけることによってそれらがこころの表面に浮上し、容易に手放すことができるようになります。
問いかけで浮かびあかがってきた感情や場面をあるがままに感じて、手放してあげましょう。もうそれらは過ぎ去っていて、今の自分とは何の影響も及ぼさないことを自分自身に教えてあげましょう。

先ほども書いたように、自分自身の癒しは「何かをつけ足して欠陥を修正する」ことではなく、「もともと足りなくなどないから、なにひとつ頑張ってつけ足す必要はない」という、自分に対する「完全さ」に気づき、それを受け入れることです。
こころが「足りない」という思いを信じなくなることで、自然と「足りない」という現象は解決されてゆきます。
また、日々の生活のなかで、感謝できることを見つけようとする姿勢も自分に与えられている豊かさを受け入れることに役立ちます。
そうすうちに、「足りない」とか「足りてる」という考に囚われることなく、すでにこころのなかに存在する「満ち足りた感覚」感じることができるようになります。
また、自分自身を豊かさの源として自分の持てるもの、たとえば知識とか笑顔とか人への奉仕など、自分から与えることで、自分自身が「十分に足りている」ことを受け入れることができるようになります。
よく「being」と「having」は同じことを意味するといいますが、まさに自分が存在として豊かさを表現するとき、自分はすでにそれを持っていることを知ることができるようになるのです。
何かをつけ足すことに忙しくして外へ外へと走りだすことよりも、まず内側へと向かい、静かに自分のこころにとどまり、自分のこころにすでに存在している「満ち足りている安らぎの感覚」とつながり、それをまわりと分かち合ってみましょう。
きっと、自分の being が having を生みだしてくれるのを目にすることができることでしょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )